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トキメキとか才能とか



たとえばこのエッセイは、誰かに「頑張っているね。」と言われるために書いたことはないです。少しだけシビアな言い方をすると「頑張る」なんて当たり前。私は「頑張ること」を評価されるために、書いてをいるんじゃないんですね。あなたに伝えたいことがあるから書いて、書いて、書いて。そしてそれを伝えるには単純に「書く」ことがベストだと感じていますし「書く」ことが好きだからこそ、今日までずっと続いてきたのだと思います。そういえば少しずつ「得意」になってきた気もしますしね(まだまだですが)。そう考えると「努力」に勝るのは「情熱」なのかもしれません。

きっと私には特別「書く」ことが楽しいと思えるこころがあったのです。それって「トキメキ」みたいな。

そこで思うのですが。私にとってトキメク瞬間が「書く」だっただけで、それがどんなことでもいいと思うんです。人と話すことだとか、人を笑わせること、不真面目でいること、芸術を作り上げること、人を繋げること、人を伸ばすこと、歌ってみること、黙々とやり遂げること、ただただ寄り添うこと、どんなことでもいいですよね。



それに

そういった「トキメキ」の中でこそ見つかるのが「才能」じゃないですか?
つまりは、自分の才能を見つけたければ恐れを抱えて進んでみることが必要ですし。きっと結局は「才能」なんかより、それを発揮できるエネルギーがあるかどうかなのでしょう。

やるか、やらないか。やらなければ腐っていくばかり。魂とか人生とか命とかってそういうものなのですね。根っこが腐る前にどうにかしないといけないです。自分に聞いてみる、「わたしは、どうしたい?どんなことをしたい?どう生きたい?」

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