4月28日(木)無知の知〜ソクラテス〜【らいざと哲学②】#76
みなさん、おはようございます。(こんにちは。)(こんばんは。)
らいざの哲学アウトプットの第二弾です。
参考にしてる本はこちら↓
さて、今回紹介するのは、
無知の知〜ソクラテス〜
です。
前回の記事では、相対主義のプロタゴラスを書きましたが、このソクラテスは相対主義を是とせずに「絶対的な価値や真理」を追求した哲学者なのです。
前回の記事はこちら↓
このソクラテスは、紀元前469〜399年にギリシャで活躍した哲学者です。
このソクラテスは、政治家に疎まれて裁判にかけられて、最終的には自ら毒杯を飲んで死ぬという劇的な人生を送ってるのですが、冒頭に書いたように相対主義の批判だけではなく、弟子のプラトンなども含め、後世に多くの影響を与えました。
さて、このソクラテスですが、『絶対的真理なんてない。価値観は人それぞれ』というプロタゴラスの相対主義を批判します。
というのも、民主主義だからこそ「何らかの正しさ」が必要だと言ってるのです。
例えば、共同のお風呂があったとすると、そのお風呂にみんなが気持ちよく入るには、ある程度は最適な温度を決めなければなりません。
なぜかというと、冷たすぎても、熱すぎても、多くの人が気持ちよく入れなくなるのはわかりますよね。
そして、世の中はこの共同のお風呂のようなものであると言っているのです。
これは正に!と思わされます。
価値観は人それぞれと言いながら、それぞれが好き勝手に生活することで生まれる弊害はたくさんありますからね。
だからこそ、ソクラテスは、正しさや価値観、信念をぶつけ合うことで、絶対的な価値や真理を人間は追究していくべきだと言っています。
そうやって、たくさんの政治家たちを議論で打ち負かしていき、最後は毒杯を飲むことにもなるのですが。
最後も逃げるチャンスはありながらも、自分が言っていることを状況によって変えないことで、真理を追求することの大切さを証明するために自ら毒杯を飲んだそうです。
さて、ソクラテスの有名な言葉に
「無知の知』
があります。
これは、『知らないということを知っている人は、知らないということを知らない人よりも偉い』という意味で使われがちですが、それは違います。
これは、知っていると思ったら、それ以上は知りたいとは思わない。知らないからこそ、知りたいという意欲が湧いてきて、真理に近づいていく。だからこそ自分を何も知らないと認めるところから始めよう。という意味なのです。
自分の現在地をしっかりと見極めること、というようにも自分は感じました。
さて、ここから転用していきます。
無知の知についてです。
自分自身が感じたことなのですが、中堅になり、そこそこのポジションや影響力を持つようになって、やはり傲慢になってた部分があることに気づきます。
特にこの世界は、異業種はもちろんのこと、同業でも他との交流などが少なくて閉鎖的です。
そんな環境も手伝ってか、新しいことを学ばずにいました。
それなのに偉そうに一丁前のことを言ってるのです。要するに『自分は知っているし、分かっている』という錯覚を起こしていたんだと思います。
↑
https://diamond.jp/articles/-/148200
現在、若手だけではなくて中堅やベテランでも仕事が上手くいかないという状況がたくさん生まれています。
これは、時代の変化などについて、知らないことを自覚していないこと、よって、そこについて知ろうとしていないことも原因の1つなのかもしれません。
特にボクらは子どもたちに学ぶことを教える職業です。だからこそ、ボクたち自身が知らないことを自覚して、思考停止にならないように努めたり、学び続けたりしなければならないと思います。
(ま、これには学ぶ時間の確保のために労働環境を何とかしなければならないのですがね)
↑
https://diamond.jp/articles/-/148200
というわけで、今日の記事はここまで。
読んでいただき、ありがとうございました。
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