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「誰も助けてくれる人はいない」って思ってた。

先週低気圧で身体と心が死んでいて、今自分がいい感じのうつ状態に入ってるなと思う。
少し暗めのトーンの言葉が多くなっているけれど、心の奥深くのドロドロとした感情と繋がっていて、そこから言葉が出てくる。
今ならいい文章というか、自分が好きな文章が書ける気がするので、一旦吐き出していく。

友達から借りていた、川上未映子さん著作の「黄色い家」を昨日読み終えた。
”人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか”
というキャッチコピーに表されるように、10代の女の子が家庭環境や置かれた状況の中で、どんどんと苦しい状況に追い込まれていく内容の作品。

自分自身の色々な記憶が思い起こされてしまって、途中で一度読むのをやめていたのだけれど、それでも読みたくて読み切った。
この作品はきっと、「こういう世界もあるんだな」と一種のファンタジーとして読めてしまう人と、「本当にすぐ側にある物語」として読める人がいると思う。

少し湧き上がってきた記憶について書く。

大学3年生の頃、母が一時的に鬱になっていた時期がある。

母は、島の出身で、ギャンブル中毒の父親と精神疾患を抱えた母親の元で育ち、給食費も払えず、明日食べるものがないといったような絶対的貧困の中を生き抜いた人。(本来なら確実に保護案件)
2017年の春に一緒に島に帰った際に、母が「見に行きたい」と言って、育った家を直接見にいくことになった。
当時の感じがそのままに残っていたらしい。それは家というよりかは小屋だった。
そこからフラッシュバックが起きてしまったのか、母は体調を崩し、大阪に帰ってきてからも、しばらくの間、パニック症状が出たり、鬱になっていた。

当時は僕も社会福祉士の実習準備などもあり、忙しい時期ではあったけれど、朝は母の話を聞きながら学校に向かう準備をして、授業を受けて、家庭教師のアルバイトをして、家に帰ってきたら買い出しに行き、家族の晩御飯を作り、「これ食べといてね。」と伝えて、自分は定時制高校での居場所づくりなどのインターンに出かけて、23:30頃に帰ってきては、一人で残った晩御飯を食べていた。

1日30分も自由にできる時間がなくて、「悩む暇もない」というのはこういうことかと思った。

そんな中、母は統合失調症のような症状で幻覚を見ることもあった。
「蛇が首に巻き付いてきて息が出来ない」と言って床に倒れて暴れる母を僕が介抱する横で、父親は「俺の前でそんなことをするな」と言葉を吐き捨てて部屋に逃げた。あの場面が忘れられない。
もともと父親のことは嫌いだったけれど、「わけがわからない」と思った。(もしかしたら本人もどうすればいいのか戸惑っていただけなのかもしれないけれど。)

他にも「お金が無い」といってパニックになっている母親を落ち着かせるために、とりあえず10万円を持って「生活費に充てて」って伝えて、それからしばらく家にお金も入れていた。
もともと家にそんなにお金がなかったから、勉強を頑張って、授業料免除を取って大学に通っていた。それでも本当は生活していくだけのお金はあるってわかっていたけど、母がパニックになってるからまずは落ち着いてもらうことが大事だと思った。

フラッシュバックを原因とした鬱だと思ったので、時間が経てば必ず母は回復する、半年の辛抱だと思っていた。
けれど、これが2ヶ月ぐらい続いてきたあたりで、もう限界だと思ったし、夜に一人で涙が止まらなくなって「誰か助けてくれ」と、親には聞こえないように、布団の中で声を上げていたこともある。

けど周りを頼るのが下手くそで、素直に頼れなくて、「最近しんどいねん〜」と大学の友人には軽い感じでしか話せなかった。
そしたら「あんまりそうは見えないけどな」とか「とか言って、にっしーは出来るやん」って言われて、さらに吐き出せなくなっていった。

思えば、このときが、鬱につながる決定的瞬間だったなと思う。
「もう誰も頼れない、助けてくれない、自分が頑張るしかない」って思ってしまっていた。
それから鬱になるまでは1年半ぐらいあったし、「急だったよね」って言われるけど、本当はずっと心の中は壊れてた気がする。表面では見せないけれど、内面はおかしくなってたと思う。

今振り返ってみれば、ほんとはどうとだって出来たはず。近くに住んでいるんだから、兄たちにヘルプを出せば良かったし、インターンなんて休めば良かったし、学校の先生たちにも話して、何か配慮してもらうとか、いろんな方法があった。でもそれが見えなかった。福祉について専門的に学んでいるはずだったのに、そんな自分でも全くヘルプを出せなかった。
それぐらい、追い込まれた時は、周りを見る余裕を無くすってことなんだと思う。
その反省から、今は少しずつ周りを頼る練習をしている。

これを書いている最中に、そういえばと思い、当時Twitterでしんどいって書いたら、LINEで「しんどくなったらいつでもいってやー」と送ってきてくれた人へ自分が書いた返事が出てきた。(そう、本当は助けようとしてくれた人たちもたくさんいた。受け取れなかったけど。)

ありがとうございます〜
あんな風に吐き出しちゃったけど、もう少し踏ん張りたいという気持ちもあって
言っていた母親の調子が一時的に崩れていて、その精神面のケアを俺がやっているのと、もともと賞与型の奨学金や授業料免除を受けることで大学に通えてるぐらい少しギリギリの生活をしていたので、母親が今あまり働けなくなってしまうことでその辺りもごちゃごちゃし始めていてて…
お金の件は今日の朝、親と一緒に整理することでまだなんとかなりそうだということになったのですが。
学校とかで友達といる自分
家で家族といる自分
インターン先やバイトなど外の人といる自分
場面ごとにある役割というか、そういったものがさらに分離していくようで、一時的なことではあると思うんですけど、どこに、誰に吐き出せばいいのかわからなくなって、少し疲れてしまっています。
なんかまとまんない言葉になってしまった
一応基本的にはまだ前向きだし、ちゃんと動けてるので、まだ大丈夫かな?という感じだけど、最近ああやってSNSとかでしか吐き出す場所を作れてない状況が良くないなと自分で思います笑

当時のLine

読んでてなんだか過去の自分を抱きしめてあげたくなりました。

踏ん張りたいんじゃなくて、踏ん張らなきゃと思ってたんだよね。
分離しまくってたよね。
前向きじゃなくて、泣いてたよね。
ほんとは大丈夫じゃなかったよね。

頑張ってたよね。ほんと。この後もずっと。鬱になるまで頑張ってたよ。

長文、それも暗い話。
けど自分にとって大事な話。
「黄色い家」を読んでてずっと頭の中で再生されてて、吐き出したかった。

今は母親も元気。父親とは表面上だけのやり取り。
自分は2019年の3月から2020年の12月ごろまで鬱になっていたけれど、なんとか回復してきた。
今は弱さも吐き出せるようになってきた。周りを頼れるようになってきた。
生きる力が付いてきた。
大丈夫かどうかはわからないけれど、今はこれでいい。


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