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5次元で知っておいてほしいこと その2

前回の記事では5次元で知っておいてほしいことを選りすぐって短くお伝えしました。まだ読んでない方は初めにそちら↓をご覧ください。短いのですぐ読めます。

これはぼくが個人的に20年経て感じたエッセンスです。
ですが実際にはスタート初年からそんな奥義的な事が体得できることはなさそう(もし出来ればそれでは記憶0にして生まれた理由が無さげ)なので、

ゆっくり記憶をアンロックしてあなたのためにあるあなた特有の人生を生きて行ければ、それこそがあなたの宝(生まれてきた理由)だと感じます。

マイペースで進んでくださいね。

今記事では、その2 として補足情報を書きます。


[入門編] 5次元で知っておいてほしいこと その2

今自分が何次元にいるかはわからなくていいよ

この記事に惹かれたあなたはおそらく5次元に繋がっています。

ですが、実際には何次元かはどうでもいいと言いますか、こだわるようなことじゃありません。人は元から多次元的だからですね。

ぼく自身囚われが強く、上次元の方が良いと思い込んでいましたが、そんなことないとつい最近わかりました。なので後から気づかなくていいように先に知っておいてください。

今自分が何次元にいるかはわからなくていいという理由はいくつかありますが、ざっくり解説します。

○意識区分の属性だから
すごく簡単に書きますと、前回も書きましたが次元と言う単位は、g(グラム) とか W(ワット) とか m(メートル) とかと同じだと捉えてみてほしく思います。
1gが10gよりも優れているとか劣っているとかは特に無いですよね。

そういう感じで、意識の区分けをしてその第5ブロック目(通称5次元)では、そこでしかできない経験、体感、チャンスのある世界だから、そこに焦点をアンカリングしてそこでの夢とか想いを馳せて暮らせます。

だから、焦って上(次元)を目指す必要も特に無いと思います。
そこでしかできないことを、今いる場所で、今するがためですね。
今しかないチャンスです。

○意識区分の中で見える化してるだけだから
精神が安定している時、自分が何次元かはわからないものだし、次元分けは意味のない指標です。

ですが、精神が不安定の時、現されてくる現実への対応や態度や反応で、今の自分にどういう囚われがあるかを見ることが出来、感じてみることが出来ます。

その時に、囚われていた観念とか信念とかがあって、それを表現する場所が周波帯で言う所の次元区別になるよ、と言う事だけがあります。つまり、どこに焦点を合わせているかだけが「次元」という単位のことです。(マニアックでごめんね笑)

5次元の今、この事実を知識として持っておくだけでも、今後の全次元で役立つ、他の人の意見を参考にしすぎない自己判断の土壌が生まれますので、知っておいてくださいね。

覚えておいて欲しいことは次の一つだけです。

今いる次元(チャンス/ブロック/セクター/期間/区間/時間/タイミング/ターム/意識のレイヤー)でしかできない経験があるから、それをするために今その次元にいます。そこでのチャンスを使い、時期が満ちて終われば次のステップにおのずと上がります。

意識の進展はそのような仕組みなっています。



意識の全景 -意識は元から多次元的-

初めに書いておきますが、以下の図は覚えなくて大丈夫です。それと意識は実際にはグラデーションです。境界はあるかないかわかりません。

以下の図では、意識の役割とか守備範囲、仕組みにはこのような流れがあるんだよ、という事を描いてあります。

一度ゆっくり眺めてみてください。
(図はガチ勢向けで難解なので覚えなくていいです)

意識のものさし定規図 (0~33次元版)

5次元意識以外にも様々に意識のライフステージがあって、そこではその視座から見える世界があっていいのですね。

この図の説明は5次元のタイミングでは邪魔な知識になると感じますので、今後は伏せますが、8-9次元頃の記事で引っ張り出して来てまたちゃんと解説します。

図を見るとわかるように、意識には上には上が合って構わないし、下にも下があって構いません。意識は全周波数帯含めてのトータルセルフだからです。

後から知恵を獲得していき最終的にトータルセルフに戻るのではなくて、トータルセルフが全体観のまま個別観を獲得する方法として、全体の中身をパラダイムや次元で分けています。

一見複雑そうですが、この図をお見せすることによって人は元から多次元的だという事を示しておきたかったです。

〇高次元者は別に優れているという意味じゃない

女性性のバランスが取れると母性として現れ、
男性性のバランスが取れると父性として現れます。

5次元よりも上の次元の人は全員中身が、優しい大人、理解力のあるおじいちゃん、包容力のあるおばあちゃん、だと一旦捉えてみてください。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

単に経験豊富で自我が成熟しているのだという事です。
もちろん、ベースは人なので浮き沈みはあっていいものです。浮き沈みこそ、次なる興味の発芽だからです。

実は意識が進歩したからと言っても、何でも一人でこなせるスーパーマンになる訳じゃないのですね。上手くできています。

だから人には個性を補え合える/たたえ合える/喜び合える機会である人の社会があります。

生きる意味にはこういう側面もありますね。



[5次元向け] 社会基盤の意味するところ -あなたの役割-

少し長いですが、意識の成り立ち、仕組みの話をします。

〇赤ちゃんの神秘さ
赤ちゃんとしておぎゃーと生まれた瞬間に、その赤ちゃんに意識はありますよね。
その赤ちゃんの意識がこれから進歩成長して様々に変化していきます。
あなたもそうでした。

産まれたまんまの赤ちゃんの意識は純粋無垢なピュアです。そこに特に個性は感じません。自我(自発的な意思表示)さえ感じません。どの赤ちゃんも同じくピュアです。

〇個性と言うもの
個性には独自のやり方とか、エッセンスがありますね。小学生の高学年ぐらいからようやく個性が芽生え始めそうです。

それまでは、つまり、生まれたてから幼少期までは特に個性と言うよりも、本能的な生き方、全部受け身な生き方、親に従順な生き方、過ごし方をされています。(全員とは言えませんが)

産まれた途端から本能とは言え意識があるという事を不思議に感じたことはありませんか?意識の神秘があります。

〇本能の神秘
本能的というのも意識の一つの区分/形態だと思います。
それは生物由来です。

生物はシカを例にあげると、生まれて数分の内に立って歩けるようになりますね。ものすごいことです。本能的にそう組み込まれているからです。

〇本能形態から個我形態へ
人も本能の時期があります。それが上に書いた赤ん坊の頃から幼少期の頃ですね。

そこから徐々に個性が芽生えて行きます。
そして、個性には段階があるので、まずは自我が芽生えだします。

それが大体5歳半か8歳ごろです。自分独自のやり方を試したくなる時期です。

〇 意識の1~3次元
今書かせていただいたことは、1~3次元の意識の進捗についてでした。
産まれた瞬間は本能主体でしたが、成長するにしたがって、自我が芽生え、その後自我を形成して行きます。

それは人由来の意識の進捗の在り方なので、皆その様なルートを進みます。



スピリチュアル界隈での3次元=「大人子供」

スピ界隈では3次元からマスアセンションすると言われ続けてきました。

このスピで使われているワードの3次元が何を指しているのかのコンセンサス(合意)は実ははっきりとは定められていません。

または公表されてません。なので浸透していませんね。みんな独自のなんとなくの3次元意識はこうだというそれぞれの価値観/定義/想いがあります。

なので、ぼくはそれだとわかりづらかったので個人的な経験からその次元分けを設定してきました。
20年スピ系にいますので、かなりたくさんの知識を精査して次元区分に落とし込んできました。

以下の話は大体で受け止めて、緩くしなやかに受け流してほしく思います。深刻にし過ぎないように毎回ガス抜き調整してくださいね。

〇スピ界隈での3次元は「大人子供」のこと
これから少し説明をしますので誤解が無いように願いますが、すごくざっくりと書くと、

スピ界隈での3次元というのは、
意識の進捗が幼少期のままに囚われていて、そのまま時間経過とともに体だけが成人体に成長して、成人の権利を行使することになっている大人たちの総称(生態系/価値観/社会観)です。

もっと簡単にすると、内面が子供で見た目が大人な人たちの生き様の事です。「大人子供」です。

身体の成長に見合わず、自我がまだ未成熟な子供のままだという事です。だから思い通りいかなくなると、大なり小なり癇癪したり威嚇したり保身(正当化等)や回避(見えないふり/無視)をするのですね。

その時、、その人の年齢で使える手段が災いして事を大きく破壊的にすることがままあります。それは「見せる化」としてご自身に向けたアナウンスとしてです。

ですが、みんながだいたいそうだから軋轢があります。混乱とか摩擦があり、愛とか素直さ、純粋さから出すことのできる親切さよりも、ちょっと離れて距離を取る方が楽に感じてそうします。

いつしか、個人で問題に取り組む方向性を獲得してしまって、それからは結構大変になります。社会に潜在している問題プラス個人の目標なりやりたいこと、そのはざまで軋轢からくる摩擦で葛藤し、疲弊します。

混乱しているので他人と自分の違いを比較をして、さらに窮地に陥ってしまいます。それは本当ならみんなで切り分けて解決するサイズ感の問題を一人でどうにかしようとしてしまうからですよね。単純にキャパオーバーなのです。

正しい目、離れたところから眺めてくれる、安全な目、温かい目を持たないからそうなってしまいます。

蛇足ですが、ここ最近(数年または令和に入ってからまたは567が明けてから)は、これまでの平成とは違い、色々なナチュラルな方が増えて来ている印象があります。だいぶ良くなっているとは感じていますね。上に書いたことは昭和、平成の大人たちの事情を指しています。

なので、40代、50代、60代と年齢が高くなるにつれて、大人子供の比率が高くなっていると知っていると、いろいろと許せるかなと思います。それは時代背景の中で培ったその方々の生き様なのです。

〇インナーチャイルド
インナーチャイルドとかインナーチャイルドと話をする/話を聞く、インナーチャイルドを癒すとかそういうテーマを持つのは幼少期に(特に)親との関係がこじれたり、無視や放置されたり、親のプレッシャー(圧力)が強くて、すくすくとまっすぐに成長できなかった時に起こります。

一例としてぼくが実際に経験したことを書きます。

〇いとこの赤ちゃん
ある時、親戚の集まりでいとこの赤ちゃん(当時2歳ぐらい)が来ていました。
ママからもらったなんてことない透明の使い捨てスプーンとか星形の透明のキラキラしたおもちゃで遊んでいました。

それを見ていたおばあちゃんが何気なく「そんなにたくさんあるんだから一つあげたら?」と言いました。
その時、その子の中で純粋さが壊れたのがわかりました。

それまで楽しそうに転がして遊んでいたのをぴたっとやめて、心は嫌なのに体がその指令に乗っ取られてゆっくりおずおずと動かされるみたいな感じになり、顔も泣きそうになりながら、1つおもちゃを譲りました。赤ちゃんなりの葛藤でした。しかも大事に手に持っていた一番お気に入りなものを差し出しました。

そのあと、急に興味が覚めたように、今まで遊んでいたキラキラしたおもちゃを投げ付けて遊ぶみたいな形になりました。拾いにもいきません。

この様に、ぼくは赤ちゃんの興味とか純粋性が壊れた瞬間を目の当たりにしました。

いのちは自然由来の物ですね。赤ちゃんの純粋さと言うのはいのちの純粋さから来ています。

  1. いのちのピュアさを持っている2歳の赤ちゃんの価値観と、

  2. 人間社会の価値観で育ったおばあちゃんの価値観では大幅なずれがあり、

  3. それによって何の気なしに、繊細さのある興味を破壊したという結果だけが残りましたよ、という話です。

人間の価値観は、人間社会の都合の中で後から作られていったものです。

こういったほとんど気が付いていない、通常運転時の思い込み、常日頃の自分の当たり前の中に、ぜんぜん自然じゃない事、純粋じゃない事、単なる後から決めたルールに従ったことが多くあり、その全部に気が付けていませんよね。

後付けの観念の思い込みにより、知らない間に何の気なしに、誰かの権利、すくすくと元気にピュアに成長できる機会を破壊していることがあるという点に注目してほしいと思います。

今書いた以外にも、色々なパターンでこじれていることがあります。

〇本来の3次元
本来のというのも語弊がある変な書き方ですが、理想的な3次元の意識の進捗と言うものはもちろんありますね。

親が子供の事を大事に扱い、つまり心から愛していて、愛情を注ぎ、よき理解者として隣に立ち、補助をし、その子が自分らしく望む進路に成長できるような後押しが出来ているのであれば、通常の意識の進歩をします。

要は、1~3次元までは自我の形成期だという事です。
(産まれてすぐから幼少期のこと)

〇大切な自我の形成期
親の価値観の押しつけが無く、その子の個性を発揮させて自尊心を高めれば元気に育ちます。

簡単に書けば、「自分はだめなんだ」の反対の「自分はこれでいいんだ」という自己満足観/自己価値観のことです。

健やかさ、または素直な、そっちょくな、隠し事をしないで良い、素朴な、甘えても良い、ナチュラルな自我の芽生え、成長、興味や好奇心を阻害しないでただ見守れれば、それだけで十分その子は個性を発揮できます。

〇社会フレーム(枠)の束縛
しかし、社会基盤(社会フレーム)の関係でそれがうまく機能できないことがあり、しわ寄せとか、人為的な流れとかでエラーが出ます。

それがいびつな形で育つことになった「大人子供」として現れて来たとも言えます。そういう方が親になり子に無自覚に愛の乏しさを見せていきます。

誰が悪いとかでもない話です。数十年間、今そういう社会性の末期だという事です。

もちろん、こちらの一つの解釈で日本人の全ての人のことは言い現わせられませんよ。

こういう解釈をすると許せるようになりませんか?という一つの目安だと思ってください。こういう視点もあるよということです。

このシナリオは5次元向けに書かせていただきましたが、実際には集合無意識のことです。



4次元=断捨離

4次元と言うのは簡単に書くと、観念の洗い出しの時期です。

時期でいうと中学生から高校生ぐらいに当たります。
子に依存している子離れが出来ない親から親離れしたいという意味で不良になったり、家に帰らなくなったり、無視を決め込んだり反抗期となって表現されることがあります。

いらなくなった服を断捨離するのと同じように、時期的にいらなくなったこれまで使い古した、人から教わった価値基準/価値判断を捨てます。脱皮ですね。自然なサイクルです。

4.5次元からは自分で自分のことを「顧みられる」ようになります。大きなターニングポイントですね。
それまでは人のせいにしたり、自己正当化をしたりして回避をします。

自我を洗濯機でぐるぐる回していらない汚れを取り除き、きれいにするかのようです。何度も立ち止まって省みているという事ですね。

その子が反面教師から受け取ったことを洗い流して、自己の理想とする大人像、人物像に至るためのプロセスです。

過干渉で無いほっといてくれるおばあちゃんの家みたいな安心できる環境があったり、親とか姉妹に親身な話し相手となる信頼関係が成立していたりする良い環境に恵まれた子の場合には、反抗期が無いかすぐ終わるかすると思います。またはその子の側に期待しすぎるという観念があまり無い場合とかですね。個性によりけりだと感じます。



5次元のあなた=ヘルパー

1~5次元の間は、他の人と一緒に協力し合い、様々な経験をして行けるチャンスの場です。

これまで書かせていただいたように、意識にはステップがありました。

そして、特にスピリチュアル界隈の3次元向けに何がなされてきたのかと言うと、インナーチャイルドを癒すことです。

リアルな子供時代に親とか兄弟、友達に言われて傷ついたこと、されて嫌だったこと、意地悪されたこと、根に持ったこと、自分の方が正しいと感じたこと、等々のもろもろなネガティブな思想を、大人になった今のあなたが溶解して自分で自分を許せるように、解き放てるように、手放せるようにしてくれています。後悔したこと、だめだったと感じたこととかもですね。

未成熟なエゴの望み、未成熟なエゴの焦点(フォーカス)を溶解してあげたのです。


そして、意識と言うのはスピリチュアル界隈に限ったものでは当然ありません。

社会の中で働くすべての大人たちが幼少期からまだ根に持っているネガティブな感情や思想、思惑、そういうものを形を変えて追体験したりして癒されたり、さらに発展させて地雷を踏んでこじらせたりしています。

これが3次元的な生き様(意識の3次元の旅)です。

そして4次元者は自分で省みられますので経験を反省したり、内省したりして自分で何とかしようと努力します。問題解決ですね。

そして5次元のあなたはそれらを一通り終えていますので、経験したことへの理解力/包容力/配慮とか思慮があります。

なので、今ハマっている人のお手伝いができ、お手伝いをすることを通して自分の中でノウハウを醸造していきます。

〇5次元者の活躍の場
5次元者の活躍の仕方として、今知っておいて欲しいことは、

5次元のあなたはすでにされた経験や価値観から、
他の人のお手伝いができますよ、
実は、すでにいつもしてると思いますよ、と言う事ですね。
つまり、ヘルパーです。

大げさな事じゃなくて大丈夫です。

普段のあなたでいるだけで、あなたは3次元も4次元も一通り通過した経験がありますので、おのずと意識の3次元や4次元への理解力、包容力、思いやり、温かいまなざしがあるという事ですね。

当たり前かもしれませんが、もちろん5次元の存在と言えど、すべてが完璧に出来るという事も無ければその必要も無いので、だから社会がありますよね。他の存在達がたくさんいらっしゃいます。

それぞれの個性があり、出来ることとできないことを補い合うために他の人々がいる社会があるので頼ってもOKだし、できない事をお願いして代わりにしてもらってもまったく問題ないです。

社会には意識が6次元、7次元の方たちもいますしね。手伝っていただけばそれで良いわけです。

5次元だから特別な何かをしなくちゃいけないという事も無くて、
既に3、4次元を通った経験をお持ちなだけなので、あなたが普段通りいるだけで周りの3、4次元者に対してナチュラルにヘルパーをしています。
肩の荷を下ろして気を楽にして過ごしてください。

次の例えが役に立つかもしれません。

〇山登りの例え
例えば、山登りを例にあげますと、あなたは毎日5km、山を登っているとしましょう。
そこに他の人として毎日3km登っている人がいるとします。
そして、その方が4kmを目指しているので、その方にとっての未知の世界である3km以降の道であなたが隣にいて一緒に山登りするという事です。
ガイドとかヘルプとしてですね。

あなたにとっては4kmは通過点なので簡単かもしれませんが、その方は不慣れなのでとにかく遅かったり疲れやすかったりします。その方の持ち分が発揮されにくいでしょう。自分のペースで進めないこともありますね。

kmを次元に変えてみてください。

あなたにとっては比較的優しい道でも、ある方にとっては慣れてない経験なので、優しく教えてくれたり、いつでも頼れるよう隣でスタンバっていて欲しいと感じています。

その様な単純な様子だと思います。

もっと具体的に書くとこうです。

〇 お母さんが子供の話を聞いたり、子供のために何か準備してあげたりする姿がありますよね。それの事です。それで十分です。

〇 お父さんが新聞を読んでいて、子供がどこそこに連れてって欲しいと言ってきたら、読んでいたのをやめて、じゃあ行こうかと運転して連れて行ってあげる姿があります。それの事です。それで十分です。

何を補助してほしいのかはその都度違います。

ですが、その姿勢、人に対してやさしく思いやりと理解力、共感を寄せることが出来るという能力の事ですね。

大げさにとらえないことが大事だと思います。シンプルで優しいことです。自我が形成されるにはある程度の時間がかかりますので、その間出来得ることは山ほどあります。

〇ちいさい発見
良い例えとしてユニークな動画がありました↓ ↓ ↓

インスタの動画:雨の中で踊らない?

もしバシャールなら第一声が「ワンダホー!!」とか言うかもしれませんね笑
でもぼくなら静かに「う~ん(考え中)、わかった」と言うかもしれません。
個性が違えば反応もおのずと変わりますがそれで十分です。

〇社会ではどうかな?
社会の大人は中身が子供時代のままで自我の形成が押し込められています。
だから、そういう大人達が主導権を持って作り出す社会にはその問題が露呈するから「見せる化」として、その方自身が形を変えた追体験として経験を出来ています。

そこにあなたやぼく等の自我の形成の問題がある程度クリアされた大人たちが入って行くと、現在進行形で自我の形成をやりくりしようともがいている大人たちのヘルプ(補助)が出来ているんだよと言う、たったのそれだけの事なのです。

5次元者の社会の中での生き方、輝き方を言葉にするとこれだけなのでとてもシンプルではないでしょうか?=ヘルパーです。

〇シンプルじゃなくする魅せ方
社会にドラマを見てみる目はありますよ。

しかし、実際には後からわかることかもしれませんが、社会自体はシステムなので物語性はありません。

社会に物語があらかじめ組み込んであるのではなくて、その機会を得て行きかう人々の中にそれぞれの物語(個人個人の旅の目的/動機)を持って暮らしていますね。

もし仮に、社会に決まりきった物語があらかじめ組み込んであるとしたら、、おそらくは戦時中のように統一思想に偏ると思います。トップが右と言ったら全員それに従う事が義務付けられていそうですね。

社会は単にシステムの事なのでそこに色は付いていませんが、そこに参加する参加者の方に、独自のモチベだったり、やる気、興味、つまりエンジンとなるガソリンとなる自分で社会を乗り切って行けるだけの思想とかヒューマンドラマがありそうです。

そして、そのヒューマンドラマ、ネガティブな動機だったりポジティブな動機は何から生まれてきているのか?と言う原因が、、、、『観念』(幼少期の親とかからの刷り込みの産物)によって捻じ曲げられた未成熟な自我が発端です。と言う事なのですね。

だからそこにヘルパーであるあなたが輝く余地があります。ぼくやあなたですね。5次元者全員です。

この話は覚えなくていいですが、さらっと俯瞰してみて知っておけばそれで良いと感じます。

長くなったので今回はここまでにします。


次はこちらです。


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