page 2『 曖昧な色の落とし物 』 ノンフィクション
この不安は一体どうしたらなくなるの?
安心したい。とりあえず安心して毎日を楽しく過ごしたい。
私は毎日そんなことばかりを願っていた。
当然願うだけでは不安は解消するはずもなく、益々大きなものへと成長していくのだった。
そんな時だ。
強迫性障害は少しずつじわじわと、そしてまるで昔からの知り合いだったかのような自然さで私に問いかけてくる。
「もしかして手、汚れているかもしれないよ?
それは洗わなければ安心できないよ。」
「フローリングが汚いかもね。それは拭かないと安心できないよね。」
「ドアノブに菌ついているかも?除菌すれば安心できるよ。」
強迫性障害は友達として、それ以来頻繁に私の元へと遊びに来るようになった。
こんな言葉が1番似合うのだろう。その友達は、
はっきりとした原色のような印象で何事もきっちりとした性格をしており、曖昧な色を好んではいないように見えた。
「もしかしたらーーかもしれない。
だからーーしなければならない。」
そうでしょう?
こんな言葉が口癖だったから。
私は段々とその友達の影響を受けていく。私はきっちりな性格というよりはどちらかと言うと、マイペースでのんびりなタイプのほうだ。
色で表現するなら、どこか少し曖昧な色合い。
今でいうニュアンスカラーのような、鮮やかさの少ないぼんやりしている色に近いはずだ。それがいつのまにか潔癖(清潔•不潔)ということに関しては少しずつ原色へと変化していく。
私の考えや行動は、既に強迫性障害の影響により振り回されるようになってきており、
「どうしても菌や汚れが気になって仕方がない」「汚れや菌が怖く、不安でたまらない」
こういうどうしても頭から離れていかない考え(強迫性障害の強迫観念)を解消し、安心しようと私は実際に「手を1日に何回も頻繁に洗う」
「フローリングやドアノブを除菌する」過剰な行動をとるようになってしまった。
安心するために私は、行動を起こしたのだ。この過剰行動こそ、強迫性障害の強迫行為なのである。
強迫性障害は、
精神疾患「 心の病気 」の1つだ。
原因ははっきりとはわかっていないが、気質や環境、遺伝、生理学的要因の重なりが影響していると考えられている。つまり、きっかけは性格やストレス、生育歴、感染症、ライフイベント(結婚•妊娠•出産•死別•転勤)などの重なりによって発症することが多いということだ。
この病気には私の例のように、強迫観念と強迫行為という2つの症状が見られる。
実際に、強迫性障害の患者の脳内を調べると、脳の神経伝達物質「セロトニン」が足らない状態となっており、それによって脳内の伝達がうまくいかない状態であることも確認されている。汚れの認識、安全の確認等の情報のコントロールが充分に行われず、強い不安やこだわりを生じやすくなるのだと言う。
当時の私は、強迫性障害という病名自体、耳にした覚えなどなかった。今振り返れば、あの頃の考えや行動は既に強迫性障害の「不潔恐怖」という症状に典型的に当てはまっているが、病気の存在すら知らない私にはそれが病気のサインだなんて、知る由もない。
環境もがらりと変わり、慣れないことだらけの私はそんな自分の変化をあたりまえなことと感じてしまっていたのかもしれない。
どちらにせよ、病気の気配に気付くことは全くなかったが、少しずつ気持ちや行動に変化が現れ始めた10年前のあの頃のこと。
そしてここから一歩一歩進み、エスカレート。2021年のあの6月を迎えることになるなんて、
10年前の私には思いもよらないことだったのだろう。
そして今の私には、何よりも頭に引っかかってしまっている大きな後悔が消えていない。それは息子に対してのことだ。治療を始めてからの私は、これからでもできる限りのことはしていこうと彼の好奇心や興味、やりたいコト等を全力で応援し、見守ることに決めている。
きっと当時、もっともっと色々な経験をさせてあげることができたはずだったから...
「強迫性障害」そして「シンプル×ミニマルな暮らし」はここから対称的な一歩への歩み出しをした。
過剰な行動つまり強迫行為で除菌、掃除等やらなければならないことが増えたことによって徐々に時間を奪われる形となった私は、日々の生活を如何に私達家族にとって快適で楽しくゆとりのあるものにできるか、緩やかに考え始めていた。
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