私の意思はどこにあるのか。
初回の投稿から気づいたら1年が過ぎていた。
あの後、大学3年生となった私は日々に追われて気づいたら大学4年生になろうとしていることに不安を抱えながら過ごしている。
どうして不安を抱えているのか。
この1年掛けて考えてきた「卒論のテーマ」を使って考えていきたい。
まず、私は短大時代に専攻していたのは「図書館情報学」である。
学科のメインはビジネススキルと教養を身に付けることであったが私はその中でも「図書館についての知識」と「概念的な文化や心理学」について広く浅く学んだ。
しかし、私が今専攻しているのは中国古典文学である。
ハッキリ言って
先生が話しやすかったこと
もともと古典と漢字が好きだったこと
この二つだけで中国文学を専攻することに決めたのだ。
大学に編入した当初は「日本古典文学」を専攻する気満々であった。
でも何故日本古典なのかと理由を書く段階になると書けなかった。
源氏物語は好きだ。でも、それも高校時代に好きだった先生が楽しそうに話す姿に惹かれて読んだからである。
そして今回も懲りずに、指導教員の人柄に惚れて中国文学を選んだ。
一体、私の意思はどこにあるのか。
このことに限らず、私はやりたいことと実際にそれに挑戦する環境を天秤にかけていつも何らかの妥協をしてきた。
本当にやりたいこととは何なのだろう。
この問いの存在に気づいて苦しんでいる。
今更苦しんでいることに不安を感じている。
そして、私は形式上は来年の3月で大学を卒業する。
そして4月にもう一度「科目等履修生」として資格取得のために
週1で大学に通学することが決まっている。
就活をする同級生を横目に見ながら私は大学4年生とは思えないコマ数の時間を大学の講義にさき、将来役に立つのかも分からない資格取得のためにフリーターになり、大学に通う。
みんなが私にもったいないという。短卒でビジネススキルは身についているのに就職しないのかと。
それでも、これは私の今の意思である。
唯一私の意思だと主張できることだ。
たとえ高校時代の自分へのコンプレックスが原因だとしてもこれは私の意思である。
たった一つだけの信じられる自分の意思であり、希望。
これを信じて立ち向かうことが今の私にできること。
そう思って歩いていくことが意思を確かめることであると信じて頑張ろうと思う。
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