【黄泉の世界より舞い戻った男②】
〜〜これまでのまとめ〜〜〜〜
・ロスでUCLA付属の専門学校で広告とマーケティングを学んで、現地のTV局へ出勤途中に交通事故にあう
・50日間意識不明から生還
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事故の詳細を簡単に書いていきます。
それはロスにしては珍しい肌寒い雨上がりの日。2014年12月3日(水)午前8時。
勤めていたUTBという現地日本語放送局に車で向かっていました。
私が運転していた車が一般道のヘアピンカーブにスリップして曲がりきれずに、対向車からきたトラックに突っ込み自分が運転していた車が大破(自損事故)。
自分が運転していた車は廃車まで追い込まれました。
画像はイメージであって、黄色い車が私が運転していた車で、灰色のスポーツカーが相手方のトラックです。
本当に幸いにして相手方のトラックは廃車には追い込まれずに運転していた方も無事で、私を警察の方と一緒に引きずり出してくれたそうです。
今思えば私の車にも相手方にも同乗者がいなくて本当に本当に良かった。
事故現場の近くが大学の近くの寮に住んでいたこともあり、事故後直ちに、現場近くの Ronald Regean UCLA Medical Centerに昏睡状態で搬送されました。
午前9時過ぎ救急対応の後、直ちにICUでの集中治療を開始。
2014年12月03日から2015年01月21日までの50日間意識がありませんでした。
事故そのもののときは「痛い」とかそんな瞬間的なことは覚えていません。
気がついたら、ベットの上みたいな感じです。
意識が回復しても、記憶もくっきりちゃんと戻っているわけでもありません。
しかし、ちゃんと見舞いに来ていた友達とかにはちゃんと会話していたみたいですね。
お見舞いに来てくれた友達に当時のことを聴きました。
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・おびただしい量の血が流れてて衣服について、全身包帯と管だらけだった
・(意識回復後)記憶喪失で反応もユックリだったね
・はじめはただボーっとしてて一方的に俺らが話しかけてて、たまに遠い目しながらうなずいたりもしてた
・でも話しかけた会話の1つがきっかけで、マサ(私)の頭が一気にフル回転し始めたみたいで面会中の1時間のうちに、
どんどん普通に会話できるようになっていって全員驚かされたのを覚えてる。etc.
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今回この記事を書くにあたって、いろいろと話しを聞きましたが、改めて事故から4年位くらい経ちますが、中々壮絶ですごい体験だったな、と我ながら想います。
今こうして、ハンディキャップがありながら、色々なことに挑戦し続けていることは現在のコロナの状況だからこそ、活かすことのできることがあると思います。
次回はアメリカの入院生活について書きたいと思います。