浪漫の箱【第10話】最終話
↓第9話
復帰してからの日々は長いようであっという間だった。
各行事に高校最後のなんたらかんたらが付き、とにかく眩しい光景。
視界に写らないようなるべく日陰に逃げた。
教室は相変わらず苦手だったため、休み時間は図書室で勉強した。
センター試験は惨敗し第一志望校は落ちたが県外の私立大学に何とか合格した。
そして待ちに待った卒業式。
『3Aメンマジ最高でした!また絶対会いましょう!ありがとう!』
『私、今まで内気な性格だったんですが、みんなと過ごしていく中で変わることができました。ありがとうございました。』
「じゃあ次、池田くん。」
「今までありがとうございました。」
完。
僕は生ぬるい教室をさっさと後にした。
もう二度と会わないだろう。同窓会にもきっと誘われない。
「ちょっと貴宏待って!早いわよ。」
今月末には進学するに伴い一人暮らしがスタートする。
あれから両親とはうまくやれているつもりだが心の底ではモヤモヤが晴れない。
父の不倫の過去も気持ち悪いし、相変わらずな母のヒステリー発作もイライラすることもあった。
次に僕が住むのは海が見える町。
周りが山だらけの窮屈でプライバシー皆無な町とはオサラバだ。
―――
「〜で、来週にはこの町を出るっちゃな。」
「はい。」
僕はおっちゃんとあの時の喫茶店にいた。
店内はあの時と同じボサノバBGMと目の前にはナポリタン。
「よかことじゃ。男は一度は冒険してみるもんやから。帰ってきたらおいにも土産くれな。」
「…何であんな嘘ついたんですか?勝手に人の親や自分の奥さん殺人鬼にして。確かに父は不倫してましたが。」
「楽しめたか?」
「へ?」
「スリルっちゅーか、ロマンっての?ちったぁ退屈しのぎになったやろ!」
「…最低。人として。」
「まぁ、初美の存在を脳裏にこびりつかせるのにゃあ成功したわ。」
殴りたい。
「じゃあ、あのよだれかけは?」
「…んー、償いかね。少なくともあの場におった大人たちはなんやかんや言って初美に対して申し訳ないっち感情はあった。」
「よく分からないんですが。」
「まぁ…いずれ分かるかもしれんし一生分からんかもしらん。」
明らかに何かを隠している様子だ。
「はぁー。まじ意味分かんね。」
「…すまんね。」
「……。」
「まぁ、おいとはもう二度と会いたくないやろ。最後にちょっちドライブ行かんか?」
とりあえず何やかんや言ってもお世話になったため、最後の恩返しとして付き合ってあげることにした。
しかしどういうわけかおっちゃんは喋らない。
タバコに火を点け、窓を開けて吸い出した。
臭いなぁと思いながら僕も窓を開け、外の景色を眺める。
昔は畑だった場所がスーパーや住宅街になっている。
よく行っていたおもちゃ屋が潰れている。
ファストフード店ができて助かっている。
商店街はシャッターが閉まった店だらけ。
近々大型量販店もできるらしい。
中途半端に地方都市と化した町。
この町そのものが少しだけ僕に似ているのかもしれない。
だから早く離れたい。僕が知らない場所に行きたい。
まさに同族嫌悪というものかも、と考えていると
「…貴宏選手。」
「あっはい?」
いきなり声をかけられたので変な声が出た。しかも選手って何だよ。
「建物という"箱"1つ1つに浪漫が詰まっちょる。建物はな、その気になればいつでもぶっ壊せるんや。お前は以前教室が怖いとか言って入れなくなったな。」
「はい。今思うと何でだったんだろうって感じでしたが…。」
「気持ちの区切りがついたっちゅーことや。要するにお前の中で相性が悪かった。あの箱ん中が。」
「僕はあの高校全体が嫌だったのかもしれない。通学が面倒でもいいから別な学校受ければよかった。でも逃げ場を見つけて何とかやり過ごしました。」
また、浜崎さんの存在も大きかった。もう二度と会えないだろうが僕は彼女に出会って本当によかった。
「建物はな頑丈そうに見えて実はすっごく脆い。その気になればいつでもぶっ壊せるし、いきなり壊されたりもする。人間の心や体と一緒や。」
続けておっちゃんは言った。
「お前はよか出会い悪い出会いを通じて新しい箱、逃げ場を見つけられた。怖くなったらいつでも逃げてこい。」
僕は流れていく民家や店などを眺めながら、その1つ1つの箱の中でどんなことが行なわれているのだろうと考えてみた。
たばこ臭い車内で何かが込み上げてくるのを我慢した。
「あの、また帰ってきたら…くだらないロマン話聞かせてくださいよ。」
「ハッ!何泣いとんじゃしっかりせい小僧!!」
−−‐
それから約20年後、おっちゃんは死んだ。
大学に進学してしばらくは連絡を取り合っていたが僕が大人になるにつれて新たな出会いが増え、タイミングを失ってから気まずくなり疎遠となった。
訃報は父から聞かされた。
何か忘れていることがある…とずっと頭の隅にあったがようやく白い紙の存在を思い出し急いで実家の机の中に厳重に隠してあった修正液で塗りたくられた紙を取り出した。
結局内容は不明のまま。
おっちゃんは当たり前だがだいぶ年を取っていた。
あの頃の面影は何ひとつ残っておらず完全におじいちゃんだった。
いきなり生き返って
「バァー!!残念!おいは死んでませぇん!!がははは!!」
と言われても反応に困る。
目立たないよう棺の中に白い菊の花の近くに細かく折りたたんだ例の紙をそっと入れた。
さよなら、おっちゃん。
天国で初美さんに会えるといいね。
――
「あ、貴宏!よだれかけつけるからじっとしてなさい。」
俺はあの時、驚いた。
美奈子さんが貴宏くんにつけているよだれかけの柄は間違いなく、初美が身に着けていたワンピースの生地だった。
真ん中が四角で周りが三角の珍しい花柄だったので間違いない。
宏くんの方に目をやると顔が引きつっていた。
これは俺らに対する見せしめなのか?
「あ、これ作ったんですー。初美さんが着ていたワンピースで。タンスの奥に眠らせるのも捨てるのももったいなくて。」
まず美奈子さんから焼き肉の誘いの電話が来た時は驚いた。
宏くんとの件以来、美奈子さんは俺に対してもどことなく冷たかったのだ。
ふふふっと笑った美奈子さんが俺の方を見た。
あぁ、美奈子さんは美奈子さんではないと。
本人は気づいていないつもりだろうが、おまえなんだろう?
「美奈子さん、ケーキ食わんね!」
「あー。私、乳製品苦手なんですよ。すみません。あー貴宏!クリームまみれにしてぇ!」
「いきなりだよな。あんなにシュークリームやらチーズやらドカドカ食っとったとに。」
「ふふっ。食べ過ぎて嫌になったのかも。」
そしてまたもや俺の方をチラリと見てはにかんだ。そして口パクで呟いた。
復讐のつもりなのか?
なぁ?
ふふふっと笑った美奈子さんがまた俺の方を見た。
あぁ、美奈子さんは美奈子さんではないと。
焼き肉が終わった後、彼女から紙切れを渡された。怖くてずっと開けなかった。
本人は気づいていないつもりだろうが、お前なんだろう?
確かに成長するにつれて宏くんに似てくる。しかし目元が完全にお前に似てきたよな。
なぁ初美。
だからあの日、貴宏を見つけた俺は放っておけなかった。
どんな形であれお前の息子なんだから。
俺はずっとお前は愛知に移り住んで安らかに天へ旅立ったと思っていた。
俺も無理矢理にでも愛知に逃げてお前とひっそり暮らしたかった日もあった。
でも駄目だった。
2人の思い出の詰まった箱を置いて逃げるなんてできなかった。
それに俺が来たところでお前はきっと突っぱねただろう。
"兄さん、これならずっとそばにいれるでしょ。私はこの場所が大好きよ。"
焼肉のあとにそっと美奈子さん…いや初美から貰った手紙。
ずっと怖くて開けなかった初美から貰った手紙を20年後勇気を振り絞って開き、修正液で塗りたくって林の中に捨てた。
無心で塗りたくっている最中ずっと俺は震えが止まらなかった。
お前が生きているという喜びよりも恐怖の方が勝った。
あんなに愛していたのに。
だから現実逃避のために必死に妄想話を作り上げた。
そして数十年後。
『う、うわぁぁぁぁー!!』
『持たんかっちよ!クソガキャー!』
まだ残暑が残るが風が吹くとほんのり秋を感じるど田舎の林の中。
俺は高校生になった貴宏くんをひたすら探した。
何かがあったに違いない。
ふと上を見上げると隙間から差す木漏れ日が幻想的で。
まるで鬼ごっこやん、と子どもの頃に戻ったようで懐かしく少しワクワクした。
岩の陰から制服のシャツが少しだけはみ出ている。
見つけた。そして塗りたくってポイ捨てした手紙が見つかってしまい
『愛人からラブレターを貰った』
と嘘をつき
『この紙を預かって、棺の中に一緒に入れてほしい。』
と男同士の約束を交わしたのだった。
殺人犯の兄と被害者の息子。
どんな事情があろうが血は繋がっていなくとも育ての親だろう。
貴宏くんは少しだけ安心した様子だった。
逃げ場が欲しかったのだろう。
その地面の下に、送り主である美奈子さんが閉じ込められていることも知らずに。
―終わり―