こわいばあちゃんは神さまになった
平成から令和に年号が変わるまであと数日というところで、大正に生まれた大好きなばあちゃんが亡くなった。101歳の大往生。
真夜中に自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取ったとのこと。
◇
ばあちゃんが亡くなる5日前の夜、もう余命いくばくもないだろうという知らせが入ってきた。ばあちゃんが生きているうちに一度は姿を見られないか。翌日以降の行動予定を変更してすぐにでも向かうべきか迷った。
少し先に、ばあちゃんの家に近い場所での所用の予定があって、もともとはこのときに立ち寄ることに決めていた。
さて、予定を変えるか、変えないか。
「もともと来る予定があるんやったらそんでええわい」
「そんな急に予定変えんでもじゃまないわい(=だいじょうぶや)」
ばあちゃんだったらそう思うに違いない。
当初の予定通り、所用の前に立ち寄ってばあちゃんに会った。
ばあちゃんの寝ているところへ案内してくれた同居のおばちゃんが声を掛けると、まぶたをわずかに持ち上げた。
ばあちゃんには自分は見えてなかっただろうけども、自分には、ひと一倍強く鋭かったあの眼光の名残りが少しだけ見えた。眼の光はやけに明るく見えて、具合を持ち直してまだもう少し生き続けるんじゃないかという気がした。
翌日の早朝、ばあちゃんが逝ったと知らされた。
息を引き取った時刻は、前日に立ち寄ったばあちゃんの家を出発して所用先へ向かった、ちょうど半日後。
もう少し生きるんじゃないかという願望混じりの予感がしていたにも関わらず、逝去の知らせをきいたときの自分はやけに落ち着いていた。亡くなってしまって悲しい、寂しい、残念というような気持ちは不思議とまったく起こらなかった。
ここまできっちりと生ききったんやなあ。
大往生でよかったなあ。ばあちゃん。
そう思った。
そんな感じをもてたのは、自分の予定を変えずに済むように、予定を変えなくても悔いを残さずに済むようにと、粋な計らいをばあちゃんがしてくれたからなんだろうか。ばあちゃんのあの濃ゆくて鋭い眼はそんなところまで見通していたんだろうか。
◇
小さい頃からほぼ毎年、お盆の時期に、ばあちゃんの家へ行っていた。
ばあちゃんはこわかった。
自ら進んで人の前に出て親切や気遣いを振る舞うふうでもなく、黙々と自分のやることをやっている。接するたび、どうもぶっきらぼうで素っ気ない感じ。
かわいい(はずの)自分ら孫にあんまりかまわない。口数が少なくて、遊んでくれるわけでもなく、気さくに話しかけてくるわけでもない。その辺に置いてあるマンガをボケーっと眺めているところを見られようもんならすかさず怒られる。
人やものごとの奥まですべてをすぐさま見通してしまっているんじゃないかと思うほど、その大きく濃ゆい眼から、強く鋭く光る目線を向けてくる。
そんなばあちゃんが田舎のでかい古民家で生活している。地方都市の団地の小さな部屋でこぢんまり生活している子どもにとってこわくないわけがない。むしろ気味が悪い。
そのくらいこわかったけども、ばあちゃんの家の雰囲気にはどこか惹かれるものがあって、お盆の度に連れて行かれるのはそれほどイヤなことでもなかった。
◇
そのうち自分も大きくなり、ばあちゃんもそれなりに老いが進む。小さなときに感じていたあの「こわい」立ち居振る舞いそのものは相変わらずだったけれども、単なる「こわい」ではなくなってきた。
ばあちゃんの表情や姿を見るに…
自分のやりたいこと、自分がやることだと思ったことを、黙々と、淡々とやっている。ただただ静かにやる。気がついたらそうしている。
いいことだろうがよくないことだろうが、なにがあっても、自分からはどうこう言わないで、すべてを自然に受け止めている。
ばあちゃんが年を重ねるごとに次第にそうなってきたのか、自分が大きくなるに連れてばあちゃんがそう見えるようになってきたのか。いずれにしても、そんな「飄々とした感じ」が重なってきた。
その飄々さ加減は、生き続けることや死ぬことに対してさえ執着するような素振りや雰囲気を一切感じさせなかったほど。
そこに加えて、年を取っても一向に衰えるようには見えなかった、強くて鋭い目線。眼の奥の底知れない深さ。
「こわい」は、さらに深い「凄み」に変わっていったのだ。
最後の最後までばあちゃんから醸し出されているように感じたその「凄み」。もう少し噛み砕いて言い表すとしたら、近寄り難さと、いつでも傍らにいていい安心感の両方を同時に感じさせる、独特の不思議な感覚。
これはなんだか、神さまだとか仏さまだとか、そういう存在に感じる馴染み親しみに近いものなのかも知れない。
◇
自然の一部として居て、自然に朽ちて、自然の一部として還る
自分ができる、やりたいこと、やるべきだと思った目の前のことをやり、黙々と、淡々とやり続け、それでいて執着しないで流れ往き、なるようになって、そのうち自然に衰えて、お迎えのときが来たら、自然に死ぬ。
子どもの頃からほぼ毎年お盆の時期に、そういうことを少しずつ少しずつ教えてもらいに、ばあちゃんのところへ行ってひとときを過ごしていたんだろうかと、今にして思う。
ばあちゃんの旦那さん、つまり、自分の祖父にあたる人は若くして亡くなった。それ以来、この一家では60年以上もの間、誰も亡くなることなく、次がここまで長生きをしたばあちゃんだった。
ばあちゃん自身が次に息を引き取ることができたというのは、自分ら遺族にとってはもちろんのこと、ばあちゃん本人にとってもきっと本望、幸せなことだったに違いない。
そんなこともあって、天寿を全うしたばあちゃんには「もっと生きていてほしかった」というような悲しさ寂しさは、いい意味で起こらない。
ここまできっちりと生ききったんやなあ。
大往生でよかったなあ。ばあちゃん。
今もやっぱりそう思う。
◇
葬儀を終えた翌日は、平成最後の朝だった。
目覚めてすぐに自然と流れてきた涙は、悲しさや寂しさよりも、幸せにずっと近い気持ち、その大きな感動~感慨深さ~が胸から押し出されて溢れてきたということなのだろう。
こんなに多くのことを思い出すほどの人が亡くなって居なくなってしまったら、悲しくも寂しくもなるのが当たり前だろうと思うけども、そんな感じは全然しない。むしろ、ばあちゃんは亡くなってますます近い存在になってきている。
たぶんこれから、事あるごとに「ばあちゃんだったらどう言うか」というふうに、自分の行動を選択していくんだろう。そう思いつつも、しょっちゅう忘れて「みっともないことすんな!」ってばあちゃんはギョロっとした眼を向けて自分を怒るんだろう。そういうばあちゃんにもいつも居てほしい気もする。「ほんなんどんならんわい」って飄々と呆れられるぞ。困ったもんだ。
もしかしたら、胸を押すものは、死してより近くなったばあちゃん自身なのかも知れない。あんまり悲しくないし、寂しくもないよ。
◇
P.S.
ばあちゃんが亡くなる前後、趣味ブログのデザインリニューアル作業に取り組んでいました。葬儀の直前に採用したデザインのテンプレートには、タイトルのそばにタイプライターの画像が置かれていました。日記的な内容のブログだからそのままでもいいかと何気なく思って放置していたら、ばあちゃんは若い頃にタイピストの仕事をしていたということを知りました。
たまたま付いていたタイプライターの画像に、図らずもひとかたならぬ思い入れが生じてしまいました。採用したデザインのテンプレートに妙にこだわってあれこれカスタマイズの試行錯誤を続けてしまったのは…ばあちゃんや!ばあちゃんのせいやっ!
そんな偶然の巡り合わせの記念とばあちゃんへの感謝を込めて、これからはタイプライターをシンボルにすることにしました。今後、ブログのデザインを別のものに変更することはあっても、タイプライターのイメージは目立つところへ必ず置くことにしようと決めたのでした。
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