褒めてもらうこと



当たり前の仕事や
当たり前の家事や
当たり前の育児の中には
どのくらいの細々とした苦労が詰まっていたのだろうね。それはたとえば、土砂降りの中のゴミ捨てとか、50分立ちっぱなしの満員電車とか、なかなか帰れない終業後の先輩のトークとか。はたまた泣きながら抱っこをせがむ幼い息子と、スーパーの床で泣き出す幼い娘を連れての買い物とか、全てに反抗してくる娘の反抗期とか。

泣きたくなっちゃうような、そんな細々とした難題を、いくつもクリアした今日のことをみんなは「当たり前」だったと言う。

そして一つでも失敗したり上手くいかないことがあると、自分のことを責めてしまうんだ。子供の寝顔を見て謝るような、そんな減点法のシビアな目線はやめようよ。
あなたが今日、当たり前のように頑張ったそれらはきっと努力の結晶でしょう?私たち、今日を生きるために本当によく頑張ったと思うんだ。


と、ここで話の目線は少し変わるのだけど。
私はつい最近、そう言うことを考えていて、ある固定概念に気がついたんだ。たとえばそうやって自分で自分を讃えたり、褒めたりすることはできても、他人にはなかなか求められないなぁ。って。いわゆる、

「わたしのこと、褒めてもらっていいですか?私、こんなにすごいことをしているんです!」

なんて言ったら、白い目をされてダルそうにされるに違いない。人の自慢話なんてどんなに無駄な時間だろうかって思ってきた、それが一つの落とし穴。ある種の固定概念。「人に賞賛を求めるのはタブー」だと生きてきたこれがもしかしたら、そんなことないのかも。って
ふと思ったんだ。つまり、たまには

「私、本当は毎日頑張っているの。
上手くいかないことばかりだけど、がんばってはいるんだよ。」

なんて、本当のことを口からぽろっと吐き出してもいいんじゃないかな。ってね。そんな本音を吐き出す時、私はよく涙が止まらなくなったりする。それって本当は多分、「あなたは頑張っているね」って心底だれかに褒めてもらいたいからなんじゃないかってね。

自分で言うことも大事。でも
誰かに褒めてもらうことも、たまには大事かもよ。

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