スサノオを感じたら 〜繋がりが見えてきた〜
リーディングマスター・まさみちです。心のこと、言葉のこと、潜在意識や潜在無意識のことを研究し、「リーディング心理学」という技法を使った心理カウンセラーをしております。
古事記や日本書紀に出てくる「須佐之男/素戔嗚(スサノオ)」など、「伊邪那岐/伊弉諾(イザナキ)」から生まれた神さまについて伝承では何を伝えているかリーディングで解説していきます。
天岩戸のお話しは、「暴れたスサノオを追放して、アマテラスが天岩戸に隠れた」ことで葦原中国も高天原も暗くなってしまって、みんな困ってしまっている問題があります。
この部分の解説です。
自分勝手な姿
スサノオは自分勝手な姿と描かれ、みんなを困らせ、アマテラスも弱り果て耐えに耐えたけれど、もう耐えられないとなって「追放」した訳です。
これは、家族を見たとき父親や母親、息子や娘の姿の中でも「受け入れ難い姿」として認識することが出来ます。
「スサノオ=弟」の姿だけではなく、「スサノオ=様々な考えの基で自立心に従っている」姿であるのです。
苦渋の決断をする姿
アマテラスは「自分勝手な弟を追放する」姿で描かれ、色々と推し量るものの、結果的に弟スサノオと決別する流れとなり、自身も「天岩戸」に閉じこもっていることが同時に起きています。
これは、「戒(いまし)め」というものでもあり、「ルールに従わないなら罰を下す」というものが「追放」の意味合いであり、「効果があった」とするものです。
問題行動を起こす「スサノオの追放」は、暴れた姿はその場所から無くなるものの、同時に「アマテラスの引きこもり」も発生してしまい、静かになったものの光が失われた世界として描かれているのですから、問題の本質を探ろうとしないと読み解けないものです。
天岩戸の中の現実世界(現世(うつしよ))
追放されたスサノオと引きこもっているアマテラスは同居出来ません。
外で楽しく遊ぶ子が、家では無口になっている事があります。
家では元気にはしゃぎ回っている子が、外では押し黙ったままでいる事があります。
みんながいても打ち解けることが出来ない引きこもっている子(アマテラス)は、かつてみんなから追放された子(スサノオ)かも知れません。
仲良しグループから「〇〇ちゃんのここが嫌いだからもう付き合わない」と、除け者にされる事は、「アマテラスがスサノオを追放した場面」と重なるとイメージすると見えてくる神話の世界がここにあります。
家族の中で子に向けて「自分から動き出さないと何も始まらないぞ」と告げる関わりは、既に天岩戸に隠れているアマテラスという子どもたちの光を失った姿であることに気づく必要があります。
天岩戸の神話では「外が楽しくなり、その楽しんでいる人たちは自分自身の真の姿ですよ」と鏡を見せて連れ出す話で締めくくられているものです。
子どもたちから光が失われて引きこもりが多い時代となり、それは「キラキラ輝く大人たち」がいるように感じられていないから、天岩戸から出てこられないという問題でもあります。
自ら動き出さないと何も始まらない
「自ら動き出せ」は真実の言葉の筈なのに、どうしても子どもらは自分から動き出すことが出来なくなっている問題があります。
成人を迎えた大人となっていても引きこもり問題は社会問題のように横たわり、本人の意志を見えない力で打ち砕くような現実があります。
周りの人たちは気持ちが上向きになるようあの手この手とするものの、うまく機能仕切れないまま、うつ症状や対人恐怖症を患ってしまい動けなくなっています。
その問題の一つに「一つだけの心では動けない」真実があります。
自らでは動き出せない姿は追放されている姿である
夫婦や子ども、兄弟間、姉妹間の繋がりにおいてなど、社会にうまく馴染めない姿があり、自発性の部分で取り組もうとしてもうまく機能しなくなっている問題があります。
アマテラスから追放されたスサノオは、追放された原因を取り除かなければ元の世界に還ることが出来ないものです。
自らでは動き出せない原因が外にある
アマテラスの引きこもりは、スサノオを追放したからです。
子どもの引きこもりは、子どもの大切な部分を追放したからです。
①「人に迷惑をかける子は追放」として教え、
「人に嫌われることが怖いから引きこもる」が現実があります。
②「他人に負担をかける子は追放」として注意し、
「他人に対して関わり方が解らないから引きこもる」現実があります。
③「金儲けの為に人と関わる子は追放」として睨みつけ、
「経営者にも労働者にも成れなくなって引きこもる」現実があります。
④「悪いことをする子は許さないと追放」として例え話で脅し、
「未来に対する不安に呑まれて引きこもる」現実があります。
⑤「人の為に役立たない子は追放」として前向きの話をしているはずなのに、
「役立つことなど出来るほど優れていないと引きこもる」現実があります。
⑥「人に優しくしない子は追放」として普通のことを話題にしているのに、
「今、優しくされていない事実を口にできずに引きこもる」現実があります。
⑦「自分の事は自分で出来るようにならない子は追放」と見捨てる恐怖を与えてしまい、「あれもこれも出来ていない現実を前に引きこもる」現実があります。
⑧「言うことを聞かない子はいらないと追放」する関わりを続けて来た為、
「益々言うことが聞けなくなって引きこもるしかない」現実があります。
⑨「家族の負担の大きさを説明され、理解を示さない子は追放」と学ばされると、
「いなくなることが正解だと感じるようになり引きこもる」現実があります。
⑩「お金で動くような人になる子は追放」と躾けられ、
「お金以外のモチベーションが見つからずに引きこもる」現実があります。
⑪「見せかけで動くような薄っぺらい大人になる子は追放」と告げられ、
「重厚で中身の詰まった大人に出会えない為に引きこもる」現実があります。
⑫「未熟のままでいる子は追放」と限りある時間の有効性を説くと、
「理解が追いつかないことを話せなくなり引きこもる」現実があります。
これが神話が伝えたい「スサノオの追放が天岩戸にアマテラスが閉じこもる」お話しが現代に照らし合わせると浮かび上がる問題なのです。
楽しいことをすればアマテラスは外に出てくると教えてもくれていますが、現代の引きこもり問題は「働けなくなる」部分であり、娯楽における消費においては「楽しく遊び回る」ことは出来ているのです。
生産活動には加わらず消費(娯楽)活動には加わる子ら、人たちがまさに「追放されたスサノオ」なのです。現実問題の就労など、勤労して欲しい話が出てくると口を濁し、うまく受け答えが出来なくなる姿はまさに「天岩戸に閉じこもったアマテラス」なのです。
自分の事が解らなくなっている現代社会の闇
アマテラスが天岩戸に閉じこもる姿が、社会にうまく馴染めない姿と重なって想像すると、我が子など追放する気などないのに知らぬ間に追放してしまっていて、引きこもりに育っている現実があります。
いくら「ごめん、やり直そう」と言おうが、謝ろうが「天岩戸」は開かれることがなく、コミュニケーション障害を引き起こしている問題は「子の問題」であり、「親の問題」だと認識していない所がある為、改善の道が見つかりません。
親の心がまさかまさか「追放している」とは認識していないのです。
真剣に親が自分の問題だと、子に心を開こうと関わってもどうにも変わってくれないのです。押しても引いてもダメなものはダメだという現実を突きつけられます。
・まともに話し合いが出来ない。
・遊びには行けるが働けない(学校に行けない)。
・やりたい道の背中を押してやりたいと関わっても反応がない。
・家族と話し合っても、引きこもる自分でも「自分のことが解らなくなっている」と言われてどうすることも出来ない。
・「しんどい」「動けない」と真剣に訴えてこられると手の打ちようがない。
全方位塞がりの感覚に親や引きこもりを抱える家族は頭を悩ませるものです。
緩和ケアなど試みて、一時的に回復しても元の状態に戻ることも多いため、「どこまで面倒を見れば終わりが来るのか?」と動けない我が子を前に頭を抱えるしかない親たちがいます。
日本神話に描かれている心の治し方
アマテラス・ツクヨミ、スサノオの誕生は、イザナギの神さまが、黄泉の国に亡くしたイザナミの神さまを取り戻そうとして断念したところから始まります。
イザナギの神さまの断念の切っ掛けは「振り返ってはならない」と約束ごとを破ったことにあり、これ「過去の出来事を思い出す」ことに通じるものです。
「昔は出来たのに」どうして「今は出来ないの?」という子どもへの関わりは、現実問題に直面した時に「対応出来ない自分」と向き合った結果の「引きこもり」なのです。
見て学んだ「アマテラス」と、鼻で嗅ぎ分けてわかる「スサノオ」との亀裂は、見た目重視の教えに従わせたい大人たちの都合の良い教育があります。
常識的で多数派で我慢強く物事を洞察できる姉(アマテラス)目線は、独創的で少数派で我慢は一時的にしか出来ない弟(スサノオ)の嗅ぎ分ける力を前に姉が推奨する見た目重視の「建て前」は通用しないのです。
引きこもる子や人たちの現実は、持っている「建て前」は木っ端みじんに砕かれて、幼少から培われてきた道のりが役に立たなくなって「心が死んだ(イザナミの死)」からです。
社会に通用しなかった体験は、自分自身で自分のダメなところを追放するようになるのです。自分がアマテラスであり、自分がスサノオでもあるのです。
一度社会に適応できない「自分嫌い」が生じると天岩戸から出られなくなります。
⑬「誰かのせいにしたい自分を追放」してしまい、
「自分の問題だと引きこもる」のです。
⑭「親や先生を悪く言いたくなる自分の気持ちを追放」してしまい、
「自分の至らなさを嘆いて引きこもる」のです。
それでいて、自分自身で抱え込んで動けなくなり、「遊べるのに働けない」現実しか生み出せずに、時間ばかりが過ぎ去る生き方を始めてしまうのです。
ここに挙げた①〜⑭の問題が「スサノオ」の問題なのです。それと同時に「アマテラス」の問題なのです。
アマテラス・リーディング心理学講座
追放された弟スサノオは、自分の全てを改める道に踏み出すのです。
我が子に問題が映し出される鏡の現象が真実だと捉えるならば、親の立場であろうが、子の立場であろうが、「自分の置かれている今の立場から動き出す」ことが大事なのです。
それには「自らが動き出さないと何も始まらない」という教えの真実に触れ、追放されたスサノオそのものの清らかさを証明する道に踏み出したのです。
心と言葉の探究をはじめ、辿り着いたのが日本神話でした。
「ここに全部書いてある」
という気づきでした。
リーディングマスター・まさみちは、歩んでいく中で「ヨーガの教えに書いてあった」と最初に気づき、「仏教の中に書いてあるじゃないか」と気づき、「神道の中に書いてあるじゃないか」と本質に触れたのです。
でも、こんな神話の話しをしていますが、宗教なんかやっていませんから! と断言します。私がやっているのは宗教ではなく「読解力(リーディング)」です。
体験重視で気づきを研究してきたら、ここまで到達したものです。
それを「アマテラス・リーディング心理学講座」と題して、みなさんに提供出来る段階に入れました。
引きこもり問題と丸かぶりとなっている「天岩戸神話」の謎解きを人生の道行きと共に、学びませんか?
1枠/80分/33,000円
家族や夫婦、親しい仲間と元に学べば人数が増えるごとに2枠/160分、3枠/240分で1講座を学ぶことが出来ます。
全十一回講座です。
家族に引きこもりがいなくても、友人や知人、生徒さんや関わる人たちの「どこにでもある問題」でもあるので、学びはじめると世界が変わりはじめます。
問題を問題だと認識することは「勇気」が必要なことです。
問題だと認めると改善に取り組まなければならない現実への責任を追求されてしまいます。
学ばなければならないことがたくさん見つかってしまいますが、我が子の為、家族の為に逃げる道はありません。
見える世界ではない為に、自分に嘘をつけば幾らでも逃げ延びられる「責められることもない」物事です。
見せかけだけ「丁寧で、根気強く、励まして、笑顔を向ける」ことが出来ていれば悪くいう人はどこにもいません。
「そこに引きこもる問題を抱える人」がいるだけです。
突き放しても、抱え込んでも問題が消えて無くなるものではないのです。
取り組んで解決して行くことです。
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