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人の夢の中を生きる。

心と言葉の研究者 リーディングマスター・まさみちです。心理カウンセラーしています。前世療法など、人の無意識が過去世の体験によって培われていることを最初に知れたとき、深い感動を覚えました。それを解き明かすことが出来るならば、様々なことから解放されると思い、「リーディング」という読み解く道に踏み出しました。

著書では、退行催眠などの療法を使うものでしたが、私は独自に自分の過去世も、他人の過去世も自在に見に行ける意識の使い方を探究して獲得していきました。

これはシビれるほど、歓喜に満ちた深い感動を与えてくれるものとなり、無意識下に隠されたトラウマが顕在意識を圧迫し、現実を歪めて届け苦痛たらしめるものを取り除ける力となりました。

心の研究は、意識の研究となり、過去世を読み解く「阿頼耶識(あらやしき)」や、過去世を股にかけて捉える「阿摩羅識(あまらしき)」を自力で獲得して行き、全ては何かの『学び』の為に形成されているものだと感じるようになりました。

気づけば呼吸のように息するように使われている「乾栗陀耶識(けんりつだやしき)」というものも、識別し、使いこなせるように到りました。

悟りを開いた「わたし」が感じることとして、この「乾栗陀耶識(けんりつだやしき)」の意識の使い方は、他者に伝え広めたいものとして、無意識下の価値観を書き換えることが出来る真実があり、それを使えば幸せを体現出来るものとわかって欲しいと願うものでした。

この記事を書き始めて、久しぶりに「前世療法」や著者のブライアン・L・ワイス博士のことを思い浮かべたとき、退行催眠で過去世を語る意識が私の知っている意識の領域と違うことに気づきました。

あ、そうか、まだ捉えられていない意識の在り方があるのだ。

と、気づいてそこへのアクセスが出来るように自身の無意識下における否定的認知の歪みを修整して十一番目の意識「沸虚識(わこしき)」と名付けますが、これを発見出来ました。発見と言っても使っている人は他にもたくさんいるでしょうから、特別不思議なものでもありません。

霊的進化を促す超越意識の存在からのメッセージとでも呼ぶような領域です。

エドガー・ケーシーが催眠療法により、様々な治療法をリーディングで読み解く時にアクセスした領域でもあります。

何しろ、ここにアプローチするには、自我の影響が兎に角邪魔であり、他者の夢の中(多くは親の無意識の中)で生きている限りは、到底その領域には到達出来ないので「退行催眠」という自我を眠らせる方法が取られるのです。

お遍路を歩き、三十三番札所まで到達することで、偏りのある無意識を祓い清め、本日、私たちを覆っている他人の夢の世界から抜け出すことが出来たので、ここにアプローチすることが出来ました。

人類の霊的革新について尋ねてみると、「犠牲を生み出す意識の在り方を止めること」が昨今の課題だと出て来ます。

これを肯定的な文面に直すと「創造性の素晴らしさに気づき、それに伴う破壊的な変化していく過程の姿を受容し、循環する仕組みを形成させるには、無条件に他の何かに依存し、心から明け渡して頼らなければならないものと心得ること」とした表現にまとまります。

自分を支えるには、自分以外の存在に委ねる必要があることを伝えているものです。

転生する人生を理解するならば、生まれ変わった先の自分の人生を育む未来の親たちは、今生で培われている社会性で育てられる為、今を利己的に生きると、そのツケを未来の自分が支払う羽目になり、社会が育たなければ、未来の自分もその社会によって育て直される為、自分一人が納得する人生を歩めればそれでいいというものではないのです。

過去世において、育て損ねた人がいるならば、その育て損ねた人の元で生まれることとなり、その人たちがどんな概念や社会性を身につけて生きているか体験し、それを理解して愛し、その上で革新していける手を差し伸べられるまで自力で育つことが出来ると、社会は変革していきます。

故に新しい発想は叩き潰される傾向があるのは、歴史のツケの姿なのです。

今解き明かせない問題を、未来へと先送りし、「いつか願いが叶う日が来ると祈って」といったニュアンスで、希望を託すものです。

科学が発達し、先進国の中では飢饉のような餓えがなくなったかのように見えても、実際貧しい人たちは相変わらず多数存在し、裕福なはずなのに貧しさを味わうしかない体験になっています。

その全てが「否定ありき」とした「貧しくなりたくない」から「豊かさがいい」という夢を思い描くのです。

その夢の世界は「貧しい人が虐げられ、豊かな人たちが笑う」のです。

それが親の心の中で見る夢なら、子は豊かになるのか? 貧しくなるのか? それは兄弟によって変わることもあれば、一人っ子であるなら、どちらに舵が振られるかによります。

親が豊かさを体験し笑いたいならば、子は貧しくなり親の庇護を受けなければならない存在としていつまでも伸び悩む苦しみを味わうことがあります。

みんな自分は善い思いをしたいと願うもので、悪い思いを誰かに押しつけてしまう夢を見てしまうのです。

その夢に付き合わされるのは、自分以外の他人です。

他人の夢に付き合っている自分がいるのです。

ただ、この夢が痛々しい夢ばかりの「悪夢」を望む人ばかりなのが問題であり、世界規模で、「悪夢にうなされる」ことをしているので、霊的なメッセージとして「こんな風にしてみないか?」と呼びかけがあるのですが、自我が邪魔をして聞けないものなのです。

それで退行催眠など、様々な療法により、真実を届けようとするものの、それが社会を変革する流れまで到らないのです。

この「沸虚識(わこしき)」に存在する超越的意識のことを「真靈(しんれい)」と呼称し、それらと対話して問題点を教えてもらうと、「自分の面倒を見ることが出来ない」ことが社会の欠点であると伝えられるのです。

つまるところ、自分で自分の面倒を見て世話を焼けるなら、霊的革新などは難しくないことを言うのですが、何しろ「人のせい」にしたがる社会性が、社会として改まらなければ個人レベルから正そうという発想など生まれても従わないものです。

この部分を「社会がどうであれ、私は人のせいにもせず、自分のせいにもせず、革新していくこと」と到ればいいのです。

自分という各個たる自我を「私」だと主張したい心には、とても認知したくない感覚でもあるので、普及させることが難しいものですが、取り組むしかないので「まさみち」は活動しているのです。

世界平和においても、持続可能な社会の形成においても、人類が悟りを開くしか手立てが無く、霊的革新を果たし、嘘に基づく自我の消滅を果たさなければならないのです。

嘘に基づく自我とは、「全否定の拒絶するものであり、全てにおいて否定で表現し、嫌がり、嫌悪し、その自我のみで存在出来る心のこと」を示します。

それが、鬼、邪、悪、邪鬼、悪鬼、邪悪、魔王であり、魔王が見た夢の中に閉じ込められると、悪魔により管理され、真実を告げられなくなる悪夢を見ることに到るのです。

嘘に基づく自我は、生産性がないのが特徴です。

鬼、言うだけでやらない。

邪、やろうとする意識を危機感を募らせて断念させる。

悪、心配や不安を告げて、慎重論を説き、証明されるまで辛抱するように囁くもの。

邪鬼、出来るわけがないと、端っから諦めさせる意識の蓋であり、「何も思いつかない」思考で隠れ潜むもの。

悪鬼、ダメ出しや,不足感や、不満や、文句を並べ立てて、純粋なる精神性が復活しないよう阻み続けるもの。

邪悪、正当性のある知識を盾に使い、相手の失策をあげつらい、見下し、手を汚さないように隠れた場所から攻撃して、あざ笑うことで正義面するもの。

魔王、完全否定や、存在否定などの拒絶意識そのものであり、嘘の情報を元に理論形成された心のことで、嘘を教えた人が真実を教え直すことで目は覚めるものの、自分が自分についた嘘であると、自分で嘘を暴くことが出来なくなる為、無限の拒絶意識で生きることとなり、自分の思い込みを他者(子や弟子や友)に強要することとなるもの。

悪魔、魔王の夢の中で飼い慣らされ、魔王を打ち破ろうとすると囁きで出て来たり、魔王本人の自我を呼びつけて意識を乗っ取り、本来の純粋の自分の心を封じる役目を果たすもの。

魔物、集合無意識の中で形成された浮いた自我のようなものであり、自暴自棄になっている心につけ込み、意識を乗っ取り、愛する人を破滅へと導こうとするもの。

これらは、意識の働きであり、通常の対話などでは取り除くことが出来ないトラウマ的なものです。

嘘に基づく自我であっても、純粋な自我を守るつもりで形成されている経緯があるものの、その役目を忘れ去り、自分を苦しめることに到っていることに気づけば取り除かれるものです。

その有効的な対策として「告白」というものがあり、キリスト教圏では「懺悔(ざんげ)」とした罪の告白において、嘘に基づく自我の消失を狙うことがあります。

ただ、これは告げる相手が聖者など、霊格を帯びた「ただ者ではない」ような存在でなければ意味を成さないことを伝えておきます。


時代は霊的革新に向けて動き出したことを伝えて欲しいとメッセージが届きますので、ここに記しておきます。


いかがでしたでしょうか?

では、また。

自由にコメント欄などで質問などありましたら、書き記してみてください。

リーディングマスター・まさみち。



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