季語の本意をふまえるとは?
気候もよく、吟行日和の日が続きます。
先日の句会もめちゃ楽しみましたよ。
今回も、気になったやりとりについて触れますね。
RCが、馬酔木の花を詠んで出句したのですが、「この句は意味がわからなかった」と言われてしまいました。
そこで、句を詠んだ場所や、詠みこんだイメージを説明しました。「マンションの植え込みに咲いていた馬酔木と、そこに住む人たちの暮らしに思いを寄せて作りました」と。当然、理解してもらえるものと思っていました。
ところが、「馬酔木は山に咲くイメージですね」と一蹴されてしまいました。「日陰でも育つので、よく植えられますけど」とフォローはしてもらいましたが。
自分の不勉強を暴露され、恥ずかしい思いをしましたが、同時に、ムクムクと向学心も湧いてきました。
これって、「季語の本意」ってやつですよね。
そこで、説明が詳しい歳時記を探して開いてみると、やはり馬酔木は山に多く、本意は「万葉の頃を思わせる清らかな野性的な品のある花」ということです(平井照敏編『新歳時記 春 軽装版』河出書房新社、2021年(1989年初版))。当然ながら例句も、その本意にふさわしいものが並んでいました。
RCは、街で見かけた植え込みの馬酔木に目を向けたわけですが、俳句に詠むには、この万葉の昔から続く伝統的な季語の本意をふまえる必要があったわけですね。そうすれば、句意がきちんと伝わり、しかも深みのある句が生まれたかもしれません。
伝統と革新。これは対立するものではなく、共鳴し相乗効果を生み出すもの。そう考えています。いま目の前にある馬酔木をどう詠むのか、これから楽しみになってきました。
明日も素敵な季語との出会いがありますように。
RC