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エッセイ『そう終ろう』座右の銘

そう終ろう


中学二年は、誰もが間違いと分かっていても、
試したくなるような、味わってみようとするような、
性格の外側がうずく時期だったように思う。

学年の垣根も無く、ただ無邪気だった小学生を終え、
制服が規律以外の、その世代だけのルールをまき散らしていた。
どれも魅力的で、でも、どれもしっくりこない、そんな日々だった。

「正論は分かってんだよ」
同級生はそう言って、規律外のルールを創りながら駆けていく。

正しさでは、もう、人の心を統一させる方法としては通じない。

その反発精神は、今となっては、かなり重要だったと思う。
私が説いた正しさは、自分が導きだしたものじゃ無かったから、
「そう決まってるんだよ」と繰り返すだけのいい子ちゃんでしかなかった。

でも、正しさは、優しさに繋がる道しるべだと、私は信じた。

皆が持つ好奇心を、一緒に味わいたいのに、
私は、その場に一人留まり、誰の耳にも届かない声をあげていた。

皆を否定していたわけでも、
非難していたわけでもなくて、
ただ、自分たちが楽しんでる事は、
何かを踏みつけているからだと、うつろに感じてしまっていた。

そんな自分が、惨めに思えた。
ただの、恨めしいだけの存在なのだろう、皆には。

染まる事も、生み出す事も出来なくて、
この道しるべを信じて歩いて行っていいのか分からなくなっていた。

教育実習生の若い男の先生。
名前も覚えていないけど、
熱心に、学級通信を配り続けてくれた。

多くがそれに目を通さず、捨てていたけど、
私は、先生がお勧めだと書いていた作家の本を読んだ。
シドニィシェルダン。アガサクリスティー。
小説らしい小説を読んだ事が無かったのに、
分厚い上下巻をあっという間に読み上げた。

雑音を忘れ、没頭する時間をくれた先生のお別れの言葉。

先生の好きな言葉を贈ってくれた。

『人は強くなければ生きていけない 
 けれど 人は優しくなければ 生きる資格が無い』

どこかの国の思想家の言葉らしい。

私は、この言葉を聞いた時、
ただの表現だと思っていた「心を打ち抜かれる」体験をした。

あぁ、そうか。
そうだね、そうなんだよ。

私は今、強さは持てていなくて、
押しつぶされそうだけど、
優しさへの道しるべは、私なりに持っている。

生きる資格が、私にもあるんだ。

その時から、私は、
人生を終える時、
この言葉通りの人生だったと思えるようにしようと思った。

今でも変わらない、私の座右の銘。

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