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エッセイ『雨宿り』

雨宿りのつもりで入った喫茶店。

雨は嫌いでは無い。

窓際を選んだ。


近所にありすぎて、入った事が無かったけれど、

使われているカップは、私の好きな洋食器メーカーのものだった。


ウェッジウッドのスウィートプラム。

ティーカップ、シュガーポット、プレート、ティーポットなど、

続々と新商品が追加されているデザインは、

ワイルドストロベリーシリーズに続く代表的なシリーズだ。


ワイルドストロベリーよりも柔らかな色合いで描かれたプラムの実は、

上品さの中にカントリーの風合いを漂わせている。


ティーカップ一つで、女性の心は変わる。

パジャマ姿で食器を洗い終え、ティーブレイクの為のカップを選び、

そのカップに合う服装に着替えてしまう。

散らかったテーブルを片付け、束の間の優雅さを味わえば、

その後の一日の過ごし方まで変わってしまう。


私の心も早速、モードスイッチが入ってしまった。

珈琲の注文を、アッサムティーに変更した。

運ばれてくるのを待ちながら、思いがけずに見つけたこの喫茶店を、

『お気にいりカフェ』に追加した。


突然の雨。

夏の終わりの夕立。

紅茶の湯気に、頬のこわばりが解けていく。

窓ガラスを滑り落ちる水滴が、街の景色を歪ませる。


駅へと急ぐ学生たちは、そんなに嫌な様子でも無い。

突然の気まぐれなハプニングを楽しんでいるようにも見えた。

読みかけの文庫本を持っていたけど、

暫くそんな学生たちを眺めていた。


夕立特有の日差し溢れる雨空と、

そんな日差しを浴びてキラキラ輝く雨粒と、

学生たちの笑い声が混ざり合い、作りだされたプリズムに、

心が小さく頷いたような気がした。


――私は走り過ぎていた。

無我夢中で脇目をふらず、自分に呪文をかけて走り続けていたのかもしれない。

雨に降られても、ずぶ濡れになりながら走り続ける。

いつもの私なら、きっと、そうしていただろう。


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並べた机の角から、沢山の想いが流れていきそうな教室。

退屈なページをめくりながら、私たちだけの時代を描き出す教室の窓枠。

寂しげに漂う雲にまで、鮮やかな色を足せるような不確かな自信。

向こう岸の未来を、巨大レンズ越しに眺める集い。

卒業のチャイム。終わりのチャイム。そして、始まりのチャイム。

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自分に何が起こったのか思いだせないし、

思いだすほど衝撃的では無かったと思う。

走りながらかすめた情景は、いつも遠ざかるものばかりだった。

でも、今日、こうして立ち止まったこの場所で、

和めるカフェと、置き去りにしてきた日々を見つけられた。


はしゃぐ学生たちが演出する、水溜りのダンスに、

自分の中で眠っていた爽やかな情熱が、ゆっくり目覚めていくのが分かる。


ウェッジウッドのスィートプラム。

アッサムティ―の香りに包まれて。


たまにはこうして一休み。


頬と共に、硬く強張った心まで、ほぐされていく。

それはなんとも、心地良い。


表情から古いモノが流れ落ち、もっと古い情熱が目覚めた頃には、

西の空がほんのり橙色に変わっていくのが見えた。


この喫茶店から踏み出す一歩こそ、

私の新しい一歩になる。



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