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育児コラム☆wing③防犯意識から手に入れたものは大きくて。

何よりの防犯・子供を守る方法

結婚した時の新居は、UR住宅。
主人の実家とも近く、私が短大時代を過ごした町も近い。
主人にとっては地元だったけれど、
私にとっては、ただの知っている町。
道路の舗装工事が進行中で、
相続関係で野原になっている区画もちらほら。
大きなマンションが次々と建設中。

子供が生まれた頃には、マンションは完成し、
色々な場所から来た人が移り住んでいた。
そう、殆どがここが地元では無い奥さんが集まっていた。
だから、皆、支援センターに集まることが多かった。
私も、周辺にあるいくつかの支援センターに通っていた一人だ。

最初の目的は、育児の不安を支援センターの先生に相談したかったから。
まだ赤ちゃんだった子供と家で二人で主人の帰宅を待つ時間が、
とても長く、とても不安だった。

保健センターでの、育児学級で知り合ったママさんと、
支援センター巡りをし、信頼できる先生のいる支援センターに通った。
特に約束をしていなくても、
行けば知り合ったママさんの誰かしらと会える。
身体測定や、イベントがあれば尚の事。

赤ちゃんの1カ月の差は大きくて、
先に生まれた赤ちゃんのママさんには、これからの事を聞き、
後に生まれた赤ちゃんのママさんには、これまでの事を話した。

それは、良い働きをする事もあれば、
私の心の状態によっては、悪く働く事もあった。

あの子とは、生まれが数日しか違わないのに、
うちの子はまだ寝返りが出来ない、一人座りが出来ない、
おもちゃをうまく扱えない、言葉が少ない。。。
成長差が気になって、育児本やネットを見ては、焦りが出る。
そして、支援センターの先生に相談をする。

このルーティーンは、他のママさんも経験している。

今思えば、その時の差は当然の事。
生後6か月の子と、3カ月の子では、
人生をスタートさせてからの経験が倍違う。
年齢を重ねれば、この計算は微々たるものになり、
いつしか『個人差』『個性』と呼べるものに変わる。

それもこれも、過ぎた今だから思える事ばかりだ。

あの頃は、ノイローゼになりそうなほど、
いや、少しなっていたかもしれない、それ位、
憶測で発生した焦りに押しつぶされそうな毎日だった。

少し、他と比べる事のないように、と、
支援センターに行く頻度を減らしても、
予防接種や熱で病院、乳児健診の保健センターなどで
必ずまたどこかで誰かと会ってしまう。
少し会ってなかった期間の、相手の子供の成長がめざましく思えてしまう。

二人きりで家にいるのにも慣れてきて、
他の子と比べる事無く、家での我が子の日々の姿と向き合った。

そんな日々を続けるのも良かったかもしれない。
けれど、私はまた支援センターに通い出した。

その理由は、二つあった。

一つ目は、子供同士の関わりを持たせたかったから。
幼稚園に入る前にも、『家族以外の人』が世の中に居る事。
なんとなくでいい、それを子供の生きる時間の中に取り入れたかった。

トラブルなんてしょっちゅうで、
何度謝ったか、何度謝られたか、何度泣いたか、何度くじけたか。

それでも、続けて良かったと思える。
だって、その繰り返しの中で、私は他の子の成長すら、
愛しく感じられるようになったからだ。
他のママさんへの敬意も素直に表せるようになったからだ。
それは、前述したような、土地の特性もあったと思う。
新しいマンションに移り住み、
地元では無いママさんが集まったこの地では、
皆、同志を求めていた。
お互いに協力し合う事で、メリットを膨らませた。
良い人たちばかりと巡り合えて、恵まれていたと思う。

二つ目の理由は、我が子を知る大人を増やしたかったから。
これが一番大きな理由。

子供といつまでも一緒に行動する訳ではない。
送迎のある幼稚園を終えれば、自分で通う学校が始まる。
必ず、親と別行動をする日を迎える。
迎えなくてはいけないんだ。

そう思った時、私は、
『どんな防犯システムよりも、
息子を知る大人の目を増やし、築いた信頼関係こそが、
一番の防犯になる。 子供を守る方法として、
 今私がする事は、これだ。』
そう考えたのだ。

取り組んでいくのは、つらいばかりでは無かった。
取り組みの中、私も「知ってる町」から「私の町」と言う意識を
持てるようになったからだ。

私は、親の転勤で、何度も引っ越しをした、全国を。
だから、私には、生まれた場所はあっても、地元は無い。
「ここは地元じゃない」ではなく、「地元が無い」のだ。
SNSのおかげで、住んでいた色々な地の友人と今も交流を持てているが、
私の立場は、「同じ学校に通っていた友人」としてであり、
「地元の友人」では無い。

あまり意識せず結婚したけれど、
主人の仕事に出張も、転勤も無い。
気付いた時、ラッキーって思いました。
結婚した時は、子供が産める人生を諦めていたから。
(詳細は、育児コラム☆wing②をどうぞ)

私は息子に、地元を作ってあげたかった。
いつでも自分の軌跡を辿れる、そんな地元を。
綺麗な思い出ばかりじゃなくてもいい、
辛い思い出が混ざっててもいい、
自分が育った町、一緒に育った友、
そして、それを見守ってくれて来た大人たち。
いつか、挫折を感じた時、
立ち戻れる、そんな地元を作ってあげたかった。

あれから10年以上経った今。
息子は、成長の中にいっぱい詰まった思い出と、努力と、経験と、
温かい大人たちに見守られ、「僕の地元」を作り上げていっている。
支援センター時代からのママさん、
幼稚園時代からのママさん、習い事の先生。
沢山の大人たちが、息子に声をかけてくれている。
私に、息子の目撃情報を伝えてくれる。
息子と交わした会話を教えてくれる。

防犯の意味だけでは無く、
私が気付かなかった息子の様子、
私には見せない息子の一面、私はそれを得る事も出来るようになった。

そして私も、そんな人たちのお子さんを見守っている。

温かい人たちと巡り合い、
くじけながらも続けた取り組みが、
こんなにも大きな喜びになるなんて。

息子の為にと思った地元作り。
気付けばすっかり、私の地元。

初めて手に入れた地元。

息子がいなければ、手に入れる事が出来なかった地元。

この町の子供たちの成人式(今はそう言わないんだっけ?)に、
一緒に見守ったママさんと「お疲れ様」と集まるのが、
今の私の大きな楽しみ。
成人式の夜は、ママもちょっと楽しんでくるから、
帰りは遅くなってもいいよ、ふふふ。

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