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noteと聞いて、能登をおもう


ある素敵な先生から、文章を書きたいのなら、noteがいいよ!!と教えて頂いて、みなさま、きっと立派なこと、お役に立つようなことを書いていらっしゃるのかな、果たして、何を書かせていただこう?と思った。

ノート、という音を聞いて、ふと、先日ご縁あり伺った、今年1月1日に大地震のあった、能登(のと)を思い出してしまった(昨年も地震ございました)。

こわれた建物、たくさんの皆様のご尽力あれど、今も、なかなか思うように支援が進んではいないのかもしれない中、「息の長い支援を」とおっしゃっておられたことを、悲痛な表情を、思い出す。

傷つかれたお心に、何かさせて頂くのに、自分自身がきちんと生活出来ているとは言い難いこんな中、いったい何をして差し上げられるのか・・・。お金じゃない、とはいっても、これほどに大変な状況、何をするにもやはりお金は必要と思われる。

お祈りに力があり、大切なこととわかっていても、そして、実際させて頂いていても、しかし「お祈りいたします」だけではなく、本当に大変なみなさまには、何らかの形あるものをお送りさせていただかなければ、と思っていながら・・・気持ちはあれど、なかなか簡単に事業に成功して支援を、と出来ていなくても、細くても長く、と、言い聞かせております。

かりに、全財産をなげうっても、神社仏閣さまやお家の一軒の建て直しのごく一部になるのかどうか・・・再びお伺いするのに、交通費や宿泊費などは当然必要で、まずはそちらを稼ぐことが先ではないだろうか、先方のお気持ちを考えると中途半端だといけないのではないか、無理はかえって続かないのでは・・・とグルグル考えてしまう・・・。

ちょっとしたことを喜んでくださったことを思い出し、感謝をしながら、日本全体、余裕があるとは言い難く、みなさまそれぞれ、お互いに助けが必要かもしれない中、書き方によっては、批判を受けるのではないかと怖さも感じつつ、ほんの気持ち、まずは出来ることを、と書かせて頂きました・・・。

先日、福島県に伺った際、こちらの感覚では、そのあたりは、まだいろいろな意味において大変でいらっしゃるという認識ながら、「我々もあの大地震の時には助けて頂きましたから、石川県に物資などをお送りさせて頂きます」とのお言葉を伺い、心を打たれました・・・。

ほんの少しに思えても、気持ちをつないで、出来ることを、させて頂くしかないのかな、と思っております。

能登のみなさま、おつらい状況にいらっしゃるみなさま、つたない文章をお読みくださいました、みなさまのお幸せを心よりお祈り申し上げます。

有難うございます。

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たきのさくら
陰徳という言葉もあり、ご寄付が全てではないとしても「できることから、できるかたちで」はいま必要と感じます。街中等で、能登の物産や募金箱を見かけられましたら、あたたかいお気持ちを、どうかよろしくお願い申し上げます。こちらへのチップは、能登方面へお送り申し上げます。有難うございます。