国家なき社会を想像する / 『くらしのアナキズム』
松村圭一郎
『くらしのアナキズム』 (ミシマ社、2021年)
「くらし」と「アナキズム」
この妙な取り合わせが気になっていた。
「プレバト」の俳句査定を見ていても、一見すると全く関係性のなさそうな言葉が組み合わされている作品が好きだ。新たな関係性が作り出される快感。
このタイトルを一目見たとき、このテの違和感があり興味をそそった。
それはいいとして、
アナキズムってたしか無政府主義だとかに訳される
危険思想の類じゃなかったっけ。
それと「くらし」。うーん、見当がつかんな、、
ということで読んでみた。
おもしろい!!!
この本で考える「アナキズム」は達成すべき目標ではない。むしろ、この無力で無能な国家のもとで、どのように自分たちの手で生活を立てなおし、下から「公共」をつくりなおしていくか。「くらし」と「アナキズム」を結びつけることは、その知恵を手にするための出発点だ。(本書、p.13)
なるほど、国家に頼るのではなく自分たちの手で秩序を取り戻していくための思想としてアナキズムを捉えるわけだ。
うんうん、それはわかった。じゃあ、どうやってその「公共」とやらを作り直せばいいのさ?そこでヒントになるのが、著者の専門である文化人類学の知見の数々。
世界を見渡してみると、国家に頼らず、ときには抵抗し、自分たちで助け合いながら生きている人たちがいるということに気づく。その例として、文化人類学の研究対象である様々な先住民族の人々が取り上げられる。この「無名のアナキスト」たちの見ている世界を通して「国家なき社会」を想像する。そして、彼らの知恵をくらしに活かしてみる。そうすることで、失われつつあった草の根レベルの秩序を取り戻す。
実際、このコロナ禍で国家が機能不全を引き起こし、医療や教育の牙城が切り崩されるのを散々見てきた。僕らが生きる社会がこれほど脆いものだと思わなかった、という人も多いのでは。そんな今だからこそ、手を取り合って下からの秩序を作り直す必要があるのではないか。
ざっくり言うとこんな感じ。
みんなもこの本を手に取って「国家なき社会」を想像してみよう。そして、そこで生き抜く術を学ぼう。
著者の松村先生が聞き手として人類学者に話を聞くコクヨ野外学習センターのポッドキャスト「働くことの人類学」シリーズも聞いてるけど、めっちゃ面白いよ。
https://anchor.fm/kcfr/episodes/1-ehehj2
おまけ
「どうぶつの森」がフリーライフなのは国家による統制が存在しないから、ともいえるかもしれないね。でも、厄介な政治とか難しい経済を抜きにしたフリーライフなんてものは幻想でしかないような気もする。