東アジアの歴史ー中国2
秦の始皇帝が中国を統一し、
それまで封建制だったのを郡県制にしました。
ほら、封建制って、
「あなたが忠誠を誓うなら、ここの土地人ぜーんぶ任せるよー」
だったでしょ、それが
「官僚が赴くのですべてその人の指示に従ってください」
みたいな中央集権になったわけです。
それだけ見ると、アレですね、よく会社の中でも見られるような、
本社vs支店
みたいな構図になるんだけど、
秦でも多分に漏れずそうなったわけです。
始皇帝が決めたことに逆らうのか貴様!!!とかね。
当然、
「急にそんなこと言ったって!プンプン」
「勝手に決めるなムキー」みたいな不満がですね、積もっていくわけですね。
で、秦の始皇帝が死んだら、15年で国もなくなっちゃった、と。
はい、有名な方ね、上の画像の方。
でね、一代で滅びちゃったのに有名人じゃないですか。ていうか有名人なんです。教科書にもたくさん顔写真のせてもらって。
なんでかっていうと、貨幣とか文字を統一したのですね。
そして、度量衡という、はかる単位ね。
今までは地域によって使う文字が違ったり、尺度が違ったりしました。だって、違う人がそれぞれおさめていたのだから。でもそれが中央集権になったことで、統一する必要が出てきた。
当然そういった改革が突然実施されることに対して不満が募り、反乱てことになったのですが、
今の中国を考えたとき、一つの文字をあんな大きな土地でほぼ全員が使えるっていうのは、実はこの秦の始皇帝のおかげなんだってことです。だから、有名人なのね。
もちろん、全部に行き渡るには時間がかかるから、「漢字」になりました。漢の時代の字ね。
あ、もちろん、有名な兵馬俑という遺跡で有名なのもありますよ!
さて、そして、おなじみの漢の時代がやってきました。
項羽と劉邦って名前くらいは聞いたことあるでしょ?本当は中学生の時くらいに覚えたはずなんですがまあ忘れて当然ですよね、もうずいぶん昔だものね。
で、この二人が争って結局劉邦が勝って漢王朝ができたのが、紀元前202年。
前に司馬遷の話を書きました。
「史記」という書物を書いた人です。それは一冊の本ではなくて、何冊にも渡る歴史書、あるいは、歴史小説と言う人もいます。年表形式になっていたり、人の一生が描かれていたり、色々な書き方で記されています。その、人の一生が描かれているのを「列伝」といって、例えば劉邦以外の項羽のことまでもが今でも語り継がれているのは、この列伝のおかげです。
史記以来、次の王様が前の時代の記録を残すというしきたりができました。
司馬遷は、こんなしきたりまで作っちゃったのね。すごい。
司馬遷については別の機会にまた書きたいと思います。
漢は400年近く続きました。途中違う国になったりもしますので、前漢と後漢という表記をしますけれど、それだけ長く人を引きつけた漢という国は、いったいどんな国だったのでしょうね。
劉邦も項羽も、ネット検索してみてほしいのですね。
項羽と劉邦って、かなりよくテレビドラマや映画になっていて、
かっこいい配役になっているけれど、、、
検索してみると、、、
あの、なんていうか、結構いいおじさんなんですね。。。
この、note、写真がたくさん載せられないのがネック・・・
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