「嫌い」を科学する
リーディングマスター・まさみちです。見えない深層心理を紐解いて心のケアのお手伝いをしております。心が現実を作り出している因果関係が解るので、根源的な問題を改善すると現実が変わることを伝えております。
意識レベルマップから問題を考察してみます。
意識レベルマップを追加して、「010〜001」までを加えてみた。
心理的トラウマとなるレベルである。
今回はここにも関わる問題を解説してみたい。
前回、「怒り」を学ぶことで、人が何に対して反発しようと抗っているかを紹介した。少しでも頭の整理に繋がればと願う。
今回は「嫌い」についてだ。
「嫌い」というものは「反発する想念の渦(アトラクターフィールド)」がある。
怒りと同様に、自分に取って都合の悪いものを「嫌う」ことで心を守る働きがある。自我の働きとして、生存本能など防衛する意識が高まれば、危険回避運動に出るものだ。
身の安全を図る為に「嫌い」という思いを放つ。
どんな「反発する想念の渦(アトラクターフィールド)」があるのか?
1,平和を嫌う。622〜002「愛されたいけど愛されない」
2,自分を嫌う。544〜003「幸せでいたいけど、感じられない」
3,父を嫌う。522〜004「社会的自立を望むものの、自立出来ない」
4,母を嫌う。504〜005「円満な家庭を築きたいけど、築けない」
5,家族を嫌う。500〜006「お金で願いを叶えたいけど、お金がない」
6,孤独を嫌う。450〜007「好きなことをして生きたいけど、我慢する」
7,真実を嫌う。420〜008「ユーモアな毎日を望むが、笑えない」
8,好かれることを嫌う。380〜009「優しくされたいが、冷たくされる」
9,束縛を嫌う。350〜010「認められたいが、惨めな目に遭う」
10,世話されることを嫌う。320〜020「求められたいが、恥をかく」
11,頼られることを嫌う。310〜030「備えていたいが、後悔する」
12,必要とされることを嫌う。250〜050「頑張っているが、ガッカリする」
13,利用されることを嫌う。200〜100「自分を信じているが、責められる」
このようなものがある。
あくまでサンプルであり、個人に当てはまる情報ではない。
それでも多数の人をリーディングして出しているものだ。
「反発する想念の渦(アトラクターフィールド)」は、嫌いのオーラで世界観を形成し、「求めつつも得られない」といった頑張っても報われないことを示している。
1,平和を嫌う。622〜002「愛されたいけど愛されない」
002,「無下に見捨てられたくない」→622,「愛する人と仲睦まじく過ごしたい」と望みは高くもつが、現実は002,の負の想念に引きずられ「見捨てられてしまった」という結果に陥る。
負の想念で枠組みを創り上げて、そこから抜け出せなくなっている「フィールド」があると知って欲しい。
これが本当に悪さをするのだ。本人がどれだけ努力しようが、運命とは残酷なもので、ズルズルと努力をあざ笑うかのように破綻していく。
自分の意識の中で「平和を嫌う」なんてことは少ないが、問われると「平和なんて一時的な夢みたいなものだ」という現実的な事実に基づいた解釈で説明する人や、そうした人と関わっている場合は要注意だ。
2,自分を嫌う。544〜003「幸せでいたいけど、感じられない」
003,「こんな思い二度としたくない」→544,「いつか自分を受け入れてくれる人に出会いたい」と望むものの、受け入れてくれる心広い人の愛情を試しまくってしまい、信頼をぶっ壊してしまい見捨てられたり、有り得ない酷い仕打ちばかりされたりして別れることになる。
殴る蹴るのDVのパートナーを無条件の愛で受容する自分になれば、このフィールドは突破できるものの、「自分を嫌う」ことで「自分がめっちゃパートナーから嫌われる体験」として味わう為、死ぬ思いで逃げ出してくるなんて人生になる。
3,父を嫌う。522〜004「社会的自立を望むものの、自立出来ない」
004,「都合の良い存在になりたくない」→522,「役に立つ人として活躍して、認められる人格者でありたい」と願いつつも、下働きや最悪な上司にいいように使われて疲弊し、うつ病になって退職するなどしてしまう。
運に恵まれないなどと、父親との関係性がうまく行かないことが最悪な現実と連動していることに気づかないと、対処法を間違える為散々な思いを繰り返す。
4,母を嫌う。504〜005「円満な家庭を築きたいけど、築けない」
005,「母の言いなりになりたくない」→504,「どこまでも応援して支える存在でいて欲しい」と願いつつも、現実は子ども扱いが幾つになっても続き、成功していても否定や注意が来て、失敗していると駄目出しの追い打ちが繰り返されてしまい、子どもがいくら嫌がり改善を求めても全く聞き耳を立てて貰えず、疫病神のように子どもの精気を吸い取りつつ、母親だけが元気でルンルンしていられる世界を構築する。
5,家族を嫌う。500〜006「お金で願いを叶えたいけど、お金がない」
006,「邪魔されたくない」→500「多様性を認めて受け入れて欲しい」と願うものの、なぜにどうして「あなたにそんなこと言われなければならないの?」といういちゃもんなど受け、あちらこちらで気を悪くする目に出くわし、頑張ろうとしても足を引っ張られる現実が出てしまい、苦しくなる。
家族から離れることで一時的に回復するように見えるが、フィールドは距離など関係なくある為、うまく行き出すと壊れていく現実でこのアトラクターフィールドに気づける。
6,孤独を嫌う。450〜007「好きなことをして生きたいけど、我慢する」
007,「責め苦を受けたくない」→450,「思い通りに生きたい」と願うものの、様々なしがらみや価値観の相違に阻まれ、自分の想いを我慢することによくなる。
思わず他人に意見を求めてしまい、その意見に左右されて自分で居られなくなる。
なんだかんだ文句や不平を言いつつも、最終決断権が他人になり、自分の気持ち優先出来ないことで、何かに当たり散らさないと健全でいられなくなるほど、よく泣くフィールドに閉じ込められている。
7,真実を嫌う。420〜008「ユーモアな毎日を望むが、笑えない」
008,「同じ間違いを繰り返したくない」→420,「明るく楽しい毎日を過ごしたい」と願いつつも、重要な部分を聞き逃したり、伝達されない意地悪な体験をするなどして、「真実」から遠ざけられてしまい逆境に立たされやすい運を持っていると感じる。
「笑えない」出来事が続くもので、「ため息」をよくつく傾向がある。
「どうしよう」と悩ましいことが繰り返して浮かび、物事を真っ直ぐ見られないことで、抑圧が溜まり、自業自得と思える現実となって跳ね返ってくる。
8,好かれることを嫌う。380〜009「優しくされたいが、冷たくされる」
009,「仲間外れにされたくない」→380,「いつも優しく大事にされたい」と願うものの、突然冷たいことなど言われて誤解が始まり、弁明したり、対等に渡り合おうとすると問題を悪化してこじらせてしまい、決別という結果を招いてしまうもの。
自覚症状が薄く、人のせいにしてしまうため、改善することが困難なものである。
9,束縛を嫌う。350〜010「認められたいが、惨めな目に遭う」
010,「無惨な目に遭いたくない」→350,「自由奔放で過ごしていたい」と願うものの、凄く気の合う友人や恋人が出来てルンルンになっても、長続きすることなく別れ、また恋愛してウキウキになるものの、不当な束縛に遭っては激怒りして別れることを繰り返す。
自身の許容のなさを棚上げし易く、フィールドに閉じ込められている想念もないため、「不幸な人」と片付けられて本人だけいつまでも幸せを逃し続けることとなる。
10,世話されることを嫌う。320〜020「求められたいが、恥をかく」
020,「恥ずかしい目に遭いたくない」→320,「正義感満載で、人の為に頑張る」と望みつつ、努力と研鑽を重ねても大事な場面でミスをしてしまい、チャンスをものに出来ない残念な展開を持っている。
あがけばあがくほど、散々な目に遭い、諦めることでしか自分を慰め幸福にする力がないと妥協続きの生き方をしてしまう。
11,頼られることを嫌う。310〜030「備えていたいが、後悔する」
030,「後悔したくない」→310,「意欲的に目標に向かって頑張る」つもりで様々なことに手を出し勉強している気になるが、実践では通用しない程度でしか磨き上げていないと気づかないため、認められない体験や受け入れて貰えない体験となり、後悔やら残念やら、不正に手を出して罪悪感に悩まされることとなる。
12,必要とされることを嫌う。250〜050「頑張っているが、ガッカリする」
050,「決して諦めたくない」→250,「正しい選択をして、人生をコントロールしたい」と、真剣に物事に取り組んでいるつもりでも、世界が思うように答えてくれないとした途方もない徒労感が続き、「どこまで頑張れば辿り着けるのか?」という気持ちにさせられる。
そもそも必要とされることを嫌うということは、相手に服従を強いられるような感覚に陥るため、そういう人とは関わりを持たない様にしている為、このフィールドから脱出させてくれる人ほど嫌う傾向になる。
自分が嫌っているものから助け出される手など受け取れないのが実状である。
13,利用されることを嫌う。200〜100「自分を信じているが、責められる」
100,「怖いものには近寄らない」→200,「きっと明日はいいことがある」と信じて努力を重ねても、ケチをつけられたり、否定の限りをされて「そんな言い方しなくても」「こんな扱いないよね」と、自分の放つ想念の低さに気づかず、相手を悪者に仕立て上げ、悲しいほど辛い現実を繰り返している。
同類相哀れむという価値観で、互いを理解し共感し合える者同士でコミュニティを形成し、「仲間が居るから頑張れる」として、否定的なアトラクターフィールドから出なくなってしまう現実がある。
まとめ
「嫌い」という価値観は、檻のようなものである。
そのから抜け出そうと飛び上がるものの、ネガティヴな足枷があり、飛んだつもりでも墜落してしまう現実になって我が身に起きている。
嫌いを辞めて、好きに改めることが出来ると世界は大きく変容を迎える。
しかし、孤独感に慣れてしまった自我の発想は「これでまぁまぁ上手くやっているから平気だ」としてしまい、自分の価値基準が「平和を失い」「愛を失い」「尊厳を失い」「理性を失い」「許容を失い」「意志を失い」「挑戦を失い」「勇気を失い」散々な現実になっている事実を認められなくなっているものである。
改善方法は、「好きになる」という道があるが、単独で歩くには難しいもので手を取り導いてくれる存在がいる方がよい。
本来は自分の中にいる「大いなるわたし」という根源愛のようなものと繋がる(ヨーガする)ことが出来れば、変化も得られるが、「嫌い」という価値観を育ててしまった認知の歪みを改めることは本当に難しい。
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