バービーこそ近年稀に見るポリコレ作品
「待ってました」と言わんばかりにその手の人々が快哉を上げるがごとくこの作品を絶賛している。正義は我にありと声高々にその作品の「正義」を叫んでいる。
肯定派が「こういう感想を抱くやつは○○(否定的なワード)」と平気で言い出す作品がある
否定派の人格や属性を平気で毀損し揶揄する事の抵抗感を失わせてしまう作品。
バービーはまさにそれであった
ただの感想に過ぎないGANTZの作者に対する揶揄や毀損、侮辱の言葉は本当に汚く見るに堪えない
親の仇レベルの「悪」にじゃないと出てこないだろうレベルの言葉。
その作品の醸し出す「正しさ」の威を借りて自らに正当性を付与しないと出せないだろうその残虐性。
これこそがポリコレのポリコレたる所以だ。
どんな感想も個人の自由でそこに貴賤はないはず。
その前提を覆してしまう程の「正しさ」を作品に感じ取っちゃうからこそ
他者の反応や感想を、感想に対する感想にとどまらずそれを言った人の人格を攻撃する事に「大義名分」を与える
何故ならその作品はポリコレ、つまり”正しさ”=正義であり
それを否定する人間は誤りであり”悪”であるからだ。悪とは社会の理を破壊する存在であり
排除の対象。人は悪に対しては何処までも残酷になれる
だからこそ否定的な感想を述べる人に対しての人格否定や悪認定レッテル張りが横行した作品をこそ、
ポリコレ作品であると結論づけた。そうせざるを得ない。
現実と深く結びついた作品に対して我々は正しい感想だけを言うべきなのか。
それともあくまでフィクションはフィクションと割り切り、
好き勝手に感想を言うべきなのか。”間違った感想”を言った者は悪なのか
「否定するものは悪」正しさが定義になった時点でこうなる事は必然だったのか