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事実と解釈#304
(おはようございます)
(こんにちは)
(こんばんは)
昨夜ですが、以前から繋がりのあったフォロワーさんが職場に見学にいらっしゃいました。
自分はやっていませんが、他の先生方の公開授業を参観されたり、探究学習を参観されたりしました。
仕事後には、同じように繋がりのある同僚も含めて、夕食を食べながらお話する場もあってすごくいい時間になりました。
こうやってオンラインでの繋がりがオフラインに移行して、しかも手触り感のあるリアルな温度での話ができるのはいいなぁと改めて思っています。
さて、今日は読み始めた本から考えたことを記事にしようと思います。
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現実的には、事実をありのままに見るということは、実は不可能です。所詮は何かを抜き出しただけと言う「言葉」そのものの限界であったり、私たちが皆例外なく持っている認知バイアスと言われる認知の歪みがあったりするからです。
この文章が、どんな文脈で書かれているというと、何かしらの問題を解決したいと思っている場合に、「そもそもの問題」自体が適切かどうかを疑ってみるという場面です。
問題というのは、事実をもとにして認識されているはずなのですが、その事実だと思っていることには、実は自分の解釈が色濃く反映されていることが往々にしてあって、そうすると、起きるのが「間違った問題を正確に解いてしまう」ことがあります。
解くべき問題そのものが間違っていると、うまく解いたとしても有効な解決策にならないということになりますよね。
さて、ここから自分が考えることは、その事実と解釈を切り分けて考えることと、事実に対する解釈の自由度を有効に使えたらいいね、ということです。
本の中でも解釈について言及されています。
最もわかりやすい解釈の例は、物事の「善悪」や「正誤」です。世の中の事象に、絶対的な善悪や絶対的な正誤というのはほとんどありません。したがって、何かを語るときにポジティブあるいはネガティブな見解が入っている場合には、それはその人なりの解釈が入ってしまっていると考えるのが妥当です。
解釈には、特に自分の置かれている立場や役割も大きく影響します。
過剰に偏ってしまうこともあり、事実を主張してるつもりが、その人の解釈が色濃く反映した主張になり、理解されないどころか、反発すら生んでしまうこともあると思います。
今一度、自分が事実だと思っていることに、自分の解釈が大きく入り込んでないかを考える必要があります。
事実をありのままに見るためには、事実と解釈とを切り分けて考えることが重要になってきます。「事実」というのは、人によって解釈が変わらないもののことです。
事実と解釈を切り分けて考えることについて、書いてきましたが、逆に解釈をプラスに働かせる方法が、解釈の自由度を有効に使うです。
事実は一つ。解釈は無限。
というような言葉があります。
だったら、場面に応じて使い分けできたらいいですよね。
過去に対する解釈は、とにかくポジティブに。
今に対する解釈は、ポジティブとネガティブの両面で一旦捉えつつ、最終的にはポジティブへ。
まだまだ解像度は粗々ですが、またどこかでもう少し解像度をあげて言語化していきたいと思います。
事実をどう捉えるかは、結局は自分次第ということです。
というところで、今日の記事は終わりです。