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打ち勝て 迦楼羅像⑧

心と言葉の研究者 リーディングマスター・まさみちです。心についての様々な問題を、微細な感覚器官を駆使して紐解き、その力でもって心理カウンセリングをしております。独自のメカニズムが千手観音が奉られる三十三間堂と、二十八部衆+風神雷神が伝えることと一致した感があったので、記事にしております。(48/88)

容姿として有名な迦楼羅像(かるらぞう)は、迦楼羅天(かるらてん)迦楼羅王(かるらおう)と調べると出て来ます。

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この顔です。

ガルーダなど霊鳥ともインド神話などではみられ、それが仏教にもたらされるとこのようなイメージの象徴とされるものです。

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ヴィシュヌ神の乗り物とされたガルーダの像の写真↑です。

鳥を連想させる翼やくちばしが特徴的であるように、飛ぶことや、舞い上がるようなニュアンスを彷彿させてくれるものです。

現代的な解釈で、この迦楼羅(かるら)を捉えるならば、「人は叩きたいものを集団で叩く」という力の集まりのことを指します。その危機的状況下において、「横暴を許してはならない!」と、鬨(とき)の声を挙げると、呼応して人々が結束して集団化して、強大な相手に立ち向かう力の流れが起きます。

その流れの象徴のようなものが「迦楼羅(かるら)」です。

迦楼羅像(かるらぞう)⑧

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人は抑うつされた状況から打破していきたい願いがあります。

「辛くても諦めない

「悲しくても頑張ろう

「笑われてもへこたれない

「恐くても立ち向かう

「憂えても始まらない

このように、否定しながら肯定する文章を形成しているものです。

この現在を否定しながら、肯定しようと目指す概念は上手く行っている人や、成功を正しく収めている人ほど、「辛いなら、辛いままでいい」「悲しいよね」「へこむよね」「恐くて動けないよね」「憂えるしかない」と、マイナス要素を認めている背景があるものです。

それを表には見せず(上記の共感部分の有り様は伝えず)「辛いけど、諦めないで!」というのです。

本質「辛いなら辛いままでいいよ。うん、辛い。でも、ずっと辛いままでいい? いや、嫌だよね。うん、嫌だ。どうする? 上を向く? 辛いまま下を向くのもいい。次の一手はどうすればいいと思う? 知らないなら教えるよ。上を向いたらいい。そして、「諦めない」と辛さのまま動き出すことが答えと教えるから、「諦めないで!」と呼びかけるから、「諦めない!」と答えてね。『辛いけど、諦めないで!』と呼びかけ、答えを知らせてもらえた側は「辛いけど、諦めない!」返事が出来るようになり、前に進み出すものです。

言葉の文脈行間という、文字文字の間に隠された意味があります。

それが解っている場合と、解らない場合はもの凄い差があります。

「辛いけど、(私には関係なし、どうでもいいけど、建前上励ましてあげないといけないから、仕方ないし、超面倒くさいけれど、いい人を演じないと後々厄介なことになってもいけないから、本気に受け取らないで欲しい)諦めないで!」

といいう場合、行間、字間に込められた思いが届かなければいいですが、ガチガチに届いているのが、迦楼羅(かるら)です。つまりバレバレです。

「辛い」という感情さえ、どうにも我慢出来ないものと、理解すれば耐えられるものの二つがあります。

この「どうにも我慢出来ないもの」の抑圧が高まると、迦楼羅(かるら)の力が増大するものです。単純にストレスが溜まるものです。

「辛ければ、踊れ」「悲しければ、歌え」「笑われるなら、笛を吹け」「恐いなら,太鼓を叩け」「憂うなら、鈴を鳴らせ」というように、「我慢出来ないストレスの解消」を促してくれる存在でもあります。

辛くて、苦しくて、泣きたくても泣けないときに、「笛を吹く」ことは、至極困難なもので「息を吐き出す作業」そのものが出来ないものです。それでも吹き続けると、心が穏やかになるものです。

どうせ笛を吹くなら、背中に翼が生えた気分で吹いてみることです。

気分が変わります。

迦楼羅は、鳥の形相をしている変な顔の仏像です。

「変」だから「笑われる」ことになり、「人並みを求め」たり、「ここさえ同じなら」よかったのに、と悩むものです。

そして、人と違う特異なもの、奇異なものを持っている「個性があっていいな」と羨ましがられ、人並みであることが悩みとなることもあるものです。

「変な顔じゃなくてよかった」と、他人の容姿を否定して、自分は普通でよかったと安堵する人もいます。他者に否定されることで、相手の小さな幸せを支えていると解れば、苦しみは苦しみではなくなります。

ただ、行き過ぎた抑圧は、反動となるものなので、その力がどこにも溜まらないように気をつけようと呼びかけることが仏教解釈の迦楼羅の特徴的なものです。

放置すれば、強大に溢れたストレスの抑圧が溢れ出し、全てをなぎ払うような働きを呼び込むことになるので、他者を否定する「犠牲」的概念は直ちにやめることです。

人への注意が、迦楼羅(かるら)の力を膨れ上がらせることになるものです。

迦楼羅(かるら)は、力の象徴であり、流れであり、反意で動き自己消滅が目的です。

注意とは、注ぎ続ける意識と、分解して書くことが出来ます。恐い思いを注ぎ続けると、意識は自滅に向かうことを暗示させる比喩が隠れているものです。

夜叉(エゴ)の注意とは、「恐怖を与え、否定することで緊張感をもたらし、気を緩ませないように永続的に努めさせ、問題が起きぬよう抑え続けることであり、不平不満を封じ込め、罰則により約束を果たさせること」とした意味があります。

法(真理)の注意とは、「集中と弛緩とを合わせ持ち、危険や不安定な状況が訪れる気配を察知し、未然に問題解決に取り組み、自動的に危機を知らせてくれるもののこと」とした意味で解釈する方がよいものです。

前者の夜叉(エゴ)とする注意により、抑圧された我慢が膨らみ、耐えきれなくなった思いの力が、弾けることがあります。そのエゴの暴発を、無に帰する力の働きもあり、そのコントロールする意識の表れを迦楼羅(かるら)とも呼びます。

「これ以上は不味い!」

と、無意識にブレーキを踏むようなものです。

大体は、エゴの暴発自業自得とも呼ぶべき失態を引き起こし、失意のどん底の中で立ち直る為の気づきを起こし、「死を選ぶ」ことよりも「生を選ぶ」道が開かれ、気分が向上していく流れの中に「迦楼羅(かるら)」は存在しています。

道に迷い、悩み大きい場合には「迦楼羅天(かるらてん)」をイメージし、「自己犠牲の止め方を教えてください」と、迦楼羅天が自分に取り憑いているかのごとく背中に乗っかって、持ち上げ、飛び上がってくれている様の中で対話してみることです。

リーダーとなり、行く末を案じ、どのように進めばいいか解らなくなったとき、「迦楼羅王(かるらおう)」をイメージし、「自己犠牲以外の方法の道を教えてください」と、迦楼羅王に肩車され、飛び上がる様の中で対話してみることです。

何も浮かばず、ただ辛いだけならば迦楼羅天の笛を一緒になって吹いているイメージを持ち、実際に「ふー、ふー」と息を吐き続けることをされることです。

気が楽になってから、対話のワークをされることです。

迦楼羅(かるら)の、迦(か)は、「不可逆的なこと(元に戻せないこと)を、執拗に“出来る”と言い続ける力を持ち、堪えられなくなるその時が来るまで支え続けるさまのこと」とした意味があります。

楼(る)は、「素晴らしい物事や、価値ある出来事を維持するためなら、多少の犠牲は仕方がないものとし、切り捨てたり、見捨てることも、“時には必要だ”と、自己犠牲を要求するもの」としたニュアンスが含まれております。

羅(ら)は、「誰だってそう思うものだと、自分の主体的価値観で議論をせずに、客体的価値観(他者が示した論文や定説などを前にして、主観性を示さず、胎蔵界だけの心の領域だけで完結する、際限のないループする概念)で対応し、自分の無意識下で自己犠牲をしている事実に気づかず、自分では納得出来ていない理論で、他者を納得出来るに違いないと盲目的になっている状態のこと」です。

迦楼羅(かるら)とは、「不当に犠牲を要求され、それが最もらしい規律や秩序の為なら、個人と全体が調和した法(真理・自然の摂理)を歪めると、それ相応のしっぺ返しが来るから、迦楼羅焔(かるらえん)という自然淘汰の波が押し寄せぬよう、調和を無視せずに歌い踊ろう」と呼びかける存在です。

全ては過ぎ去ってから、認識出来るものなので「これが迦楼羅の働き」と示されても、信じない人には理解できず信じる人にはその恩恵が得られ、ストレスが消滅して心の平穏さが得られるものです。

その為、「信じない人には恩恵がなく」「信じる人にはストレスが消滅する結果」という同じような体験をしつつ、結果が変わる対照群が現れる為、「信じるものは救われる」といった宗教独特の解釈が広がってしまう由縁です。

いかがでしたでしょうか?

中々面白い内容になりました。

マンガやゲームのモチーフになる「迦楼羅焔(かるらえん)」というキーワードも出て来ました。実際は、人の力でコントロール出来るようなものではありませんが、その力の波を認知する段階に入るときは、大体は手遅れというものです。

個人的極小レベルにおいても、「迦楼羅王」に操られるような形で、偉業を為すこともあります。そういうときは、「自分の力ではない」という感想を抱くものです。

自己犠牲の力は、身の破滅や、家族の破滅呼び込むので止めましょう。

では、また。

リーディングマスター・まさみち。


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