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タブーな話題に触れてみた件


「宗教」について思うことがある。というわけで少しだけ思いの丈を書いてみる。だから初めに言っておくよ?信じることは自由だし、人それぞれだからね。それが良いとか悪いとかの話ではないです。タブーな話題と言われるソレについてですが、温かい気持ちで読んでください。それでは始めます。

そもそもまず初めに気が付いたのだけど
「今日から宗教をスタートします!」という人はいない。それぞれに「宗教」との出会いや、ヒストリーがあるのだろう?そういうことを私は考えた。つまり自分が「宗教と出会うならば」というシーンを想像した時、パッと思い浮かんだのがアレだ。

絶望的に腹が減っている時に登場する、救いの神。「アンパンマン」

彼は飢えて苦しんでいる人の元へ救世主として現れ、自らの顔をちぎりアンパンを与える。その瞬間、苦しんでいたカバオくんなんかは「うわぁ、神様だ。」みたいな感じになるでしょう?涙を浮かべて心の底から言うね「どん底の人生から救っていただき、ありがとうございます!」
細かな設定はさておき、きっとみんな「宗教」の始まりって「感謝」なんじゃないかなぁと思ったんだ。「私の人生を変えてくれた瞬間」みたいないわゆるターニング感謝ポジション。
だから私が思うに「宗教」ってそんなに悪くないよね。それぞれでいいんじゃないかな。まぁ、他人から押し付けられると色々シンドイけど、個々が何かを信じて生きがいにすることはかなりアリだと思う。自由にやってくれ。

それで話は戻るけど。それから私は「宗教」について広辞苑でも調べてみた。するとこんな記載があった。

神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」

そこでふと私はもう一つ重要なことに気づいてしまった。これって最近で言うところの「推し活」とかもかなり信仰じゃない?

「推しがいない世界なんて信じられない!「推しのおかげで今日も生きれる!」

それってすごく人間味があって良いと思う。推しのグッズを揃えるために同じ内容のCDを何形態も買ったり、全身「推しカラー」の洋服を着て、全身「推しカラー」の持ち物を身につける。そういう女の子を街中ではよく見かける。彼女たちをみてると私は幸せになる。好きなものがあるって素敵。私は「推しのいる生活」に憧れる。「宗教」というと一気に引いてしまうけどフランクに言えば割と似ているような気がしない?それからもう少しコアなところで言うと、

「ポケモンカード」

とかも信仰だよね。何やら聞いた話だとオークションでは一千万を軽く超える。初期の「リザードン」なんて億単位らしい。私みたいに詳しくない奴からしたら「ただのカード」だ。だが、貴重価値はものすごい。「ただのカード」に数億払う奴もいる。どうかな?フランクに言えばこれもカード信仰。

あとは「柔軟剤、だめ!ゼッタイ!」みたいなことを教えてくれる人がいるよね。そういうところもきっと初めの初めは「感謝」から生まれたんだと思うよ。ある人が教えてくれたおかげで「肌荒れ」や「アトピー」が改善したとか「彼に出会ってなかったら自分の人生は終わってた」とかね。

それぞれ私はすごく良いと思う。
それがたとえ「過度」であっても自己責任.他人がとやかく言うもんではない。そう言うことを言えば私も実際にすごく感謝しているひとがいる。たとえばその人がどんなにキモいとか怪しいとか陰口をたくさん叩かれるようなことがあっても、私はきっとあの瞬間の感謝を忘れない。


でも最後にひとつだけいい?
私からみんなにおすすめしたい信仰が一つある。それは

「自分」だ。

推しは「自分」なんてどうだろう?信じていくんだ「自分」を。愛してみるんだ「自分」を。感謝してみるんだ、自分の毎日。そうすればきっとどんな未来にも負けないだろう。以上!タブーな話題に触れてみた件でした。ぐっない。

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