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豊かさと平等:新石器時代の巨大集落チャタル・ヒュユクから考える

現代社会は、目を覆うばかりの経済格差、社会的不平等、そして様々な分断に満ちています。資本主義の行き詰まりが叫ばれる一方で、貧富の差は拡大し、人々の分断は深まっているように思えます。世界では、一部の富裕層が世界全体の富の半分以上を支配し、貧困や飢餓に苦しむ人々は後を絶ちません。先進国においても、経済格差の拡大は社会不安や政治の不安定化をもたらし、人々の間に不信感や分断を生み出しています。

では、人類の歴史において、不平等や格差はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか? それは、我々人類にとって宿命的なものなのでしょうか?

こうした根源的な問いに対する手がかりを求めて、考古学の分野では、過去の人間社会の社会構造を復元しようと、世界各地で遺跡の発掘調査が行われています。文字記録のない時代、人々がどのように暮らし、社会を組織していたのかを知るためには、土壌の中から掘り出された遺物や住居跡などの考古学的なデータが唯一の手がかりとなります。

チャタル・ヒュユク:新石器時代の巨大集落

その中でも注目されているのが、トルコ中央部アナトリア地方にある、新石器時代 (紀元前7千年紀) の遺跡、チャタル・ヒュユクです。チャタル・ヒュユクは、最大で数千人もの人々が暮らしていた巨大集落で、当時としては極めて例外的な規模でした。人々は密集した住居に住み、家畜を飼い、穀物を栽培し、定住生活を送っていました。狩猟採集民が主流であった時代に、なぜこのような大規模な集落が形成され、人々はどのように社会を組織していたのか? そして、そこでは社会的な不平等や階層構造は存在したのでしょうか?

PLOS ONE誌に掲載されたKatheryn C. Twissらによる論文「"But some were more equal than others:" Exploring inequality at Neolithic Çatalhöyük」(「しかし、一部の人は他の人よりも平等であった」:新石器時代のチャタル・ヒュユクにおける不平等の探求)は、チャタル・ヒュユクにおける不平等の実態に迫るべく、考古学的なデータを詳細に分析し、興味深い結果を提示しています。

住居の分析から浮かび上がる社会構造

Twissらは、集落内の住居を分析単位とし、住居跡から出土した遺物や建物の構造などを指標として、経済的な豊かさ、生産能力、象徴的な装飾、そして貴重な個人的所有物など、社会的な地位を反映すると考えられる多岐にわたる要素を比較検討しました。

経済的不平等:備蓄スペースの差

まず、チャタル・ヒュユクでは、集落の中期(紀元前6700-6500年)において、住居ごとに備蓄スペースの規模に違いが見られた点が注目されます。備蓄スペースの広さは、農産物の貯蔵量、ひいては世帯の経済力を示す指標となると考えられます。この時代のチャタル・ヒュユクは、農耕に家畜の力を利用していなかったと考えられることから、労働力に制約のある農業経済であったと言えるでしょう。そのような社会では、土地所有の不平等が経済格差を生み出す主な要因となりますが、Twissらの分析によると、チャタル・ヒュユクでは、住居の規模が周囲の建物に制約されていた点、つまり、人々が望むだけの規模の住居を建てることができなかった可能性を考慮しつつも、この時代のチャタル・ヒュユクにおける経済的不平等は、同時代の他の農耕社会と比較しても、かなり高かったと推定しています。

象徴的な不平等:装飾品と埋葬品の偏在

一方で、象徴的な装飾や権威を示す品々に関しては、備蓄スペースと同様に、中期には住居間に大きな差が見られました。壁画や動物の骨で作られた装飾品の有無や数、埋葬されている人の数など、象徴的な豊かさを示す要素は、住居ごとに大きく異なっていたのです。これらの要素は経済力とは必ずしも関連しておらず、経済的に豊かな住居であっても象徴的に貧しい場合もあれば、その逆の場合もありました。

これは、現代社会における経済資本と文化資本、社会関係資本などの複合的な関係を想起させるでしょう。経済的に成功した人が必ずしも社会的な影響力や文化的な名声を持つとは限らず、逆に、経済的には恵まれなくても、高い社会的地位や文化的権威を持つ人もいます。チャタル・ヒュユクの住居跡から浮かび上がるのは、そのような複雑な社会構造の一端です。

後期の変化:格差の縮小と象徴的な差異の維持

興味深いのは、集落の後期(紀元前6500-6300年)になると、多くの指標において住居間の差が縮小していく点です。特に、穀物などの食料を加工するための石臼の数は、後期には住居間でほぼ均等になりました。これは、人口増加がピークに達した中期に比べ、後期には人々が分散し、集落の規模が縮小したことと関係していると考えられます。人口密度が低下したことで、人々はより平等に食料資源にアクセスできるようになり、経済的な格差が縮小したのかもしれません。

しかし、壁画や動物の骨の装飾品は依然として住居間で偏在しており、象徴的な格差は維持されていたことが伺えます。象徴的な装飾は、個人のアイデンティティや集団への帰属意識を表すものであり、集団の結束や社会秩序の維持に重要な役割を果たしていたと考えられます。

焼けた建物と共同体の儀式

Twissらは、チャタル・ヒュユクの住居跡に見られる焼けた建物と焼けていない建物の違いにも注目しています。焼けた建物からは、石臼や動物の骨などが大量に出土することがあります。これは、建物を放棄する際に儀式的に品々を配置した可能性を示唆しています。興味深いことに、焼けた建物では、象徴的な装飾や埋葬品などにあまり差が見られません。これは、建物の焼却が共同体の儀式的な行為であり、社会的な格差を一時的に解消する効果があった可能性を示しています。

チャタル・ヒュユクから学ぶこと:複雑な社会構造と不平等のダイナミズム

これらの分析結果を総合的に見ると、チャタル・ヒュユクでは、経済的な不平等と象徴的な不平等が異なるパターンで推移していたこと、そして人々は共同体の儀式や慣習を通じて、社会的な格差を調整していた可能性が示唆されます。これは、単線的な進化論的な視点では捉えきれない、人間の社会における複雑なダイナミズムを浮き彫りにしていると言えるでしょう。

チャタル・ヒュユクの事例は、新石器時代の巨大集落において、経済力、社会的な地位、そして象徴的な権威が複雑に絡み合っていたことを示しており、人々は様々な方法で自らの社会的地位を表現し、他者との違いを創り出していたのでしょう。現代社会とは異なり、彼らの社会には、特定の家系や個人が富や権力を独占するような制度化された階層構造は存在しなかったようですが、経済活動、共同作業、儀礼、埋葬などの様々な社会的営みの中で、常に地位や権威をめぐる駆け引きが行われていたと考えられます。

現代社会への示唆:共感と連帯に基づく社会システム

チャタル・ヒュユクの事例は、食料生産の開始と経済的不平等の出現には単純な因果関係は存在しないこと、そして不平等が社会のあらゆる側面に均等に現れるとは限らないことを示しています。彼らの社会に見られる複雑な社会構造と、様々な形で表現される不平等は、現代社会における格差問題を考える上でも示唆に富みます。単に格差の有無やその程度を測るだけでなく、社会のどのような場面で、どのような形で格差が生じているのか、そしてそれが人々の生活にどのような影響を与えているのかを理解することが重要です。

過去の社会を研究することで、現代社会における不平等の根源と、それを克服するためのヒントを探ることができるでしょう。チャタル・ヒュユクの人々は、儀式や慣習を通じて、社会的な格差を調整し、共同体の結束を維持していたのかもしれません。現代社会においても、人々の分断を克服し、より公正で持続可能な社会を築くためには、共同体の価値観や倫理観を再構築し、共感と連帯に基づく社会システムを創造していく必要があるでしょう。


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