エッセイが書けない夜も
目覚まし時計が鳴る。AM7:15。
昨日も、今日も、明日も7:15だろう。まだ夢か現かぽわんとした頭で、今日の予定を思い出す。大抵は仕事だし、息子は休日だろうが平日だろうがお構いなく早起きだ。明日もきっと同じ時間に起きて、似たように慌てて朝食を食べる。同じようにむくんだ顔を洗い、変わり映えのない化粧をして、いつものヘアオイルで髪を整える。それからお決まりの洗濯物を干して、見慣れた通園ルート。息子を保育園に送り出し先生に2秒の挨拶。「おはようございまーす、よろしくお願いしまーす」
いつもの通勤、いつもの交差点、いつものスーパー、いつものBGM、いつもの上司、いつもの帰り道、いつものTVコマーシャル、いつもの味噌汁、いつものスマホ、いつもの歯磨き。完全なるワンパターン、。
だから私はエッセイを書き出そうとペンを握る時、うむむと頭を抱えるんだ。こうした何も変わらない毎日に、何かしらネタを見つけようと頭をひねったって。見ている景色が大して変わっていないのだから、思考にも飽きがくる。
そういう時に私はこぞって本を読むんだ。言葉と旅に出る。本の中には見たことのない景色や出会ったことのない存在、聞いたことのない声や詩や、感じたことのない光が詰まっている。きっと宇宙なんだと思う。たとえば、面白いことに対して、「面白い」といえばたったの一言だけど。それを「面白い」と言わずに伝えようとしたら書き手によって変幻自在。言葉の持つ意味はどこまでも奥行きが深く、深く。空は無限大に広がっていく。言葉はいつも意味を超えてくる。私を遠く見たことのない街まで連れていってくれるんだ。
だからエッセイが書けない夜も悪くない.私はいつでも空を飛べる。
そうして本を読んで、今日の私はたくさんのことを感じて生きてみた。いつもとおんなじ毎日を輝かせるかどうかはきっと、自分次第の心掛け次第なのだろう。
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