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感謝して生きたり、輝いて生きたり。


「価値観が広がった話」を書いてみます。私がつい先日出会った「プロフェッショナルな人達」についてです。ひとまず話を始めます。

一人目のプロフェッショナルは、山のふもとにある「ゴミ処理センターで働く、ギャルのお姉さん」でした。彼女は全身作業服、頭には黄色いヘルメット、口元には大きなマスクをつけ、濃いメイクに長い髪。色落ちした金髪を一つにまとめ、小麦色の肌には懐かしきギャル感を纏っていて。普段だったらどちらかと言うと友達になれないタイプの方でしたね。ですが私は彼女のことを心底尊敬したのです。それはなぜかって、あの騒音と酷暑と悪臭が立ち込めるゴミ処理センターの中心で、颯爽と仕事をしていたからです。正直なハナシ、私だったら本当に数分で逃げ出したくなるほどの悪臭に(勿論ゴミの匂いです)大きな機械の騒音。ものすごく頭痛がするタイプの現場が彼女の職場でした。にもかかわらず彼女はテキパキと仕事をやってのけ、次から次へとお客さんたちの役に立っていたのですね。あの彼女の対応力は「ゴミのプロ」そしてあの場で私は間違いなく「ゴミ初心者」だったなぁと。

その時彼女は「ゴミ初心者」である私にも本当に丁寧に対応してくれました。「燃えるゴミはこちらで捨ててください。あ、燃えないごみなら3番へ持っていってくださいね!あとこれはここで捨てられますし、この辺はわたしがやっておきますよ!」なんて言って。彼女のおかげで大量にあった作業はすぐに終わりましたし、暑い中文句ひとつ言わない優しさや、知識をくれる彼女への感謝は止まりませんでした。「仕事」であれやっぱり私だったら数分で熱中症になりそうでしたし「臭い」だの「気持ち悪い」だの言ってやめてしまうだろうその職場で。環境にへこたれず最後までベテランの素晴らしい接客をしてくれたお姉さん。彼女は本当にプロフェッショナル。

たとえ内容が「ゴミ捨て」であろうと、彼女に救われる人はきっと沢山います。それを見て私はどんな環境にも「光」がそこにあることを知りました。
あぁ、この世にちっぽけな人なんていないんだなって改めて。大事なことを教えてくれたお姉さん。この世界にはすごい職場があるし、感謝しなきゃいけなきゃ人がいっぱいいるって知りました。ね



というわけで、続けて後編はもう一人のプロフェッショナルの話をします。手短に。
もう一人は「焼きとうもろこし」を焼く、老舗の店長でした。ずいぶん古くからそこにある、これまた田舎道を山に向かって30分ほど進むと現れる夏の風物詩「焼きとうもろこし屋さん」のおじいちゃん店主です。夏になると私と旦那さんが楽しみに訪れるそのお店に「今年も来たぞ〜」と言わんばかり。私たちは今年も楽しみにそこを訪れ「焼きとうもろこし」を注文しお店の中の座敷にすわって食べました。ちなみに今年も「焼きとうもろこし」は口に入れた途端、醤油の香ばしさが鼻を抜け、自然な甘さが口いっぱいに広がりまして。そしてそんな甘味を邪魔しない絶妙なしょっぱさ。と、ここでふと気づいたのです。「あれ?どこを齧っても醤油の塩加減が絶妙!」
なんて。美味で仕方ありません。「うわぁ、うめぇ!」とか言って秒で食べ終わり、お茶を飲んでふぅ〜。

そうして満足した私はふと厨房を覗いたのですが、そこにいた店主はかなり年配。80代に見えましたが、調理場の熱さなんてモノともせず。とうもろこしの直火から1ミリも目を逸らさない熱量。醤油差しから僅かずつ醤油を垂らしていく微細な作業を長いこと長いこと火の後ろで繰り返していました。それを何本も、何本も。何年も、何年も。毎年暑くなっていく夏に負けじと絶品を作り上げているのだなぁと思ったら、やっぱり私は「とうもろこし初心者」で、店主は「とうもろこし師匠」でしたよね。

あのゴミ処理場のお姉さんと共通する事といえば、

彼らのことは誰も見ていないし、イイネを押したり褒めたりしないけど。やっぱりそこには「光」がある気がしたのです。あんなにも美味しいものを作れる人がいて、「うめーうめー!」と、人々を感動させてくれることに私は感謝しました。きっとこれまで店主を続けてきた裏には相当な苦労があったことでしょうし、店主の努力に感服。

というわけで。
「ゴミプロ」のギャル姉さんと、「焼きとうもろこし」の師匠こと店主。この二人は私の価値観をまた一つ広げてくれたのでした。

そして結論、この世に「一番すごい人」なんていないと分かったのです。

それっていうのはたとえば、私がエッセイの道を究めて「世界一のエッセイスト」になったとしても、あの「ゴミプロ」には勝てないし「とうもろこし」も美味しく焼けないだろうと。

誰がどんな世界で活躍して超一流になろうと、元を辿ればたった一人の人間であり、どうしたって誰かに助けてもらいながら生きていくのでしょう?そう考えるとこの世に「一番凄いひと」なんていないし、反対にみんながみんな何かしらの「光」を持って生きている。それが目立とうが地味であろうが、いいねが多かろうが少なかろうが、一軍だろうが二軍だろうが、誰の目に止まらずとも。ということです。

だからこそ、人生って本当はいつでも感謝して生きるべきなんだろうなと知りました。
ゴミ処理センターにも光輝く人がいて
とうもろこし屋さんにも天才がいる。
スーパーにも、ドーナツ屋さんにも、保育園にも、病院にも、スポーツジムにも、漬物屋さんにも、光り輝く人がいるし、自分もその一部だと。誰とも比べることはない。比べようがないたったひとつの光を磨き続けるのでしょう。だからきっと、これを読んでいるあなたも光を持っています。それがどんな形であれ、誰の目にとまらずとも、いつか必ず誰かの役に立つのでしょう。

感謝して生きたり、輝いて生きたり。
今夜はそんな感じです。

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