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男性性嫌いが感情の暴走を生む

リーディングマスター・まさみちです。四国八十八カ所巡礼の旅の最中であり、歩き遍路をしております。心理カウンセラーをしていまして、仏さんとの対話から、仏さんからのメッセージなども読み解いて何かしら役立つことはないかと探求しているものです。

三十七番札所・岩本寺ではお坊さんの方とお友だちになるなどして、世界が思いのほか変わりつつある現実を見ております(今までにない流れという意味合いでです)。

三十八番札所・金剛峯寺まで90キロ以上離れており、丸三日かけて到達するようなところにあります。そして三十七から、三十八へと札所の数が上がる過程の道中も、お遍路さんとしては大変価値のある行程です。

数字が上がることの意味をリーディングしてみますと、

数が1つプラスされることとは
陰・持ち味が全く別の様相をはらみ、どんな変化が訪れるかわからないもの。
陽・構造そのものが変わる為の力が加わり、想定した通りの結果を生み出すもの。

陰は変質するかどうか不明として捉えているものの、陽は予測通りの想定した化学変化しか起きないと定義しています。

つまりは、陽に偏りすぎると、想定したものしか考えられなくなり変化をもたらすことが不能の場合もあります。

37→38へのお遍路の道行きでは、「超越する変容」としたキーワードが閃き降りてきたので、ここからの3日間は大転換が起きるのではないかとワクワクしています。

さて、今日の気づきは、タイトルにありますように男性性や女性性を嫌うテーマについてです。

「♠男性性を嫌うと感情が暴走し易い、もしくは劣等感で動けなくなる」
「♦女性性を嫌うと孤立するか、もしくは先入観に閉じこもり価値観を動かせなくなる」
「♣男性性を拒絶すると理論が破綻し感情論と自我の正当性を貫く、もしくは能力主義に走り理詰めで相手を追い詰めるようになる」
「♥女性性を拒絶すると状況判断が瞬間的に途切れ物忘れとして出てくる、もしくは表向き我慢強く耐えるようになるものの、裏側では不当な扱いを受けてはどこか弱い人(子どもや老いた親など)に向けて怒ることとなる」

この上記の問題を掛け合わせていくと、以下のような13パターンの問題が隠れているものです。

①,自分で出来る事を、わざわざ忙しくしている私にやらせて来るのが無性に腹が立つ。
②,指示しないと動いてくれない。外面ばかり良くて哀しすぎる。
③,自分のことしか考えないような振る舞いが続き、責め口調で追い詰めている。
④,何も事情がわかっていない存在から意見を言われ、それが的外れだから余計に腹が立ち、近寄らせないように遠ざけるもののまた口出しされてうんざりする。
⑤,人の苦労も知らずに批難されると、「ここ」からいなくなりたくなる。
⑥,謝れば済むと思った態度が許せない。
⑦,気づいたら「どうして一緒に暮らしているのかわからない」感覚に襲われて何もかも投げ出してしまいたくなる。
⑧,物が覚えられない為、自分は不出来なんだと諦めて消極的な生き方しか出来ないでいる。
⑨,必要とされている感など受けたことがなく、「家族の温かさ」を感じたことがない。
⑩,どうでもいい話しを延々と聞かされ、それを断るともの凄く不機嫌になるので扱いづらくて仕方がない。どこまでも自分が一番正しいとした姿を見せてくる。
⑪,絶対に自分で間違ったとわかっているのに謝らない。
⑫,「自分で「やりたい」と言い出して巻き込んでおきながら、「やっぱりやめる」と言い出すので、フォローや励ましに徹しなければならず、結果手伝う自分が主体になって動いてしまう現実。
⑬,嫌だと伝えているのにやめてくれず、我慢の限界が超えた時「離婚」や「決別」という手段に出れば済むという切り捨て型の価値観しか育くんでおらず、人のせいにして終わらせてばかりいる。

これら13個のいずれかを感じ取ることがあれば、男性性や女性性のどこかを嫌ったり拒絶していたりする想念を抱いていると考えてください。

この価値基準は、どこまでも平行線や対立しか生まず、解決に至らせてはいません。ところ変わればまた再燃し易いもので「気づき」が不可欠です。

しかし、同性であれ、異性であれ、嫌う価値観は良くないことぐらいはわかるものです。それでも人は、不快にさせる相手や、問題行動を起こしているのは「人のせい」にしてしまえるもので、それをする限り改善の道が開かれないのです。

「人を嫌うことは良くない」と、知っていてもやってしまうのか、知らないからやってしまうのか? 『人のせい』に出来る価値基準は自分の問題に取り組まずに済む大変便利な価値観です。

♠『人のせい』にしている人が、金銭的(純粋意識的)に豊かになることはありません。
♦『人のせい』にしている人が、自己改善能力を身につけることや他者からの深い信頼を受け、安らかになることはありません。
♣『人のせい』にしている人が、道義的交友関係を基軸にした人同士の繋がりを持ち、みんなに認められ、受け入れられ、大事にされることはありません。
♥『人のせい』にしている人が、物事の本質や真実を見つけ出すことなど出来る筈もなく、自身の劣悪さを相手に投影して嫌い、退ける行為を繰り返すだけで、抜本的な解決に至ることなどありません。

まずは、自らの価値観を現状維持しているのは自分自身であると認めることです。

人から教わったことでも、それが誤りであるなら治して行けばいいものです。間違ったことを教わり、それを心情の中心に据え置いて他者と関わると「面倒」なことが起きる可能性が高まります。

♠「面倒」にしないためにも、『どれも自分の行動認識、解釈のそもそもの発想の問題だ』と捉えられると、道が開かれます。
♦「面倒」にしないためにも、『どれも自分の意志の強さ、リスクの大きさを知らぬことが問題だ』と捉えられると、道が開かれます。
♣「面倒」にしないためにも、『どれも自分の知識と閃きの発想力や洞察力の問題だ』と捉えられると、道が開かれます。
♥「面倒」にしないためにも、『どれも自分に取って関わるどのような立場や関係性であったとしても、かけがえのない友人(家族)として扱えないことが問題だ』と捉えられると、道が開かれます。

性別的なもの(自分とは真逆なもの)を嫌うことで、とてつもなく大きなものを失うことになります。

故に、「嫌い合うことがないように」とヨーガの世界では教えているものです。仏教の根底にはヨーガの思想が流れています。

♠はカルマ(行為)・ヨーガとして、行動しながら目の前に訪れた苦難を最良で最高に磨かれた自分で応対するなら何が気づきとして訪れるか? と教えるものです。
♦はラージャ(意志)・ヨーガとして、感情の制御の方法を会得し、怒りや焦りや不安や哀しみに突き動かされない強靱な精神を養えると何がわかるのか? と教えるものです。
♣はギャーナ(知識)・ヨーガとして、叡智からもたらされた知恵の知識を習得し、よく考えることで物事の本質は何もないと見抜けるようにし、他者を導いていくことで見えてくるものはあるのか? と教えるものです。
♥はバクティ(慈愛)・ヨーガとして、愛の眼差しを胸に、誰に対しても尊師として敬い、尽くし、学び、共にいることで「真実の愛」とはどのような本質を示しているのか? と教えるものです。

一度嫌ってしまうと、その「哀しみ」は転生しても癒えることがない深い哀しみとして刻まれていることを知らないため、人は容易く「絶交」のような「拒絶する大嫌い」を使うのです。そして永遠に愛を見失うのです。

夫婦間や家族間の不毛な争いをやめにしませんか?

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