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SNS行方不明事件について



これまた小さな事件が起きた。

私の大好きなバンド、KEYTALKのフロントマンが体調不良となり、一定期間の休養に入ると発表されたのだ。それは突然のことのようで、実は大きな前振りがあった。

というのも、その発表の少し前にコトは起きていた。当人はこの時代へ「衝撃」とも呼べる形で行動に出ていた。なんとある晩突然、当人の全SNSがおもむろに削除されてしまったのだ。フォロワーが数十万人いた筈のInstagramや、Xのアカウントは失踪の如く存在を消し、ファンの間にはすぐさま噂が飛び交った。

「え?!〇〇のアカウント消えてない?!何が起きてるの?」みたいな混乱と悲劇の初動と共に、バンド活動に注目が集まってい中での休養報告だった。

結果としてバンドは残りのメンバーでなんとか続けていくようだったが、本人からのコメントは一切なく「体調不良」の一点張り。真相は不明のままとなった。(おそらく精神疾患であろう。)

どこかすっきりしない結末ではあったが、ここまで駆け抜けてきた彼の活躍を知るファン達からは心配の声も、暖かな声も、復活を望む声も熱くあがっていた。という

そんな一連のシーンを画面の前で眺めていた私は、慣れた手つきでスクロールを繰り返し、いささか他人事ではなかった。



SNSというツールが生まれたこの時代、人々の寿命はあからさまに縮んだだろう。

世間は一般人だろうが有名人だろうが関係なく、常に見張られるようになったし。何が嘘で、何が本当なのかは分からなくなった。そんな中で影響力を持てば持つほど、この小さな機械に心臓を潰されるかのごとく緊張感を増して。たった一つの言葉で世界中を敵に回すことにもなるし、たった一つの行動で街を歩けなくなるかもしれないのだ。

「寄ってたかって」という言葉がこれほどまでに脅威を増してしまうことを、誰が知っていただろう。人はいつも凶器を持ち歩いているとさえ、私は思うんだ。

だから私は他人事だとは思えなかった。少なからず、「発信者」としてエネルギーを吸い取られることも時たま感じてきたしね。


やっぱり、
SNSがなければ毎日はどんなに豊かで、安心で、活気付くのだろうと夢をみる。そう言いながら他者の念が詰まったこのスマホを、恋人よりも長く長く見つめて抱きしめている自分はどうなんだろう。な

話は戻るけど.
今回、大好きなバンドマンが一人SNSから姿を消し、解放されたその様子を見て「それは正しい選択だ。」と心の底から言えた。



勿論バンドマンには帰ってきて欲しいし、また素敵な歌声で私の暮らしに豊かさを与えて欲しい。ただ、生命力を失くしてまで人に尽くすというのは違う。隣の人が裸で震えているからって、自分の服を全部脱いで与えるのはあかんでしょ。そういうことだと思う。本当の世の中はどんな善人でも全てを与えるなんてあり得ない。僅かなギブアンドテイクで成り立っているのだ。
ひどいことを言うようだけど、全てを捧げてはならない。休むのも良し。逃げるのも良し。あなたが満たされてこそ、人へ与えられるのでしょう。まずは自分が「大丈夫」であること。

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