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分かり方を変えて、伝え方を変える
人はどうやって物事を分かるのか、人が「分かる」といえるためにはどういう要件が必要となるのか、「分かりにくい」ものを「分かりやすく伝えるにはどうすればいいのか」
神経科学や高次機能障害を研究されている山鳥重教授による「わかる」とはどういうことか(ちくま新書)を読みながら、そんなことを考えた。
本書によれば、人の心の働きというものは「感情」と「思考」の大きく二つに分かれるが、この「思考」というものは「心象」というものを相手にしている。この「心象」というものを上手に捉えられるかどうかが、「わかる」の成否を分けるというのだ。
ではこの「心象」とは何なのかというと、これは「記憶心象」と「知覚心象」に分かれる。
我々が何か物事を「分かる」という時には、自分がこれから分かろうとしている対象物と、自分の記憶心象との間に適切なコネクションが作られる必要がある。
この「記憶心象」がうまく機能する時、私達は物事を「わかる」ことができる、というのだ。
逆に記憶心象に対象物を理解するための材料が揃っていない場合、私達はうまく物事を理解することができない。
認知機能が衰えた人が、新しいことを理解したり吸収したりすることが困難な理由がここにある。
また、私達が新しい言語や記号、概念などに接する時にも同じことが起こる。特に最近ではやたらと三文字横文字用語が氾濫しているが、これらの言葉の多くを、どれだけの人が正確に「わかって」いるのだろう。
本書で山鳥氏は、
「音だけを気分で使っていると、頭の方がそれに馴れてきて、聞きなれぬ言葉を聞いても。「それ何?」と問いかけなくなります。頭の中を記号だけが流れるようになります。
と、言葉の正確な意味を捉えようとする努力を怠らずに、それを自分の記憶心象にしっかりと焼き付けることの重要性を説いている。
確かに「あやふや」に理解していることは、きちんと伝えることができない。
何かを「伝える」ということを考えるのに、まずは何かを「分かる」ことかを考えないといけないのかもしれない。
そして、「分かり方」を適切に変えることができれば、「伝え方」も自ずと良い方向に変えていけるかもしれない。
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