指示待ちでいいじゃない
新社会人が羽ばたく4月。
少し落ち着くと、こんな記事をよく見る。
とか。
「最近の若者」と毎年毎年言われ続けていて、主語が本当に「最近の若者」なのかは分からないが、アラサーにもなるとジェネレーションギャップに感じることもそこそこ出てきた。
その中で、「指示待ち人間の多いこと多いこと…」なんて記事は毎年毎年見かけている気がする。
指示待ち人間の何がいけないのだろう?
言われたことしかできない、と悪口のように言うけれど…言われたこともできません、よりは遥かに良いと思うのだ。
言われたこともできないならば、そういわれている個々人によって対応を考える必要が出てくるから手間に感じて言うのはわかるが、言われたことはできるのであれば、こちら側が「言えば」いい話なのだ。
それを面倒臭がって、嫌ってしまっているからだと個人的に思う。
言われたことはできるのだから、やってほしいことを面倒でも言って育てていければいいと思う。
言われた側も忘れない努力は必要だし、言われてもいないことを不必要にやってしまって迷惑を掛けてしまうのであれば、言われたことだけを忠実にこなすのが安パイだ。
言われたことの積み重ねをこなしていくうちに、その言われたことの点を線にしていければ、言われなくても動けるようになっていると思う。
自分も社会に入ったときはそんな人間だった。
むしろ、言われてもできないほうの人間だった。
一つ一つの点を馴染ませるのに人より時間はかかってしまったけれども、馴染んでしまえば点が線になるのは早かったように思う。
数年後、それを知らない後輩にデキる先輩の模範例として新人さんに紹介されるのだから、自分からすれば皮肉にすら思えたくらい不出来だった。
最近の新人さんはスタート時点から自分よりはるかに優秀で、呑み込みも早くて…追い抜かされそうな焦りも絡んで、年を経るごとにこの時期は憂鬱だったのを覚えている。
点を馴染ませるには、ひたすら数をこなすのか、動きの形から入るのか、理論から動きを理解していくのか…最初に入った会社ではいろいろな後輩を見てきたが、その人の馴染ませる方法はその当人が一番よく知っているからここに書くまでもない。
ただ、言われたことをやればいいで満足しないでほしい。
勿論、言われたことをできるようにするのが第一目標だが、そこがゴールではなく、点を線にしてナチュラルに動けるようにする努力は怠らないでほしいのだ。
その線から分岐が生まれることもあるし、また別の線を担わされることも長い社会人生活ではよくあること。
その線を多く持っていつつも、効率的な動きであっという間に片付いてしまう…けれどもどこか余裕を感じられるのがプロフェッショナルなのだろうと思って、自分はその見えない形を探している。
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