ハイ・カントリーを駆けよ(Harvard Business School学長からのメッセージ)
2003年、Harvard Business School(HBS)の卒業式で、学長のキム・クラークは「ハイ・カントリー(高地)を駆けよ」というラスト・メッセージを卒業生に送った。
当時私は卒業生としてそのスピーチを聞き、後日原稿を読んでも、何ら心に響くものがなかった。
しかしさっき改めて、HBS教授陣のラスト・メッセージをまとめた「ハーバードからの贈り物」という本を読んでいて、キム・クラークのメッセージに触れた時、心底良いメッセージだと感じた。
本を読んで再認識したのだが、このメッセージはクラーク学長がカウボーイ~馬に乗って放牧地を駆け巡っていた牧場運営者だった父親から叩きこまれたものだった。
「父によれば、私たちの暮らしとは、もっぱら目の前にある日々の仕事をこなす安定した谷間での生活に似ている。でも馬に乗るときには、必ずしも谷底にいる必要はない。時には深く青い空の下、まばゆいばかりの光が満ちあふれる高地(ハイ・カントリー)を駆けてみるのがいい。」
「父はそこに、次のようなメッセージを込めていた。高い目標を持て。日々の生活を送る谷間や日の当らない場所を出て、永遠が見渡せるハイカントリーへ赴け。そこにあふれる光を一身に浴び、魂を高揚させ、風に髪をなびかせ、心に大きな夢を抱け。生きることへの情熱、世界を変えようという情熱を自由に駆けめぐらせよ、と。」(デイジー・ウェイドマン「ハーバードからの贈り物」より抜粋)
「ハイカントリー」を視覚的にイメージできなかった当時の私の心には刺さらなかったが、多くの学生がクラーク学長のスピーチに感動した。その中から、実際に世界を変えようと立ち上がった真のリーダーたちが生まれたことは、ここに記しておきたい。同学年の卒業生の中にはカーン・アカデミーを立ち上げたカーン氏がいた。
話が変わる。ここからは日本の話だ。
クラーク学長と対照的なスピーチを、防衛大学校の学生に対して行った日本人がいた。1972年1月31日、講演者は司馬遼太郎だった。「自分の主義を押し殺して生きていくのが難しい」と悩みを吐露した学生に対して、司馬遼太郎は自身が親戚の子供(医大に通いながら、医大を辞めたいと言っていた)に説教をしたエピソードを語った。
「私は、こう言ったんです。人生は日常の連続であって、日常というものは非常にくだらないものである。朝起きて、顔を洗って、学校へ行く。そして、実に興味を持てない授業を聞く。その日常というものを積み重ねていくと、何事か出てくるかもしれぬというのが人生だと。つまり、日常をきっちりやれと。やっても何も出てこないかもしれないが、日常をきっちりやらないやつは、おれは信用できないと。」
「その日常をきっちりやるということは、例えば十年なら十年、きっちり積み重ねていくと、日常というのはトゥルーとファクトに分ければ、トゥルーのほうじゃなくてファクトのほうに入りますね。ファクトの連続であって、ファクトというのは足し算であって、百年ファクトを重ねても何事も出ないかもわかりませんが、しかしながら、ファクトを重ねることによって、トゥルーが一滴ほど十年先に出るかもわからない」(「司馬遼太郎全講演(1)」朝日文庫より、1972年1月31日、防衛大学校課外講演 原題「明治の日本人」)
司馬遼太郎氏の話を勝手に一言で要約すれば、「谷間を懸命に歩け」ということではないか。
私はクラーク学長の話にも心を打たれるし、司馬遼太郎のメッセージも心に刺さる。両方の生き方は矛盾しない。足元を見つめ、谷間を歩く日常を大切にしたい。しかし心はハイカントリーを駆けめぐり、どのような未来を創るか考えたい。そしてその未来に向けて今は丁寧に歩いていきたい。