保健体育教師とコロナ禍
この記事では「保健体育教師とコロナ禍」というテーマで、自分の今感じていることをまとめています
コロナ禍によって既成概念が揺らぐ
今まで当たり前のように行っていた慣習や行動、考え方を一変させた新型コロナウイルス。それは学校現場でも同様です。
日本の学校生活は「密」を前提に成り立っています。そんなことはコロナ禍になるまでは考えもしなかったけれど、その前提が崩れると、もうすべてを一から考え直す必要があります。
それに追われ、振り回されながら日々を過ごしています。そして既成概念が揺らぐと、ふいに考えさせられる事も増えました。そういう意味では、僕にとってコロナ禍は自分の置かれている立場や環境、働き方を振り返り、考えることのできる機会となっています。以下、掘り下げてみます。
授業
今、感染リスクの高い活動は学校で禁止されています。例えば体育では…
生徒が密集する運動や近距離で組み合ったり接触したりする運動
「言うは易し、行うは難し」とはこのこと。これが禁止なら、いったい何をさせれば良いんじゃ!
そんな声が全国の保健体育教師から聴こえてきそうです。
それくらい従来から行われてきた旧態依然の体育授業は他者との協同を前提にデザインされています。そんな当たり前すぎることにも、コロナ禍になってはじめて気付きました。
この状況下で、どのような授業をすれば良いのか。
そんな教師側の困惑とは裏腹に、生徒達は普段以上に運動不足気味かつストレスも溜まっているため、身体を動かしたいのです。
特に去年、はじめての緊急事態宣言が解除され3ヶ月ぶりに学校での授業が再開された6〜7月は、すべて個人で完結するエクササイズ的なことしか出来ませんでしたが、保健体育教師として本来的な役割を果たせたような気持ちになりました。学校で体育が必修科目として週2〜3回ある意味を改めて感じるきっかけでした。
そしてコロナ禍をきっかけに、今までやってきた自分の授業を振り返ると、それこそありきたりな、誰でも代われる、面白みのない授業しか出来ていない自分。10年もやってきているのに、まったく成長を感じることができない自分に辟易としています。
生徒集団を動かしたり、端的かつ具体的に指示を出すなどのオペレーション能力は確実に向上しました。しかし、教師の根幹の部分である授業力がまったく高まっていない!
このまま次の10年も惰性で過ごしたら…考えるだけで恐ろしい中年給料ドロボウの誕生です。
そうなりたくない!と強い焦燥感を感じています
これもある意味ではコロナ禍が与えてくれた課題だと思うようにしています。
部活動
保健体育教師のほとんどは部活の顧問がしたくて教員を志します。そして採用されたら、部活に没頭します。夢中になります。
何故か?
これはあくまで私見ですが、保健体育教師にとって部活動とは学校内で唯一生徒と深い関係性を築くことのできる場であり、自分の自己肯定感を高める事のできる活動だからです。
もともと教育現場はやったことに対しての成果が数値化しにくく、目に見える形での成長を実感するまでに長い時間が掛かります。さらに5教科の先生ならテストの点数や模試の偏差値、合格実績などで自身の仕事を評価してもらえますが、保健体育教師にはそれもありません。
すると最後の砦が部活動なわけです。表彰台や賞状をもらったり、全国大会などの上位大会に出場出来ればわかりやすく周りから賞賛されます。校内での地位が確立され、発言権が増します。そして生徒や保護者から感謝されます。生徒の心身の成長を間近に感じることができ、統制の効く生徒集団が校内にいることで、いろんな面で仕事がやりやすくなります。
だからのめり込んでいきます。僕もその端くれなので、とても良くわかります。
そんな部活動がコロナ禍で真っ先に矢面に立たされ、自粛を余儀なくされました。
すると、ぽっかり心に穴が空いたような物足りなさを感じます。そして学校に居場所がなくなったような、必要とされていないような感覚に陥ります。僕でこれなら、本当に心血注いで部活動に取り組んでいる方たちはどうなってしまっているんだろうと思わずにいられません。
このコロナ禍を機に、部活動のあり方についての議論は進むことになると思うし、方向性としては衰退していくことになるでしょう。
そんな時、これまでの部活動との関わり方、もっと言えば依存度と、どう折り合いをつけていくかが保健体育教師にこれから求められると感じています。部活動以外で必要とされる、求められる仕事ができているか?自問自答の日々は続きます。
同時に部活動をどのような目的で、どこに重点を置き、何を大切に活動していくのかも顧問がしっかり持っておく必要もありそうです。ただただ今までやってきたからという理由だけで思考せずに惰性で続ける時代にコロナ禍が終止符を打つことになりそうです。たかが部活動、されど部活動。
コロナ禍で表面化した部活動問題は、これからも考え続けていかなければなりません。
家庭生活
僕も教師である以前に、1人の人間です。結婚し、子どももいます。
部活動が自粛ムードになったことで去年・今年と多くの試合が中止になりました。その結果、日曜・祝日の休みが増え、家族と過ごす時間も自ずと増えました。
それが日常化してくると、家族との時間が愛おしくなります。一つでも多くの思い出を作りたくなります。子どもの成長を一瞬でも見逃したくない衝動に駆られます。子どもの成長って本当にあっという間です。大人とは時間の流れが違うし、良くも悪くも元には戻りません。
早く普段通りの日常が戻って欲しいと心から思う反面、家族と過ごす時間が少なくなってしまうのもなんだか寂しい…
コロナ禍によって気付けた家族と過ごす時間の愛おしさ。これはいつまでも忘れずにいたい。
コロナ禍を機に脱皮したい
図らずしもコロナ禍をきっかけに気付けたことも多く、これを機に教師として、1人の人間として一回り大きくなりたいと思うわけです。今は部活動が自粛のため時間は割とあるので、自己研鑽する良いチャンス!
逆にこのコロナ禍をどう過ごすかで差が生まれそうです。より良い方へ成長出来るか、楽を覚えてしまうか…試されている気がします。
過去の自分から脱皮し、次の10年を羽ばたいていきたい!
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