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たかが仕事ごときで

我が人生の主人公は自分。
それは揺るぎない。

家族ですら、サブ。
彼女だろうと伴侶だろうと、それがどう運ぼうと、ヒロイン止まり。
登場人物がどれだけ多かろうと主役を乗っ取られることは無い。

ただ、現実として生活しているとそうでもないように思わされることが多い。
家族で主導権を握っているわけではないし、学校生活でもイニシアチブをとっているわけでもない、ヒロインも現れない、仕事でも上司の横でちんまりと佇んでいる。
本当に主人公か?と思うときが何度もある。
主人公どころか、真逆のモブキャラ止まり。

そんなことを思うこともあるが、自分の人生は自分のもの。
仕事なんて、その人生を、自分をもっと豊かにさせるためのトッピングに過ぎないもので壊されてしまった。
会社がどうの、というより自分が不出来なのが何よりの要因には違いないし、その考えからもう侵されているのかもしれないが、人生において考えたときに「たかが仕事ごとき」と思えてしまうものにやられてしまったと思うと、なんとも情けないというか、不甲斐ないというか…
人生においてメインになることのないものであるはずだと思う。
思いたい。

ゲームでモブキャラに倒されて舌打ちしてしまいながらも、セーブ前地点に戻されるとか、そんなことが現実では勿論できない。

自分では真逆に思っているが、真面目な人間とか、完璧主義、先述したように最初に自虐を入れてしまうような自己肯定感が低い人間が適応障害になりやすいらしい。
チャランポランとか、実際一緒にいたら嘆息してしまうような人たちのほうが余程世渡りがいいのだろうな。
プラス思考をうまく使っている人々もそう、マイナス思考人間の自分がいたらエネルギーを吸い取るか、吸い取られて干からびそうですらある。
でも、そうなりやすいとしてもベースを変えることはなかなかできない。
というか、ほぼできない。
と思っている。

だから考えを変えて誤魔化しながら生きていくしかないのだろうと思う。

エネルギッシュに仕事で成果を出そうなんて考えは、自分には皆無で、存在としてはそんなものなんだから。
贅沢をしなければ、不自由なく生活を家族と笑って過ごせるくらいのお金をくれれば、それで仕事は充分と思っているのだから。

私生活ならともかく、仕事でくたばっても会社は面倒を見てくれない。
過労で命を落としても労災判定されるのが数年後だったり、挙句会社がその責任を認めなかったりするこのご時世なのだから、所詮そんなものだ。

と思っていても求職するときは真摯に努めてしまうあたり、性格はもとい、考え方も根本から変わる…なんてことはないだろうな。

こんなことを考えてしまうと焦ってしまうが、ひとまず一回休まなければ。


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清水青庸
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