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【ネタバレあり】映画オッペンハイマーが傑作だった

クリストファー・ノーラン監督による話題の映画「オッペンハイマー」を観ました。
正直、前評判では綺麗に賛否両論に分かれていて「重たい」とも聞いていたので観るのを躊躇していました。
しかし、実際には非常に面白かったです。

当初に想像していたより重たくはなく、3時間くらいの長尺映画でしたが、世界観に引き込まれてあっという間でした。

これはクリストファー・ノーラン監督の映画に代表される映像技術がそうさせている面もありますが、ストーリーの内容も興味深いものでした。

レビューを見ていると「物理学の知識がないとわかりにくい」という声もありましたが、この作品のどこに物理学の深い知識が必要なのかと感じたくらいです。

この映画の題名でもあり、主人公でもあるオッペンハイマーが物理学博士なので、物理学の話は随所に出てきますが、それよりも原爆や戦争に対する倫理観を問う作品なので、そこが論点ではないことは明白です。

全体を通じてオッペンハイマーの生い立ちから原爆の完成と実験成功、そして日本への投下〜戦争終了までの流れが描かれているのですが、人間模様が非常にリアルでその当時の社会情勢がありありと伝わってきました。

この映画を観て特に印象的だったのが次の3点です。

1.日本に原爆が投下された経緯

2.核兵器とは悪だったのか

3.人類の争いについて

それぞれ、解説していきます。

1.日本に原爆が投下された経緯

この映画はオッペンハイマーが核分裂を研究し、原子力爆弾を軍事兵器として作るまでの経緯が細かく描かれています。

時代が第二次世界大戦中だったが故に、天才と言われ非常に優秀だったオッペンハイマーは戦争兵器として原子力爆弾の開発プロジェクトの中心人物になります。

着実に原子力爆弾の開発と研究は進められていましたが、実は当初に原爆を投下するのはヒトラー率いるドイツでした。

その破壊力から戦争終結の抑止力になると期待されていたため、当時世界中から危険視されていたドイツへの見せしめのために原爆は使われる予定だったのです。

しかし、原爆が完成間際になり、あとは実験を行う段階でドイツが降伏します。ヒトラーが自決したためです。

本来なら、この時点で原爆投下は必要なくなるはずでしたがオッペンハイマーは日本への投下を提言します。

その時点で日本は東京大空襲で大打撃を受けていたため敗戦は濃厚でした。

そのとどめの一発として原爆投下を提言したわけです。

恐ろしかったのが、最初から広島と長崎に投下する予定で「アメリカは日本が降伏するまで核攻撃を続ける」という姿勢を示すためだったとか。

この辺りはすでに多大な労力と時間とお金をかけて原爆の開発に取り組んでいた(街まで作っていた)ため、オッペンハイマーとしても何とかその威力を実践の場で使ってみたかったのでしょう。

ただ、ひとつ言えるのは何かが歯車が少し違ったら原爆は日本ではなくてドイツに落とされていたということです。

これは非常にショッキングでした。

歴史とは奥深いものであり、「IF(もし)」はあり得ませんが、日本ではなくドイツに投下される世界線もあり得たのだと思うと複雑な気持ちになりました。

2.核兵器とは悪だったのか

オッペンハイマーの話は非常に高い倫理観を追求する話です。
現在では「核爆弾=不必要なもの」という議論が世界中で進んでいますが、その当時は戦時中です。

結果的に、最初にアメリカが核を所有し、日本は世界ではじめての被爆国となったわけですが、仮にアメリカが核を作らなくてもソ連かドイツ、もしくは他の国が作っていたでしょう。

なぜなら当時は物理学の世界でも、誰が核分裂を成功させて原子力爆弾をいち早く完成させるかの競争が巻き起こっていたからです。

現在に置き換えると生成AIの分野みたいに、マルチモーダルのAIや画像生成AI、動画生成AIなど、どこもしのぎを削って日進月歩の世界です。

これが当時では核ミサイルの開発に研究者の知的好奇心が向かっていたという形になります。

オッペンハイマーも常にアメリカと対立関係にあったソ連の技術との技術競争に目を見張らせていました。研究者として他の国に先に核爆弾の開発成功を許したくなかったのです。

だから戦争の結果うんぬんよりも技術競争としての側面も原爆の開発には大きく関係しています。

そう考えると、アインシュタイン(映画中にも登場する)が相対性理論を完成させダイナマイトを発明し、他の研究者に大きな影響を与えた段階から、核兵器が作られることは確実だったと言えるでしょう。

物理学〜量子力学にまで範囲を及びますが、核分裂の技術を使った兵器は、たまたま当時は戦争中だったから人々が戦争に使うという手段に用いたとも言えます。

そう考えると、オッペンハイマーが作った原子力爆弾は本当に悪だったのか、という議論になってきます。

僕たち日本人は特に核兵器を投下され、多大な被害を受けた国だったので余計にバイアスがかかり、過敏になりますが、戦争だったということを考えるとある意味では仕方が無かったことなのかもしれません。

だって、仮にアメリカが核兵器の使用を見合わせていたとしても、ソ連が開発してどこかの国に投下していただろうし、日本もそのうち大量虐殺の兵器を使用(実際に作っていたらしい)していた可能性が高いからです。

勝ち負けや生死に関わる問題なので、どこかが戦争に蹴りを付けるための当時の社会情勢を鑑みると、その行動が悪だとは誰も言えないのではないでしょうか。

もし核兵器を使用しなかったら、戦争が長引いて祖国の平和や家族の安否に関わってくるのなら、オッペンハイマーじゃなくても決断したことは容易に想像がつきます。

3.人類の争いについて

3つ目の話は非常に奥が深いのですが、そもそも人類の争いにより戦争が起きて、その結果核兵器が生まれました。
そして、その兵器を所有している国々は今も牽制しあっています。

よく、日本では8月に近づくと広島、長崎の原爆投下に特番が放送されます。
それくらい忘れてはならない忌々しい出来事で、日本はおろか全世界にとっての教訓や戒めと言える出来事だったということです。

ただ、今も世界では戦争が起きています。
そうです。人類は争うために存在していると言っても過言ではありません。
語弊があるかもしれませんが、人類は哺乳類であり命ある生物です。

より優秀な種を後世に残すために、お金や権力、土地が必要になります。
だから、今でも派閥争いや競争社会が存在するわけです。

これは昔からあったのですが、近代の戦争になるとより情報や技術が発展して多くの人を巻き込んだり社会問題になりやすいかったりする傾向にあります。

争いになると、物資や資本が多い方が圧倒的に有利なのは自明の理ですが、第二次世界大戦では何をどう間違ったのか、日本がアメリカに反旗を翻します。

この辺りは歴史を遡っていくと複雑ではあるものの、オッペンハイマーのワンシーンの中でも「なんてバカげた戦争だったのだろうか」と思わせられるシーンがありました。

それは第二次世界大戦中のクリスマスの出来事です。
最も戦火がはげしかった年のクリスマスにオッペンハイマーはあるクリスマスパーティーに出向きます。

そこでは戦争中とは思えないくらいにお祝いムードのパーティーが開かれていました。当時の日本では考えられません。
この状況の違いが、圧倒的な戦力の差を顕著に表していたシーンだと痛感しました。

あの戦争は一体誰が何の利益になる争いだったんだと言いたくなります。
確かに、戦争では日本人の多くが命を落としました。
しかし、酷な話ですが戦争とはそういうものです。
相手をやらなければ自国がやられるため、犠牲は付きもの。

それをわかっていても戦争に踏み切って、戦いを挑み続けた日本側にも大きな原因があります。

そういった背景も踏まえて、映画ではオッペンハイマーの発言やそれを取り巻く当時の兵士や関係者などの政治的背景が興味深く、とても考えさせられる作品でした。

まとめ

この映画は非常に倫理観や社会的、政治的な側面を描いた深い話でした。
だから観る人によって感じる事はさまざまでしょう。

今回の感想で触れたこと以外にも当時のアメリカと共産主義との関係性など、一筋縄ではいかない社会背景があったことに理解が深まりました。

個人的にはクリストファー・ノーランの作品の中では前作のTENETを凌駕する内容だったと思います。

おそらくこの話が実話に基づいているため、よりリアリティを感じたからでしょう。

見終わった後も考えさせられる作品で、日本人はもちろんのこと、世界中の人が今後の世界の在り方を考える上で観ておいた方がいい作品です。

参考になりましたら。

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