自分で歩いていって入院した日。〜ぜんぶ夏のせいだ〜#1
あれはそう、ちょうど二年前の8月31日。
突然、入院することになった。
大好きな江ノ島へ出掛けて海を見て、お気に入りのラーメンを食べて、
その次の日のことだった。
前日:それは8月30日。
接客業に夏休みなどありもせず、仕事ばかりでもうしんどい、せめて夏らしいことがしたいんじゃと、ふつふつとしたうっぷんを煮込みながら、残暑に近づく夏の終わりが惜しいようでいてまったく惜しくない。
たまたま公休が被った職場の先輩と交わした、曖昧なオファーの行き先は鎌倉あたりということだけ。
比較的、観光客の利用が少ない鎌倉モノレールに乗っておいでというので、その時初めて乗ったがとても楽しかった。
降り立った駅でわたしをピックアップして、そのまま海沿いの車道を走る。
ばぁちゃんが鎌倉育ちだからさ、よく来たんだよねと青春時代を過ごした『元』地元っ子だと仰る人が、慣れた様子でハンドルを切る。
道路沿いに建ち並ぶお洒落なお店を解説をしながら途中、浜辺へ降りて散歩したり、ラジオを流しながらいろんなことを話す。
そして横で缶ビールを空けるわたしを自由にしてくれる数少ない人だ。
きっと仕事が変わっても、この人とは長く付き合いそうだと珍しく思う。
帰りは、以前紹介したラーメン屋がいたくお気に召したようで、そのまま環七を走って、さっと食べてさっくり帰って自宅まで送ってくれた。
楽しかったな。
たしか、深夜を過ぎたころ。
明日は仕事だけど、良い気分転換ができた。
サンダルに残る砂を落とし、潮の香りが残るワンピースを脱ぎながら、疲れた身体をお風呂に入れてスキンケアもそこそこにすぐ寝た。
しばらく経ってひどい腹痛と吐き気に目が覚めた。
時計を見ると時刻は深夜、4時近く。
変な時間に起きたくない、大丈夫やろと気づかなかったふりをしてみたが、ずくずくした痛みに到底、耐えられそうになく、暗がりの中ふらふらとトイレへ篭った。
上からも下からも胃の中にあったもの全部出してしまったぐらいで、夜ごはんを無駄にしたと内心すんすん嘆く。
ただ、なんとなく、いつもと違う痛みの感覚と下腹部の右側が痛い気がすると思いながら、胃下垂であるわたしはこんなことが極々たまにあるので、飲み過ぎか食べ過ぎか…と、反省しながら胃薬を飲んでまた寝直した。
痛いには痛いが耐えられないほどではなく、そのかわり、やたらとお腹が張って張って、痛くて眠れなかった。
行きつけの小児科内科
うまく寝れないまま朝を迎えた。
寝不足気味の重い身体に加え、どうにもお腹が痛すぎる。
熱を測ると36.8度。
もともと平熱体温が高いので、過去に経験済みの胃腸炎だったら困るなと思い、出勤前に駅へ向かう途中にある、病院へ行くことにした。
幼い頃から通っているそこは、ついこの間まで、診察後そのまま受付でお薬を処方してくれるような、昔ながらの小児科内科の小さな病院だ。
いまは別のすぐ隣にある薬局で処方してもらう。
数年前、先生が息子さんに譲ったので、現在はその若先生が運営する。
もういい大人になってしまったわたしだけど、風邪程度なら診てくれるので体調不良になると変わらずそちらへ通っている。
出勤が遅れる旨を職場へ一報入れたのち、歩くごとにずしずしとした痛みが内臓に響くのに堪えながら、息も絶え絶えになんとか辿り着いた。
痛い。なんだこれ。
予防接種の注射を待つお子様たちに混じりながら、まもなく呼ばれて診察室に入ると最近やっと見慣れた若先生がいた。
今日はどうしたの?からはじまって、問診と触診を終え、カルテを書く手を止めると、若先生は『うーん』と首をかしげながら腕を組む。
あの先生は肌も白くてちょっと鷲鼻で、鼠男みたいな雰囲気だったけど、若先生はの黒縁のメガネと大きめの鼻が手塚治虫先生の自画像に似ているなと思う。
そんな関係のないことを考えながら、お腹は変わらず痛い。
うん、と一呼吸置いて、若先生はわたしに向き合うと続けた。
『ちょっと気になることがあるから、紹介状を書いてあげる。田んぼの方にある大きい病院、知っているよね、家からも近いでしょ?
これからすぐ電話して、今すぐ本当に今日にでも行ってきて欲しいんだ、
いまこんな状況だから、明日以降来てとか言われるかもしれないけど、紹介状があるってきちんと伝えてなんとか診てもらえるよう交渉してね。仕事は?休める?』
淡々とした口調のなかに、少し強気な要請が見え隠れする。
紹介状なんて貰うのは初めてで、なおかつ白身魚のような淡白でやさしい歯ごたえのある説明だったので、よくわからないまま、はぁいと気の抜けた返事をしてしまった。
会計を済ませ、薬を頂き、職場に連絡すると、昨日夕方から一緒に出掛けた人がでた。
突然で申し訳ないが、と診察結果を他人事のように説明した。
あらあらと心配しながら、仕事のことは気にしないで気をつけて行ってきてね、と快く送り出してくれたのが頼もしかった。
そのまま、教えて頂いた病院受付直通電話へ連絡して、紹介状の旨を伝えると、若先生が言う通り、
『可能であれば日を改めて来てほしい』と日程調整を提案された。
あちらもお仕事なので仕方がない、お互い様だ。
こんなデリケートな時期に申し訳ないです。
しかしそこをなんとか今日中にと言われたものでなんとかならないでしょうか、紹介状もありますし、本当にお腹痛いんです…!!とひらにひらにお願いしてなんとか午後一番に診察していただける事になったので幸運だったと思う。
そして本当にお腹は痛い。
初めてのMRIは宇宙ぽくなかった。
平日のお昼間。人通りは少ない。
駅へ向かう道からきびすを返し、そのまま元来た道を戻りながら田んぼがある区域へ向かう。
紹介状を片手に、こういうものは開封してみて良いものなのかと迷いながら、
はじめてのおつかいよろしく、一人でてってと歩いて行った。
遠目から見えてきたあそこは、二年前に父を看取った総合病院だ。
できればここは、まだ、来たくなかったな。
電話予約の旨を伝え受付を済まし、看護師さんに案内されながら、診察前の検査として血液採取と人生で初めてMRI検査をする。
MRIってあの縦長のカプセルみたいな様子がちょっと宇宙ぽくってわくわくしたけど、
いざ投入されると真っ暗闇の中にウィィィングヮヮヮアンと低い機械音が響き渡り、思いのほかとても煩くてびっくりした。
そういえばいつぞやか元彼のお母さんが『MRIはうるさくて嫌い』って言ってたっけ。なるほどね。
この時の担当看護師さんは、お笑い芸人のハナコの岡部さんによく似ていて、これからは岡部(仮)さんと呼ぼうと思う。
岡部(仮)さん、坊生だけどその白いふわふわしたヘッドキャップって必要なのかなとふと気になってしまって仕方がなかった。
ちょっと気持ちがそわそわ落ち着かないまま検査結果がでたようなので、改めて診察室へ通された。
今夜、空いてるけど、どうする?
お話をはじめてくれた最初の先生は、自分は救急担当医であり、診断結果によりまた担当医師が変わりますとご丁寧な説明をしてくださった。
MRIで断切されたわたしの身体を、先生と二人で眺めながら、ここなんですけど、と腹部の写真を指す。
『ここに白くて小さいぷらんとしたものがありますね、これがそのお腹が痛い原因で急性虫垂炎です。いわゆる盲腸ってやつですね。なので手術が必要です。』
『しゅじゅつ。』
『はい、今たまたま病室が空いているのでさっそく入院して頂いて』
『にゅういん』
『はい、今夜入院して、可能であれば明日手術したいのですが』
『今夜空いてる…?』
『はい、本当にたまたま空いてますのでぜひ。』
ぜひ。
『ご存じの通り、現在の状況はいつベッドが空くかわからない状況なんです。今夜ベッドが空いているのが、本当に幸運なんです。』
明日になるともう入れないかもしれない、と先生は落ち着いた声で入院を推す。
薬でどうにかなりませんかね?
いや、できなくはないですが。ぶり返して手遅れになると本当にちょっと。
今夜だけちょっと様子見て…
いや、騙し騙しになるだけだと思います。
なんとかして入院したくなかったわたしは、あわよくば入院しない譲歩をあれこれ提案してみる。
先生は終始ふふふと苦笑いを浮かべていた。
なんか、困らせてしまってすみません。
自分で言うのもなんですが、物分かりは良い方です。
先生のやさしさと【入院】【手術】という二文字、
仕事のこと入院費のこと、心配をかけてしまう家族のこと急にいろいろ考えてしまって、ごろごろうまく頭が回らない。
ご家族に電話しましょうかと促され、そうですね、と状況整理も兼ねて母の勤務時間を思い出しながら電話を掛けた。
コール音まもなく出た母に事の経緯を説明すると、
「やっだ!!えー、うっそ!!」と受話口でやんや騒ぎながらも、
盲腸はほんとに怖い病気よと神妙な声で話を続けた。
でもね、薬でも治療できるみたいだよ!と伝えるわたしの言葉にまっすぐ、
『すぐ入院しなさい。』と嗜められた。
【夏のおわり】の最終日、それは8月31日のこと。
わたし、今夜入院して明日手術するそうです。
你好。
台湾にあるおばあちゃんちに暮らしている ロロ です。
台北市内の師範大学附属語学センターにて
社会人語学留学をしています。
台湾留学とは全く関係ありませんが、夏の思い出にいつか書きたかったお話です。
ちょっと長くなってきたので、3部作でお届けします。
お腹が痛くなったら体調悪くなったら
ちゃんと病院へ行きましょうねというお話しです。
それではまた明天見。