東洋思想回帰を望む(空海の夢の先にあるものとは?)<その2>

空海思想として、代表的な「即身成仏」(Buddhahood in this very existence衆生の救済)と「秘密曼荼羅十住心論」(大乗仏教宗派の序列付けではなく衆生の心の在り方をSTEP BY STEP上昇していくプロセスを説明)の2点が出発点と考える。
前者は「悟りに至るには、三阿僧祇劫(気の遠くなるような期間)修行を求めるが従来の顕教仏教」であり、空海はそうではない、即身成仏でいけるとチャレンジの論陣を張った。後者については、長安留学時代に出会った般若三蔵(サンスクリット語と華厳経の師)と直接の密教の師となる恵果の二人が欠かせない。空海自身は恵果の師匠である不空三蔵の生まれ変わりと称する。唐帝国玄宗から三代皇帝たちを操った不空であり、空海の帰国後嵯峨天皇をコントロールしたイメージと被る。
十住心論は、仏道の心の在り方を分析、人類の意識誕生史を踏まえ、小乗(声聞・縁覚)から大乗へ。大乗の開祖ナーガ・アルジュナ(竜樹)の空論と縁起論、更にヴァスバンデュ(世親)の唯識・阿頼耶識の二大巨頭の聳え立つ理論群にも臆することなく進み、長安時代に目覚めた華厳教(理事無碍から事事無碍法界)をベースに、ライバル最澄の天台宗まで肯定的に包含したうえで、「仏教ニヒリズム(否定的宗教観)を超克するものとしての真言密教(肯定的宗教)」を最終ステージに位置付けた、空海信仰ピラミッドを作り上げた。
あの三島由紀夫が自死前にのめりこんだ仏教(著作「暁の塔」)は上記で言えば世親による中期仏教の唯識・阿頼耶識論である。三島の阿頼耶識論も相当深くまで迫ったがまだ上があるという。晩年の空海著作では、「般若心経秘鍵」を手に取れば、他では見れない「大乗仏教統合論」(声聞・縁覚・天台・華厳・三論・法相すべて包含)の内容が展開されている。彼は顕教を密教で変えるのではなく、仏教全体を真言密教で統合化する試みを「入定」前に夢見たのではないか?

(参考)十住心論にいう心の在り方として以下描く。
第一から第五段階は簡略し、人類の意識ができる過程、インド六派哲学、道教、小乗を含める段階。
第六段階 法相宗 他縁大乗心 弥勒菩薩の瞑想門:玄奘三蔵がインドに求道の旅に出て得てきたもの、唯識論である。三島の最後の著作「暁の塔」に出てきた唯識論は、空海の手にかかると第六番目になる。
第七段階 三論宗 覚心不生心 文殊菩薩:大乗仏教では、「一切は空なり」(執着の原因たるものの存在は確認不可なり)と喝破した開祖竜樹(ナーガアルジュナ)中観論でも、空海見立ては第七番目に置くのか、恐れ入るというしかない。
第八段階 天台宗 一道無為心:空海も晩年では法華経を評価、講義仏典に含めた。
第九段階 華厳宗 極無自性心 普賢菩薩、「理事無碍・事事無碍法界」の世界観。
第十段階 真言宗 秘密荘厳心 胎蔵金剛曼荼羅(四種曼荼羅):高雄山寺(現神護寺)にある空海作成指示の大曼荼羅図像を見れば、絶対神の大日如来が顕教である第九までの宗派と、そのシンボル如来菩薩たちを従え、衆生の救済を願うという構図。

③     サンスクリット語をマスターしたからこそ可能であった、梵字の「意味の深み(字相と字義)」を極限まで追い詰める手法で言語哲学への道を開拓。出来上がった空海哲学は、東洋思想界でも無視できないほどの高みにある(古代インド時代の「声ブラフマン=言葉は神」や空海から500年後のイスラム神秘主義の先を行く、「無意識世界から表層意識までの人間の意識の流れ」解明の一つに位置付けられると期待する)。代表的な、著作「吽字義」では、古代インドのバラモン教の文法学を活用し、真言密教の神秘主義的思想を建てていく。梵字文法に特有の六離合釈のやり方を活用。
わかりやすいのは、阿吽の事例か?
空海は、吽字(hum, uの上にバー、mの下に .)は4文字から成り立つと分析。
1・訶(ha字、因縁や縁起→諸法の本の義)
2・阿(a字、一切諸法本不生、大日如来の義)
3・汙(u字、諸法損減;無常・無我・空の義)
4・ま(ma字、「ま」は病垂れの中に林と公を書く。法我・人我から大我への義)
梵字一字に仏・菩薩を当てはめたように、梵字をその深みまで分析、彼の真言哲学を刻んでいく方法をとる。空海は「阿字」には真言密教の絶対神である大日如来(マハー・ヴァイロチャナ)を当て、「吽字」には、上記4字複合の世界を示し仏教世界全体を閉じ込める。
この一字を理解すれば仏教全体がわかると言いたいようだ。
彼のどこからこういう仏教編集能力が出てくるのか、興味は尽きない。

空海哲学の神秘主義的側面については、イスラム神秘主義はじめ世界の思想に詳しい、「エラノス会議」(「精神の起源」探求がテーマ)主要メンバーでもあった慶応大学の井筒俊彦博士によれば、「空海思想は東洋的文化財の一つ。言葉の表層的構造にかかわらない深層構造とその機能を第一義的問題として言語と存在の深みに迫ってやまない」と評価した。

最後に、空海が若き日に奈良で見たであろう聖武天皇が作らせたヴァイロチャナ(盧遮那仏:奈良大仏)。華厳経の絶対宇宙のシンボル神。華厳で言う「一即一切、一切即一」という人類観・宇宙観を見れば、現代物理学の世界で量子物理学・宇宙物理学(ダークマター・ダークエネルギー)の謎でもある「物質(質量)と真空エネルギー問題」との交錯を感じさせ、宇宙史と人類の意識の繋がりが明らかにされる日が近い将来期待出来るかもしれない。

ただ空海の62年の生涯で、宗教論では華厳経のエキスである「事事無碍」の世界までは超えられなかった気がする。華厳の絶対神ヴァイロチャナを超えられず、彼の真言密教にはマハー・ヴァイロチャナ(大日如来)として、新たにスーパーイコン(絶対神)を作り、換骨脱胎の魔術を展開させたかに思える。彼の仏教理論の大事な部分に華厳の教えが最大限使われている。長安留学時代に身に着けた、中国華厳の大家たちー法蔵や澄観の華厳経のエキスが空海著作の随所に顔を出す、借用かなと見えることでもそれがうなずける。また奈良東大寺は華厳の本家であるが、空海が嵯峨天皇の支援を受け、同寺別当をした経緯から同寺では密教仏典の「理趣経」を読経している。その習慣は1200年前から変わらずにあるという東大寺の風景からは「宗教の無碍なる力」ともいうべき摩訶不思議な力を見る思いがする。
かつて、無神論者の司馬遼太郎が語った言葉に、「日本仏教にとって、華厳の教えが入ってきたことが幸福であった」とある。「空海の風景」で同氏が空海を山師的呼ばわり等批判的な記述がみられる中、上記の「華厳移入が日本仏教にとって幸福」という司馬見解をどう理解したらいいか正直考えあぐねているところ。

最後に華厳の絶対神ヴァイロチャナ・毘盧遮那仏の氏素性は、阿修羅から来ていること追記して終わりとしたい。5000年も前の時代、ペルシャで起きたゾロアスター教の絶対神アフラ・マズダ(光の神)がインドに入った時に、この「アフラ」がインド語的に「アシュラ(阿修羅)」に翻訳。バラモンの時代に「善なる神インドラにやられる悪神の阿修羅」にインド民族は貶める時代に入る。それが華厳の世界(シルクロード・ホータンの地で誕生)で、改めて絶対神ヴァイロチャナとして再生するという興味深い歴史がある。神仏の世界のなんと逞しい生きざまかなと脱帽する。(以上)

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