幻の《Miss You...誰も知らない気持ち》を追え!
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トップ画像は老舗 テンテンメモリアル さんの特集ページから拝借させて頂きました。新聞のタイトルは右から左へ向かって読みます。
臨).楽曲について
ココに、「Miss You...誰も知らない気持ち」という、この時点では自主制作と紹介された楽曲(作詞:ツーハン。作曲:小泉先生)が出てきます。
2000年当時、私はこの番組を香港のケーブルテレビで見ることができました。録画もしたハズだけど、VHS PAL方式だし、テープはたぶん秋田県の実家の押し入れの奥で、カビが生えまくっている可能性。望みは薄い…
記憶の限り憶えているサビを以下に再現してみました。
(※サムネイルはイメージです。動画は出ません)
バラードですがテンポも少し上げてみたり。
(使用機材:ニンテンドーDS Lite 以上w)
こんな感じのアテも無いユル~イ遊びをしつつ、他のこともどんどん調べていくと、ナント!小泉先生はアニソンの名士であることが判明(驚愕)
しかもよりによってガンダムとか、
どんだけおっきい看板背負われてたんすか…
時代ですねぇ、、そーゆー今まではゼッタイに分かりえなかったことも、秘話が直接読める時代。しかもご本人が直接書かれたモノを!…(泣)
うぅ~む、、、困りましたね、
作品(曲目)を順番に聴いていたら、ひじょ~に我の耳を疑う、気になるコトにぶち当たってしまいました… それは、、、
新機動戦記ガンダムW ED 1
It's Just Love! (1995年) のサビ(0:28~)
『♪ジャスト~気に~食~わない~あ~いつ~』
シシ♭ソ♭ラ♭シ♭レ♭シ♭ソ♭ラ♭シ♭ソ♭
移調すると、ドシソラシレシソラシソー
MissYouは、 ソラシレレドシララシソー
似てませんか?(※個人の感想です)
曲調が被ったりは日常茶飯事の世界でしょうけれど… 進行コードは異なるにしてもですよ、、、私の耳には主旋律がソックリに聴こえました。
曲調、テイスト、色合いの相似は当たり前、自然の摂理である、人は誰でも内に秘めた心肝リズムと言霊を持つのである。
更に聴き進めると、2:48~は曲の盛り上げ部分でした。半音上げて歌うパートですがソコだと♭(フラット)が外れてホントにホント同一の音階が被ってきました。
この It's Just Love! と~ってもいい曲ですねぇ。最初から最後まで聴くことをおススメします。私は以来、ほぼ毎日聴いていますよw
自分はガンダムについては全くのシロートだったので、ガンダムマニアを自負する知人に目の前でサビから聴いてもらったら、0.5秒で反応していました(笑) 有名な曲なんですね!(拍手)
その知人から「なんでまた急にガンダム?」って理由を問い詰められましたが、お茶を濁しておきました(笑) 私のキモチ、ここを見て下さっている皆様なら、たぶん分かってくれると思いますw
余談ですが、その知人が言うには、ガンダム用に独立したデーターベース、つまりガンダム専用のWikipedia的な ガンダペディア というのがあるらしい。恐れ入りましたw
2023年9月7日追記
有志の方からの情報提供により、曲の全貌が少し明らかになってきました。
(使用機材:ニンテンドーDS Lite 以上w)
兵).日本で活動した90年代前半
ツーハン(劉至翰/スイカ頭)さんがツーイー(劉致妤/テンテン)さんと日本に住んでいたのが90年夏頃〜94年春頃(推定)。
ツーイーさんは中華街にある横濱中華學院を経て、都内の公立中学に通われていたようですね。固有の中学校名をShadowLiuブログで幾度か明かしていたことを覚えていますよ。
来日後、ツーイーさんは霊幻少女?を撮りに台湾へ戻っていた期間があったようですが、その期間に親子で台湾現地のテレビ番組に出ていたことが、つい三ヶ月ほど前に判明しました。
この頃はまだ “テンテン” ですねw
家でもスイカさんをこづいてたw
”カンフーメン”を彷彿…
下のクリップは、94年当時、台湾に戻った(引き上げた)裏事情などが話されている動画から切り抜きました。中国語が分かる方、全編見てみたい方はクリップを外してそのままご視聴ください。
ツーイーさんは日本で進学する高校まで決めていたようなのですが、お家の事情により…ですね。
今(※これは2011年の番組)だからこそ、台湾のバラエティー番組でこうやって親子揃って笑いを交えながら話せたのであり、当時はさぞタイヘンだったことは想像がつきます…
お父様曰く、それでも日本で中学校は卒業して来なさい、っというスタンスだったようです。
なんで帰ったの? っというか、テレビで見なくなったなぁ、っという感じだったのでしょうかね、日本のファンたちは。
でもココから! 2000年、時は世紀末、
彼女と再会したい、彼女を探したい(でも本人には迷惑かな?っという一抹の不安はあったが…)ファンたちの長い旅が始まった。(実際は、けっこう短かった)
闘).台湾で就学した90年代後半
ツーイーさん高校生活をしながら番組の通訳に駆り出されていたようですね。ツイッターの有志の方が動画を掘り出してくれました。
埋め込み拒否動画なので、画像に 1:17:00から時間指定 でリンクしています。
ファン曰く『テンテンの使い方がゼイタク過ぎる….』。正に(笑)
吉田A作さんが羨ましい。
1994年から2000年まで六年間の映像はとっても貴重だと思います。当時ファンは「テンテンは今頃どうしているんだろう」って気になりつつも、知る術が無かったハズですので。時々放送された「あの人はいま」を見るほか無いですよね。とにかくネットというモノがまだ無かったから!
私事、奇遇にも同じく1994年から2000年までの六年間は日本を離れていたので、彼女のことは意識から薄れつつも「このまま日本の芸能界で頑張っていくんだろうなぁ。見られないのは残念だけど…」っという気持ちでした。当時のエンタメであれ、何であれ、情報源ってテレビと刊行物が基本であり、それらを海外で気軽に、日常的に得ることは不可能な時代でした。
1999年末、理由はどうしても思い出せないのですが、私はナゼか急にテンテンの事が気になり、覚えたてのネットで検索。キョンシー掲示板(既に閉鎖)とテンテンメモリアルにたどり着き、台湾に帰っていた事実を知り唖然としました。アノ頃は自分にナニかが憑いていた気がします(笑)
ちなみに、これら1994年と2011年の番組の司会者は同じ方です。けっこう大御所かな。日本でいうと…上沼恵美子さんクラス?(笑)
そして今まさに探している番組の回も、この司会者さんなんです! 奇遇って重なるモノですね。
そこから六年後の2000年のツーイー動画もありました。
(埋め込みできないようなのでクリックで)
私は当時、この動画で繰り広げられた司会者(ジャッキー・ウー/吳宗憲)さんとツーイーさんのやりとり(ほぼ高圧的なド突き合いでしたw)を全て和訳してネットで公開していたことがありました。懐かし~!
者).未来から流れてくる明日
これだけの歳月が経ち、薄れ、遠のいていった当時の記憶が、いまテクノロジーのチカラによって、色濃く、近づいてきた感覚がありますよね。
いまこの瞬間も、あたかも90年代のアノ日々を生きているような、そんな感覚に襲われるときもあります。
ただ当時と違うのは、あのときアナタにとって(精神的にも、物理的にも)遠かった人が今は近くに居たりだとか、
逆に、あのとき近くに居たハズの人が今は遠くに行っ(てしまっ)たり、
人間である限り、そういうドラマを誰もが潜めていると思う。そしてココがまだ終点では無いということもお忘れなく。
終点かどうかはそもそもどうでも良くって、過程(プロセス)を大切に。命とはこの瞬間。
どんな明日が流れてくるのか、次はどんな明日を創ろうか。
未来と80~90年代はこれからもどんどん近くなっていくのでしょうね。スゴク楽しみです。
(それより前は映像記録が少ないし白黒なので70年代は切ったw)
皆).”台湾”がお洒落シンボルになる
この30年で台湾を取り巻く日本人の認識・イメージは一変しましたね。
戒厳令の解除がベースにあること、それ以外の民間要素として挙げると、
今でこそ、食べたいワン(グルメな観光地)と言ってみたり、
タピオカミルクティー、台湾かき氷、
台湾エステ(街中で爪切ってパパイヤミルクとお茶ホイップ飲んで)、
台湾式シャンプー、リラクゼーション、足つぼ、
華流、C-POP、
トロピカルフルーツなどなど、
オシャレで楽しいイメージが、
根強くなった台湾ですが、
90年代はまだまだ、
日本人の関心は薄かった。
2000年前後に志村けんさんと金城武さんが
CMで台湾観光の顔となったり、
積極的に台湾ロケしたり、現地の番組に出たり、
(※台湾で志村けんさんの知名度がナゼ元々そんなに高かったのか、この理由も少なからず戒厳令と関係があって、いろいろ調べると泣けます)
花より男子が台湾でドラマ化されて、
F4というユニットが爆発的人気となったり、
いずれも台湾のイメージ、
等身大の台湾の良さを伝えることに、
大変貢献されたと思います。
特殊霊魂だって日常に出てきそうな、、、
※音量注意
そんな雰囲気が、
今も台湾にはあるんだ!
本家も聴こw
いまは無き映画村の細部が見られる動画。
そして先日の10月10日、京都の高校生たちによって、
歴史的に新たな1ページが開かれました。
高校生の世代が何かをキッカケにして、
「台湾?!! ってイイじゃん~♪」って、
気付いてくれたら、嬉しいですよね~
とりあえず京都橘高校吹奏楽部(オレンジの悪魔)からは、
台湾留学を志す生徒さんがゼッタイに出てくると思いますよw
それだけの価値があるトコロです。
基本的な普遍的価値観を共有する重要なパートナー
最近よく見てるサイト
陣).動画をみんなで探しましょ
当方は引き続き、超級星期天 Super Sunday 2000年3月12日放送回の動画を探しています。YouTubeをベースに大陸のYouku、Bilibiliは定期巡回が必要。そして見つけたらすぐ保存が好ましい(転載の場合削除対象のため)。去年あったのに今年はもう無いはしょっちゅうですが、去年無いけど今年はあった!っていうパターンもあります。つまり先手が良いとも限らない。細く長く見ていくことが必要です。
超級星期天は延べ3つのテレビ局間で引き継がれ、2000年3月12日はCTS(華視)が担当の時代。週一の番組なので、年間約50話ある計算。CTSは1996年3月から開始したので、2000年3月までの五年間で、約250話目あたりで放映されているかも知れない。
曖昧な記憶と推測。尺が140分の番組で、スイカ頭・テンテンの恩人探しはその半分か3分の一を占めている。後半な気がする。動画のサムネになるほど、台湾現地にとっては大きな注目ネタでもなかった気がする。
スイマセン、もっとちゃんと調べますww
コーナー名は「超級任務」、つまり芸能人の想い出の探し人コーナー。
日本ロケに来た人は「黃子佼 Mickey Huang」。新丸子駅周辺でロケされた。移転前の小泉先生の事務所が新丸子界隈にあったからと思われます。
ぁ!一つ重要なことが抜けてました。小泉先生はあくまでツーイー(劉致妤/テンテン)さんのボイストレーナーさんであって、ツーハン(劉至翰/スイカ頭)さんの先生ではありませんw番組内でもツーイー(劉致妤/テンテン)さん本人がその点を強調して笑いを取っていた記憶があります。
「兄じゃなくて私の先生ですが…」とw
さすが発声のプロ。聴きやすいです(笑)
おしまい