ゴールとは「考えるな、感じろ!」
コーチングを学んだ多くの人間は、ある関門に、行く道を遮られると思うんですね。
即ち、ゴールとは、どうすれば達成できるか分からない、現状の外側に設定するものなのは分かるけど、その後どうすれば良いの?
一体どうやれば、ゴールは達成できるの?
そうやってドツボに嵌まっている人は、意外と多いのではないでしょうか。
しかし、その前提からして間違っています。
ゴールは分からないままで良いのです。
間違っても、現状で解決しようとしてはいけません。
つまりそれは、ゴールの達成の仕方が分からないまま生きていく、ということです。
「分からない」という疑問を常に保持し続けることが、ゴール達成の基本なのです。
所謂、ランダムネスですね。
……しかし、それは一寸先も見えない暗闇の中を歩いていく、ということでもあります。
ゴールに生きていくとは、そういう臨場感なのです。
仏陀の言葉に、このようなものがあります。
「弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。」
これをヒーラー的に解釈すると、灯火にする自らとは、まさに身体です。
そして法(ダルマ)とは、ゴールなのです。
拠り所にするのは、ゴール以外にあり得ません!
何故なら、これさえ信じていれば救われる、なんて絶対的な真理はこの世には存在しないからです。
私たちは、一人一人それぞれ違う世界に生きています。
そんな考え方も生き方もまるで違う、全ての人々を救う考えなんて、冷静に考えて、存在する訳がないでしょう。
だからこそ、宗教に生きる人は、死ぬ直前に後悔します。
自らが拠り所にした教えが、己を救ってくれることはなかったからです。
八十代以上の老人に、「今最も後悔していることは何ですか?」とアンケートを取った時に、「チャレンジしなかったこと」と答えるのと同じです。
資本主義が、会社が、社会が、金銭が、自らを救うことはないのです。
故にこそ、
自らを助けてくれるのは、
拠り所にできるのは、
自らのゴール以外にあり得ないのです。
ゴールの世界こそが、私の、そしてあなたの究極の理想です。
つまり、あなただけの真理です。
仏陀の言う拠り所にする法(ダルマ)とは、まさしくゴールなのです。
そして、そのゴールを拠り所にする為に、私たちは自らの身体を、灯火とする必要があるのです。
暗闇を踏破し、ゴールに行き着く為には、磨き抜かれた身体こそが必要です。
ここで本記事のタイトルに行き着きます。
ゴールとは「考えるな、感じろ!」
「考えるな、感じろ!」とは、『燃えよドラゴン』に登場するブルース・リーの名台詞ですが、実はこれには続きがあります。
「これは月を指さすのと似ている。
指に気を取られていると栄光(月)を見失うぞ。」
この指とは、まさにゴールの達成の仕方です。
私たちは、指なんてものに注目して、月を見逃す訳にはいかないのです。
ずっと月(ゴール)だけを見ていたいのです。
だからこそ、「考えるな!」なのです。
それでは、一体何を「感じる」べきなのでしょうか?
予兆です!
ゴール側からの予兆です。
それを“身体”で感じ取るのです!
コーチングにおけるRASやスコトーマの定義において、私たちが認識する情報全てが、ゴールに関係する情報です。
ゴール側からの予兆です。
その情報を、身体で感じ取るのです。
感じ取ることができれば、やるべきことが見えてきます。
見えてくるというより、勝手に身体が行動し始めます。
まさに無意識(オート・パイロット)です!
その為に、身体を研ぎ澄ましていきたいのです。
身体が壊れていると、ゴールに関係する情報が、スコトーマとして認識できません。
いえ、認識はしています。
ただ意識に上がらないのです。
本当は、ゴールに関係する情報のはずなのに、自分には関係ないと脳に勝手に処理されてしまうのです。
だから、身体は超重要です!
私があなたに提案したいのは、たった一つです。
身体のゴールを持ちましょう!
スポーツでも何でも、自らの身体の重要性が上がるゴールであれば、何でも構いません。
年齢も、性別も、関係ありません。
身体のゴールを持ち、気功をそのゴールを達成させる為に、利用しましょう。
要は、遊ぶだけで良いのです!
それだけで、人生が猛烈に書き換わります!
そう考えると、すごくお得じゃないですか?
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