いつも一緒にいた、あの子
こんばんは。
子どもの頃、いつも一緒にいた、一緒にいないときのほうが珍しかった、そんな仲の良い友達、皆さんにもいましたか。
今日は、ちょこっと、敬体を使って、そんな、僕の親友(少なくとも僕はそう思っていた)K君について書いていこうと思います。
K君とは、住んでいるマンションが同じで、幼稚園生の時から、よく一緒にいました。
お姉ちゃん同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いも多かったです。
幼稚園生時代の僕たちは、兎に角いろいろな時に一緒にいました。
本当に、隣にいて当たり前のような存在だったように思います。
しかし、年少さん、年中さんと、2年間、クラスは同じになれなかったんです。
そのことを当時の僕たちはお互いに非常に残念に感じており、幼稚園最後の年である年長さんの時こそは、同じクラスになりたい!と常々思っていた気がします。
果たして年長さんの時、僕たちは晴れて同じクラスになれた…のですが、
喜び舞い上がる彼が、いつも僕にぴったりと、本当にぴったりとくっついてくれた—休み時間に僕の腰を掴んで離さなかったりしてくれていた—おかげで、当時泣き虫だった僕は、彼のあまりのラブコールに戸惑い、泣いていたこともあったそうです(笑)
自分では全く覚えていませんがね!(笑)
彼の家にもよく遊びに行かせてもらいました。
身内の家以外で、最もよく行ったのは、彼の家だったように思います。
彼と一緒に、Wiiで、マリオや、仮面ライダーのゲームや、カービーのゲームをしました。
対戦では僕がいっつも負けて、協力では僕がいっつも足を引っ張っていました。
それでも、彼とゲームをするのを、当時の僕は本当に楽しんでいました。
また、彼は、仮面ライダーのベルトなどをたくさん持っていました。
その類をあまり買ってもらえなかった僕は、いつも彼のコレクションを」見て、羨んでいたものです。
今でも、彼の家の、我が家とはまた違った、当時の僕には新鮮だった香りが、鼻腔の奥深くに、懐かしい思い出として大切にしまわれています。
小学生になると、彼と一緒に学校に行くようになったのですが、彼との間には、一つだけ、忘れられないエピソードがあります。
小学校3年生の時だったでしょうか。
その頃は、彼がいつも、僕のことを迎えに来てくれて、2人で学校に行っていました。
ある朝、いつものように僕の家のピンポンを押した彼に応え、僕が、家のドアを開けると、
何と彼が、涙をぽろぽろと流しながら泣いていたのです。
僕は驚き、彼に向って「どうしたの?!」と話しかけると、彼は、嗚咽しながら、
「・・・ハムスターが死んだ・・・・・・」
と言いました。
彼は当時、家でハムスターを飼っており、どうやらその日の朝に、そのハムスターが死んでしまったようなのでした。
僕は母と一緒に彼を慰め、その後、一緒に学校に行きました。
彼はすぐに泣き止みました。
母が後からその子のお母さんに聞くと、家を出るときにも彼は泣いていなかったそうです。
その一瞬、僕が見た一瞬の間だけ涙を流した、その時彼の頭の中にあった感情は、死んでしまった悲しさだったのか、死なせてしまった悔しさだったのか、その両方だったのか、それとも何か違うものだったのか・・・。
聞かなかったので、詳しくは分かりませんが、普段彼はあまり泣くような子ではなかったので、その「ハムスター事件」は強く頭に刻み込まれています。
小学校高学年になると、段々と、僕たちはあまり話さなくなっていきました。
彼はサッカーっ子で、僕は野球っ子だったし、幼稚園の頃の仮面ライダー以外は、あまり趣味が合うほうでもなかったので、それほど話そうと思わなくなったんじゃないかな、と思います。
小学校6年生の時、僕たちは小学校で初めて同じクラスになりましたが、この時に話した記憶はあまりありません。
そして、僕たちは中学生になり、ますます話さなくなりました。
お互いに部活が忙しく、距離も開いていきました。
しかし、中学3年生の時、今度は中学校での最後の1年に、僕は彼と同じクラスになりました。
が、
最初から最後まで、僕たちはほぼしゃべりませんでした。
何なら、昔、僕は彼をあだ名で呼び、彼は僕を下の名前の呼び捨てで呼んでいたのに、
ある日、久しぶりに2人でしゃべったときに、お互いに、「くんづけ」でお互いのことを呼び合っていたのです。
さも、今日初めて知り合ったばかりの人同士のように…。
この時に、「ああ、やっぱり、距離が離れてしまったなあ」と実感したのを思い出します。
そして、別々の高校へ進学し、それからは全く会っていません。
昔は隣にいて当たり前だった人が、隣にいないのが当たり前になっていく。
ご近所さんだった家からはお互いに離れていないのに、何か、決定的なものの距離は、遠ざかっていく。
そんな、言ってしまえば、ありふれた、でもやっぱり切なく、少し寂しい気持ちが、僕と彼の間での(今のところは)最後の思い出です。
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