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違和感をひとつずつ淘汰していく

昨日書いたこの記事。

 もちろんここに書いたことはわたしの中での「正しさ」ではあるのだが(というのは、彼らが阿漕な商売をやっていて胡散臭くて関わり合いになりたくないな、ということ)

 わたしのTwitterの相互フォローの中に、この集団というか、共同体というかに関わっている人がいるのではないのかと思う節があり、Twitter上でシェアした投稿は消した。


そんなに頻繁になぜライブに出演できるの……?

 なにゆえそう思ったのか?というと、あまりに頻繁に(週1~2とか)様々なライブハウスでのライブを行う人が何人かいるからであった。それって、その人が努力しているだけではないの?とも考えられる。しかし、少しそれは違うなと思う点があるのだ。

 たとえば個人でライブに出演するとなれば、出演料なりノルマなりのお金がそれなりにかかってくる。ピンキリではあるが恐らく1万円以上、安くて1万円に満たない程度とみている。出番が15~20分、イベントの内容や出演者の数にもよるだろうが、きっとそのくらい。

 毎月コンスタントに週1~2回のライブとなると、じゃあ月に6~7回はライブをやるとして、間をとって一度の出演が1万円かかるとして、毎月6~7万のお金を収入から生活費を差し引いたお金の中から支払えるか?という話になる。

 わからない、仮にその人の収入が手取りで50万あるとかだったら払えないこともないだろう、しかし大抵の20代半ば~30代半ば、しかも女性の収入というのはたかが知れている(わたしも含め)し、50万稼ぐ人がそんなにコンスタントにライブ出演できる時間的精神的余裕があるのだろうか、などと考えてしまう。(もちろん余裕がある上でたくさん稼ぐ人もいるだろうが)

 めちゃくちゃ高給取りでなければ、ファンの中に太客がいるのか、あるいは脚長おじさん的な人がいるのか、そういうこともあるかもしれない。それならまた話は別か?

 などと、そういう勘繰りをしてしまった。我ながら、なかなかに捻くれているなあと思うが、事実、そう簡単にできるものではないと思うのだ。
 それが、自分のフォローしている人たちの中だけでも数人いるように見える。と。


どんなカラクリがあるのだろう、妄想の話。

 で、あればどういうカラクリがあるのか。ということをほんの少し考えた時点で、先日の阿漕な商売を展開する彼らのことをやはり思わずにはいられなかった。

 彼らのシステムがどうなっているかは分からないし、ここからはざっくりと彼らについてググってみた上でのわたしの妄想の話になってしまうのだが、、

 まず事前に共同体に入ってコンスタントに活動を行うための資金をローンを組むなりなんなりして支払う、その上で恐らく別口で何らかの献金あるいは献身的な仕事があったりもする、と。

 それをクリアした上で、仲間内の会場なのか集客に悩む小さな会場なのかわからないが、提携しているライブハウスなどの会場を共同体が安価で貸し切って(運営側としては毎月まとまったお金が入るしイベントをコンスタントに入れてもらえることで集客にも繋がって一石二鳥なのではないかと思う)、その界隈のアーティストのみで固められたイベントを開催する……。

 こういうことであれば、成り立つのではないかな、などと思ったのだ。


 詳しいことは本当に何も分からないけれど、そうやってバックにそこそこ人数のいる共同体があって、そこがお金を出すなり横のつながりでイベントを開催するなりするので、演者の負担はそこまで多くはない。

 ただ、初期投資はそれなりにかかるし、共同体に対する貢献や労働みたいなものも求められるよ、という、ことなのではないかなと。
 とにかく、何らかのシステムが構築されていて、内々で上手く回るようになっているのではないかと。そう思ったのだった。


誰でもできてしまうということの汎用性

 もう、だから本当にわたしの妄想の範疇を越えない話にはなるのだが、もしそうだとするのならば、それってとっても夢のない話というか、誰でもできてしまうというか、つまらないというか。。


 自分だけの表現ややり方を見出していくことにきっと価値があるはずなのに、金さえ出せば、仲間に加われば、誰でもそれっぽいことができるよ、ということがものすごく気持ち悪いなと思ってしまった。

 3ヶ月でフォロワーが1万人以上、というのを謳えるのも、共同体の中で何らかのアナウンスがあった時点で応援の意味でフォローしましょう、フォローされたらフォロバしましょう、みたいな決まりさえあれば、恐らくそれなりの人数がいると思われるので達成は難しくない。
そこに心があるかないかではなく、見た目の数だけを装うなんてどうとでもできると思った。

(もちろんそこまで共同体を広げて行ったのだろう事実に対しては、詐欺まがいだ何だは置いても中枢にいる人物が才覚を持つ分野だったのだろう、素直にすごいことだとは思う)

 そういう思考になったときに、結局世の中金だなと思ったし、そうやって与えなければ与えられないような、、
 焦燥感みたいなものが常に付きまとうやり方ばかりこの世界にははびこっているのだなと、悲しい気持ちにもなった。


 そうして身内の中だけで馴れ合いみたいなことをやるのって、極端に言えば宗教的でもあり、学生時代のクラス内での派閥だとか格付けみたいな構図に似たものが見受けられるなぁと思う。

 そういう弱さを数で補うみたいな、ただ声がデカいだけの取り繕った「強さ」の誇示みたいなものが、ものすごくダサいし気持ちが悪いなと思ってしまったのだった。
(これは完全に自分のトラウマ的なものも関与した感情だと思うが)

 それと同時に、世の中のあらゆる表に出てくる物事というのは数が多い知名度が高いということが命であり、そこを担保するために上辺だろうとなんだろうと横のつながりをたくさん持っていることが重要なんだ、という事実にも目を向けてしまい、、

 汎用性の高さが生きやすさを定義すると言っても過言でないような社会に生きていることを思ってしまった。

 わたしは総じて至極凡庸ではあるけれど、こと社会において求められる汎用性を適用できるかというと、難しく思うところがあるので、ううむ、と唸ってしまった。


とはいえなんであれ自分次第でしかない世界

 しかし、もしもそこに単に「楽しむ」という目的意識だけで、お金がどうとか身内でわちゃわちゃしてるのがどうとかはさておいて、
 純粋に歌うことやライブに出るのが楽しいからやってるんだ、という気持ちだけで関わることができるのであれば、決して悪いものではないのかもしれない。

 詐欺まがいだ!と言うのは、50万支払った対価として得られるものやあるいは得られそうなものが手に入らないのだと知ったとか、共同体のやり口やシステムに納得がいかなくなった人たちの戯言なのかもしれない。

 傍から見ればちょっとやり口が汚いだけで、一歩間違えたら法に触れるようなことももしかしたらあるかもしれないだけで、
 彼らの中ではそのシステムは真っ当に機能していて正しくて、仲間内ではとても充実した時間や環境がそこにはあるのかもしれない。
 そして、それが彼らなりの「音楽」のやり方なのかもしれない。


 どこで何をして生きていようともそれはきっと同じことで、いかにして目の前に示された環境や、思想や、現象に対して共振共鳴できるのか、でしかないのだろうと思う。そこに反発するも、賛同するも、自分次第以外の何物でもない。

 50万支払っても満足して活動している人がいるから、詐欺まがいだと言ったってそれなりに成立しているやり方であるのだろうし、
 共鳴し得なかった人は、損をしたとか、思っていた利益を受け取れずに実害を受けたと感じるから、ただわめいているに過ぎないのかもしれないな、と。同じ50万でも認識の違いだけで天と地の差である。


マジョリティになれない、ではなく、マイノリティとしていかに生きるか

 彼女たちは、今週も来週もライブの予定で埋め尽くされた宣伝Tweet、上っ面で中身のないありきたりな言葉や写真たち、自己顕示欲にまみれた自撮り写真、そんなんを定期的に投げている。

 それらにいいねがつくのは、それに共鳴する人がいるからである。わたしの視点ではそれのなにがいいのか、大勢と同じことをして何が面白いのか、と見えるだけであって。

(やたら酷い書き方をしているし、最後の自撮りについてはワイもやるわごめん)(どんな形でもコンスタントに人前に立ってライブなりリリースなりする彼女たちに対する嫉妬のような気持ちもあるのかもしれない。わたしには色々な意味で無理なことだから)

 こんな風に考えるのはきっと自分が捻くれていて、斜に構えすぎていて、マイノリティな思考を持つ人間であるからだと思うのだが、だから生きづらいのだろうが、これが本心であるので仕方がないな、とも思う。

 きっと50万支払って、その共同体の中で楽しくやれる人たちというのはきっとマジョリティの中の誰かであって、陽キャであって、自分にはないものを持っている人たちだと思うのだ。そうさ偏見だよ、ものすごく偏見。

 で、50万支払ったとて、自分には及ばないだろうな、向いていなかったろうな、と思ったら、絶対そんな怪しくてグレーな共同体には関わり合いになりたくないと思っていながらも
 何だか自分という人間は結局、どこにいても社会不適合で爪弾きにされてしまうような性質を孕んでいるのではないかなどと考えてしまって、多少なり落ち込んだ。

 で、きっと今までは落胆してまた自信を失ってしまうようなループに入っていくのだが、30歳、歳を重ねたなと思うのは、

 であるならば自分の最適解は何よ?どこよ?ないわけないじゃん。そこにたどり着くしかないよね、と思えることなのだった。ネガティヴでありながら、至極前向きベースなのが昨今のわたしである。

 違和感を覚えることができたから、詐欺まがいグループには関わり合いにならなかった。自分が表現したいことや、行きたい場所に繋がらない道だから警戒できた。ただそれだけのことだろうと思う。

 そういう狡猾な人たちの餌食になれるような単純明快さがあればどれだけ生きやすかろうとも思うけれど、そうでないから選べる道が無限にあることも知っている。

 違和感は見逃したらいけない。気持ち悪いことからは遠ざかっていこう。心地よい場所を常に目指す。いつでも軌道修正はできる。

 望まない現実をたくさん見るから、望むことが逆に明確に浮き彫りになって出てくる。

 この世界は表裏一体、コントラストで示される場所なのだと思う。



 詐欺まがいグループのお話を聞いて結果的に落胆したことも、自分が何者かを改めて見つめる機会になった。

 だから、悪いことばかりではないね。

 そういう様々なことを常に俯瞰して面白がれるような人間でありたい。

 近視眼的にならず、偏見も持ちすぎず、柔軟であろう。


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