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スピリチュアルとは?スピ(=スピリチュアルの短縮系)=スピリット=霊=生き霊=精霊=霊体=生物由来の霊のことです。肉体(フィジカル)に対応した霊性(=精神性)のことを言います。 霊の特長はいくつもありますが、霊性と呼んでいるのは主に精神性に重きを置いたライフスタイル(顕在性)のことです。 そういう観点で見てみると、意識を分けてとらえてみることができ、現在地を知り次どのように進めばいいのか客観的に見ることができます。 抽象的な性質のある精神性の土台にはタイムスケジュール
前置き一時代を築いた「ホログラムは偽物だから捨てなさい」の過去の栄誉 昔の「ホログラムは偽物だから捨てなさい」という師達の教えは、当時の弟子とか信者がホログラムの特性に苦しんでいて、幻想性=苦しみだと結論づけたから、当時のその師を筆頭とするグループとか立場や見立てではそれが教えとして浸透しました。その当時の現場ではそれが適切でした。 その後、弟子たちとの語らいとか、会話の中で教え合ったりしたけど、何気ない会話が後々それが本になって後世に語り継ぐ物だとは知りもしませんでした
1ページ目からの続きです。 理由3 自分軸に立てる ある時、いろいろな情報に対する不信感が大きく膨らんだ時期がありました。 誰かの何かのサングラスを通して歪んだような情報を、また自分のサングラスを通して受け取って歪まして悩んでいる。そんなことに意義を感じなくなりました。 なのでそこから先は、瞑想のときには「ありとあらゆるすべての仲介者を手放します」と常に思ってきたので、今はデフォルト設定であらゆる仲介業者は不要になっています。 自分とソースは別物ではないというところ
脱皮をする。エゴ的な全てを諦めること、最後の最後まであきらめることができたのかどうか? 中途半端なあきらめ方ではまだ時間がかかる、さっさと覚悟を決めた方が良い。 個人的な都合(エゴ)を一旦全部取り外すと言うこと、一旦ね。 どうせまた後で1からビルドアップできるんだから、一旦全部自分の都合を取り外してみたほうが早い。賢明だしまず大丈夫。 自分の都合(エゴ)は個性なので残すので、後から再ビルド可能。なので一旦全部取り外して、新たなものが入る空間を広げる。というか、それをしない
思考タイプの人が感覚タイプの人の話に同調できずにフラストレーションが溜まるあの感じ。早くすぱっと要点を言ってくれない。もやっとする感覚。 感覚タイプの人は共感や共鳴に全ぶりしているのであって、なにかを説明しようとして自分の話をしているわけではないという理解。思考タイプの人がその生態に気がついて歩み寄ると、事は自然に解決できる。 感覚タイプの人でも、素のノンデュアリティを理解している人など存在しなくて、単に素のノンデュアリティを体験した後に感じた「概念」談をおすそわけしてい
次に、デュアリティの構造を解説していく。 『リアリティーを新たな切り口から経験してみたいので、「条件」というツールを使ってみたい!』 現実の見え方を決める方法として、(分離の口実として、捉え方として、切り口として)必要になるのが『条件』。 もし、条件が一個もなければ、分離のしようがないので一つの世界観で見る。それは無条件である「全てはすべて/私」。 ここからの章ではデュアリティというものが何なのかを紐解く。 分離するための手順の獲得方法 自分が持っている条件リストのチェック
ノンデュアリティを知ると捉え方が180°変わる。 しかし、現象には意味がないという意味を、生きる意味がなくなると捉えるのは大間違い。絶対的な意味付けというのはなくて、相対的な意味付けがちゃんとあるという意味。 または、もう不要な意味付けをやめて良い、つまり好きな意味付けに更新して全然構わないよという感じ。または、一般常識が空想をベースにしているのに気がつくことで、それを利用するのをやめ、事実ベースの価値観にMNP※1 してもいいんだよ、ということ。 ※1 ナンバーポータビ
ノンデュアリティの入り口は2つですノンデュアリティの入り口には、 今ここ 私はいない という、主に2つの入口があります。 一つ目の入り口は、 1) 「今ここ」というところにシンプルに余計なものを省いて見ていくと、言葉に出来ないただ「これ」があるだけという感覚に気がつくことができます。こちらは瞑想など悟り関連に興味がある人が通ってくる入り口です。 それに対して、2つ目の入り口は、 2)「私はいない」という入口がごく普通の一般的な人のノンデュアリティの入り口です。自
ノンデュアリティーの極意を少ない文でまとめると以下になります。 それは空(くう)についてのことである。(=一元) それは識(しき)から離れるということである。(=非二元) それはワンネスとノンデュアリティーとデュアリティーを混ぜて次のステップに進むことである。(=三元) その他 補足チャネリング情報 ノンデュアリティって本来すごく簡単なこと。 ワンネスでは全部が「自分」で、 デュアリティでは「自分」と「自分じゃ無いもの」で、 ノンデュアリティでは全部が「自分じゃ
あるものはちゃんとあって、ないものは(どこを探しても)ちゃんとない。 不安感はある時だけあり、ない時はどこを探しても絶対にない。 これが大原則です。 そして、ここからチャネリング情報です。 悲しみと苦しみを避け続けて不感症になり、エゴを邁進させると、聞かん坊になって誰彼構わず怒鳴ったりと暴力を振るうようになって困った人生を送る事になれるよ。 だから定期的に悲しみに触れてるんだよ。 本当に人の心がわからない人になりたいの? (恐れも不安も悲しみの1カテゴリ) 不安に
上の続きです。 ノンデュアリティ目線だと創造できるということに疑問符を抱くと思いますが、その意味を教えてくれた時のメッセージです。 なったようになる、在るように在るだけ、というのは仕組み的に顕在意識(小さなセルフ)にはわからないことだらけで、そのコントロールをしていない(できない)ということがあります。できているかのような錯覚を持つというのはまた別の話です。 それでもなお、引き寄せだとか、現実創造だとかいうことがはやっていてそのことに疑問を抱くことがあったのですが、その
上の続きです。 おおのかみの出現注:くるしゅみ=苦しみ、今回の騒動=567 上記のチャネリング内容はこの世が何の目的で意図されていたのかを教えてくれています。 あまてらすのおおかみとかのおおのかみということみたいですね。 それは個人とか単独のことではなくて、称号的な位(くらい)的ななんというかそういう一目でわかる何かどえらい物みたいなことだと感じます。 なにかすごいことを生み出そうとして意図して、その意図に従って形作られてきたものがこの現宇宙だと思います。なので、
悩みの種類もいろいろありますが、その個々のことに対処しようとすると、時間が多くかかってきます。 それがもう嫌なので、根本的な治療をしたいと思います。 ノンデュアリティを学ぶと以前あったような悩みが持てなくなります。それはなぜかと言いますと、 理由1 理想だとわかる起こってもいないような架空の話に貴重なエネルギーをつぎ込んで摩耗しているという事実に気づくので、それとは今後一切きっぱりと縁を切ります。 事実と誰かの心配をごちゃまぜにして自分の話に興味を引き付けたいんだ、と見
ノンデュアリティ・ルネッサンスというムーブメントは、「原点回帰」※1 のことでデュアリティの消滅ポイントというか変換ポイントのようなものです。または、ルネッサンスと言うぐらいで夜明けみたいなかんじです。 枠が広くて多方面に及ぶので説明は難しいのと、正解はないです。だけど、知っておけば役立つポイントやエッセンスというものがあるので、それを押さえとこうよ、というお話です。 ※1 言葉通りこれが本当の原点回帰です。原点ぽい「謎地点」に帰るという話ではなくて。原点は「空」または「