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なるべく小さな幸せと、なるべく小さな不幸せ

なるべく小さな幸せと、
なるべく小さな不幸せ、
なるべくいっぱい集めよう、
そんな気持ち、わかるでしょう。

って、歌詞を、
いまなぜか、ふと思い浮かんで、

すごい、わかるわかる、
って突然なった。


なるべく小さな幸せ。

今日一日の小さな幸せを3つ、
寝る前にリストアップする習慣を身につけるのは、
うつ病の治療に、非常に効果のある方法の一つとして、
心理学でも証明されていて、よく知られている。

大きな幸せじゃない、
なるべく、できるだけ、
小さな方がいい。

今日は暑かったけど、一杯の氷水が冷たくて美味しかったとか、
外に出ようとしたら、ちょうど雨が止んでラッキー!とか、
そんな些細なこと。


しかし、これ、うつ病の人にこの宿題を出すと、
みんな、必ずと言っていいほど、すごく難しがる。

おそらく、
痛みが強すぎて、
マイナスの感情を感じないようにする習慣を、
ずっと身につけてきて、
感情が麻痺してしまっているように、
僕は思うのです。

ネガティブな感情に蓋をしてしまうと、
同時にポジティブな感情にも蓋をするのと、
全く同じことになるからです。


なので、ここからリハビリしていくには、
小さな幸せ探しと同時に、
なるべく小さなアンラッキーの方を感じることにも、
チャレンジするのが良いと、僕は思う。

できるだけ、小さくていいから、
小さな痛みを感じる練習。

ゴミの回収車がゴミ出し直前に行ってしまって、がびーん(笑)とか
見ようと思った番組を見逃してしまって、がちょーん(笑)とか、
そんな、小さなこと。


反省癖、自己否定癖がついている人は、
大き過ぎる衝撃に、真正面から向き合おうとする傾向があると思う。

本来、極端に大きすぎる、
情緒的痛みが起こった場合、

それは、一目散に、
逃げたほうがいい、避けたほうがいい。

目をそらして、
別のものに気分を切り替えるのだ。

それなのに、
無理に対面しようとして、
よけい麻痺を起こしてしまっている。


動物が逃れられない危機に直面した時、
死んだふり状態に固まって、
生存本能の最終手段を使う。

人間にも野生の生存本能があって、
神経のキャパを超える強すぎるショックがあった時、
背側迷走神経という神経機能が働き、
シャットダウンを起こす。

感情麻痺、頭真っ白、全身強直、意識飛んだ、
という、あの感覚ですね。

PTSDの3徴の一つにも、回避・麻痺というのがありますが、
症状というより、強すぎる衝撃を受けた時の生存戦略。

逃げたほうがいいのだ。
生物として、正しい選択なのだ。


人は、神経系の耐性の許容量が決まっていて、
(しかも個体差が大きい)
ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、
刺激がある一定ラインを超えると、
有効にフィードバックして自己調整し、
体験と学習に活かすことが、
できなくなってしまう。

現代社会は、完全にヒトの受け入れられる刺激を、
遥かに超えた情報が溢れていて、
神経が、完全に麻痺してると思う。

偉そうに言っている自分がいい例なのですが、
すごい辛いものか、
めちゃくちゃ甘いものか、
しか、味がわからないのです。

そして、もっと、甘いもの、
もっと辛いもの、
と度数の強い刺激が欲しくなる。

もっと、強い反省に、向き合おうとする。
もっと強い、幸福に執着する。

でもそれは、生物として、
神経生理学的に無理のある方針で、
すればするほど、神経はシャットダウンして、
感情麻痺に落ちいってしまう。

仮に、その麻痺状態のまま、
大きな幸せを求めて頑張っても、
何かを手に入れたとたん、
実質の無意味感と虚無感に気がついて、
どん底に陥る、アレです。


そうではなくて、

今の自分がじっくり体験できる、
なるべく小さな幸せと、
なるべく小さな不幸せ、
なるべくいっぱい集めよう、

その積み重ねで、
自分の彩りのある感情の感じられる世界が、
生きているという本当の実感が、
じわじわと取り戻されているように思うのです。



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