今朝の夢はなんだか見覚えのあるカラオケボックスのなかで、見覚えのある昔の人間がランダムに集まって歌っていたものだった。たとえば、あの頃働いていた職場の先輩のセキさん、よく互いの恋愛相談をしたくて飲みに行ったマヤちゃん、それに何故か小学校の同級生で初恋のユウキくん(大人になっていた)、パワハラ野郎のアンザイさん、そのパワハラから救ってくれた上司のヒゴさん、恋愛未満友達以上だったアリノくん、そのアリノくんのお母さん、それに私の旦那さんと息子。なんだかその分け隔てなく集まった登場人物たちと並んで夢の中の私は思ったんだ。「あぁ、やっとこうしてみんなで集まれるような時が来たんだなぁ。」なんて。昔に起きたあれやこれや、悲しくて苦しかったことや、若い頃にある特別な青さみたいなものがまとめてひと段落したかのように。胸がホッとして目にはじわっと熱い涙が滲むような気持ちになったのだ。
現実ではもう二度と会うことがないだろう。そんなことをうっすら知っていた。そしてそのまま目を覚ました時、私はふと「こうして誰かの夢に、私自身も出演することがあるのだろうか。そうであったらいいのに。」と少しだけ寂しく考えた。
誰かの記憶にびっしり張り付いて剥がれないほど、生き残っていたい。いや、心に残って生きたい。そんな風に珍しく自覚を持った朝だった。
それからの今日はいつも通りの一日だった。朝は息子を保育園に送り、担任の先生と9秒くらいの朝の挨拶をして、それから私はヨガ講師だから、自分のスタジオに向かうためいつも通りの出勤ルートを辿った。何も変わらない高崎市の田舎を通り抜けスタジオに到着。その後ひととおりの掃除をしたら生徒さんを迎え、レッスン時にはカウンセリングをしたりヨガを教えた。今日の生徒さんは数年ぶりに再会したこともあって、自分でも驚くほどに歓びが強かった。というのもひとしきり彼女とヨガの時間を過ごしたり、話をしている間に空白の時間はスルスル埋まっていったし、お見送りの時には互いの再会を心から喜ぶように意志が交差し思わずハグを交わしたんだ。そこで私の身体は数年前、初めて私たちが出会った日にもハグをしたことを思い出した。でも今日の全部が丸ごと、あの時とは全く違う種類の温かさや愛や自分らしさの形をしていたんだ。生きるってこういうことか。とか、明るい光のようなものが生まれた気がしたんだ。
おそらく私たちはあの頃よりも数倍強くなって、数倍ちゃんと空気が吸えるようになっていたし、苦労は成長の種だ。これまでの彼女にあった苦労を想像し少しだけ涙が出そうになったのを堪えた。それでふと彼女の顔を見ると私と全く同じ表情を浮かべていた。私はまたひとり、大切な人間ができてしまったと。ふと今朝の夢を思い出した。
それから帰宅して息子とご飯を食べて、風呂に入り、寝かしつけ。すこしだけ本を読んで今になる。
今日というなんでもない一日の素敵な思い出達はいつか、いつのまにかひとつも無くなってしまうのかもしれない。私は歳を重ねていくうちに、今日に起きた奇跡のことを「〜に行った」とか「〜さんと会った」とか、そんくらいにしか思い出せなくなるのかもしれない。こんなにも最高の記憶や感覚を。あっという間の日々で、こんなにも過ぎてしまうものの中で、何も残していけない。と、自分は無情なのかもと情けなくなった。最近の世間は口を揃えて「前を向け」「未来のために生きろ」というが、この「今」を噛み締めてどこか体に刻みたい。そうすればきっといつまでもあなたに会えると思うって。
あぁ、やっぱり。こんな風に思うのは全部、今朝みた夢のせいみたい。
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