【2部】イギリスで学んだ石の記憶継承システムと、ダークツーリズム的世界観
こんにちは、Rayです。今回はGWイギリス旅行日記の第2部になります。
前回は「食」に着目し、カレー・スクランブルエッグ類似理論をきっかけにイギリス料理がまずいと言われるようになった理由について書きました(まだ読んでいない方は、ぜひこちらから👇)。
さて、今回のテーマは"記憶"。街・石・闇をキーワードとしながら、日本人 / イギリス人の歴史認識について書いていきます。第1部と比べると、ちょっとシリアスめかもしれませんが、読み進んでいただければ下記のような気付きがあるかもしれません。
では行きましょう💪
街並みが語る400年の歴史
イギリスはヨーロッパの最果て、日本はアジアの最果ての島国。王室・皇室も1000年以上前から存続しているし、どちらも左側通行だし、サムライもジェントルマンも言ってみれば主君への忠誠心と礼節という意味ではかなり似た概念と言っていいだろう。
しかし、両国で決定的に異なるものの一つに、街並みがある。
ヨーロッパらしいといえばヨーロッパらしい、石造りの建物やレンガ道。ことロンドンに関しては、もちろん現代的なビルが立ち並ぶオフィス街もあるが、ほとんどが17世紀のロンドン大火以降に建てられた石造りの建物である。400年も前から存在する建物の中で、今もなお人々が住み、食事をし、読書をし、日常生活を営んでいる。考えてみるだけでも素敵だ。
なお、ご存じの通り日本では木造建築が主流だった。当然火事や老朽化の度に作り直すことになるため、現代では日本の伝統的な建物はほとんど存在しない。もちろん世界最古の木造建築と言われる法隆寺がギリギリ残っているし、地方に行けば江戸時代から続く老舗旅館があるかもしれないけど、現代人の日常生活とは基本的に切り離されていると言っていいだろう。
逆に、そんな古い建物が身近にある生活がどんなものになりうるか、考えてみてほしい。
そんな生活を過ごしていたのならば、授業で学ぶ産業革命もナポレオン戦争も、もっと身近に感じられるのではないか。
新旧が共存する街だからこそ、教科書で読むような歴史世界が、リアルな肌感覚となって日常生活を彩ってくれる。そんな歴史への距離感は街並みだけでなく、博物館でも感じられた。
順路なき博物館が教えてくれるもの
大英博物館に行って驚いたのはその広さと、内蔵している展示品の数。92,000平米の空間には8万点以上もの展示品が並んでおり、常設展に関しては入場料無料でそれら歴史の傑作を拝むことができる。
中を探検してみると、いくつかびっくりする出来事が。上記の写真のように椅子を持ってきてスケッチを始める方がいたり、ミイラの棺桶もスフィンクスの像も(タッチ禁止とはいえ)日晒しかつ手を伸ばせば触れられる距離にあったりと、日本で訪れた博物館とは根本的に展示品との距離感が異なるような気がした。
また、指定された周り方も、順番も特にない。メインエントランスから右に回れば古代エジプトの石碑があって、さらに奥に進むとギリシャの大理石像があって、あっちにはアジア、こっちには中東の展示があるなど、良い意味で「ご自由にどうぞ」を体現した設計だと感心した。
もちろん、効率的に全展示を周ることを考えれば、整備された順路の存在は必要不可欠だろう。しかし、それらが存在しないことで叶えられるアトランダムな鑑賞導線は、歴史がただの直線的な時間の繋がりではないことを感覚的に教えてくれる。日本の博物館ではむしろ順路を作って欲しいという声が集まるくらいなので、きっと同じことはなかなか実現できない気がする。
日本は欧米と違って家のサイズが小さく、絵画や工芸品などの美術品を自宅に飾りにくい。歴史的・美術的に価値のあるものを体験するには改めて博物館や美術館に赴く必要があるので、なるべく一回の来館で最大限の体験を持ち帰る上でも、効率が重視されやすいところはあるのかもしれない。
加えて、国土が狭い以上はどうしても博物館自体も小さくなりがちなので、混雑を避ける上で諸々のルールが敷かれてしまうことも考えられる(と、同時に人の目を気にしすぎる日本人だからこそ、周りが迷惑しないようにという配慮が含まれていることもありそうだ)。
列もなく、待ち時間もなく、広くて、無料なロンドンの博物館。将来この街に住むことがあれば、子供を毎週連れてきたいな、と素直に思った。
「石と木」で異なる記憶継承のシステム
サリズベリーというロンドンから列車で約2時間の位置にある美しい田舎町。そこからさらにバスで30分離れたところにあるストーンヘンジに行ってみた。世界遺産と言われることだけあって本当に圧巻だったけれども、原始人には申し訳ないが自分が感動したのは近くにあったカテドラル(教会)だった。今にも動き出しそうな聖人たちの像を眺めていると、機械よりも精巧な技を織りなす人間の能力と可能性に圧倒される。
そんなカテドラルで特に印象的だったのは、教会内にある「回廊」。壁には死者を弔う言葉が描かれており、その真下には、死者の名前が刻まれた石碑が床の一部となっていた。
当然のようにその上を歩く参拝者・観光客。死者を弔う記念碑を地面の一部とするのみならず、人々がその上を闊歩する。ちょっと、僕らの感覚では考えられない。
しかし、博物館での仮説が当たっていたとしたら、どうだろうか。日常生活と歴史への距離感が近いのであれば、”現代を生きる生者”と”過去を生きた死者”の距離感も親密なものになるうるのではないか?
そもそもキリスト教的世界観を持つヨーロッパ社会では、「天国と地獄」、「光と影」などの相反する概念が共存する形で生活してきた。
一件矛盾するような二項対立構造を俯瞰することに慣れていることを考えると、墓標や石碑が壁や天井ではなく、日々の生活に最も近い"床"の一部となることも不思議ではない。
また、「死」という現代人が忌避しがちな要素が日常に近く存在するのは、実は石造りの文化と深い関係がある。石は後世まで残る。それは一度作ったものは手入れさえしていれば永く残ることを表すと同時に、既に作ってしまったものを簡単に取り壊すことができない制限をも物語っている。「過去」を消しにくい石の文化を元に価値観が発展しているからこそ、正も負も(生も死も)隠さずにそのまま残しておくことにも抵抗がないのかもしれない。
アジア、こと日本の場合を考えてみよう。先述した通り木造建築がほとんど残っていないように、木・紙の文化では記憶が風化しやすい。石がストック型、木がフロー型の知識・記憶体系を促していたとするなら、当然それぞれの文化における記憶継承のシステムは変わってくる。
もちろん、両者の間に優劣があるわけではない。木の文化のメリットは、むしろ消失を前提とした代謝の速さにあるだろう。そもそも木造建築は永遠に残ることを想定としていないので、失敗したらまた数十年後に作り直せばいい。ビジネス的に考えればPDCAを回す回数が石の文化よりも圧倒的に多いので、一人の職人が踏める経験値も多ければ技術の進歩も早い可能性がある。
しかし、更新され続けていくということは、失われ続けるものもあるということ。革命・戦争があったとか、暴君が存在したとか、そういった記憶が消せない石の呪いもあるとすれば、それらを簡単に消せてしまう木の呪いも存在するはず。
歴史が日常から薄れ、教科書の域を出られない状態でいると、僕らは忘れてしまう。触れない、見えない、そんなものを誰が真実として語り継ぐことができるだろうか?
ダークツーリズムとキリスト教的"再生"
さて、先程はキリスト教的世界観では二項対立の共存が珍しくないと書いた。「天国と地獄」、「天使と悪魔」、そんなテーマを数千年の歴史で紡いできたからこそ、死者を記念する石の上を歩くことも憚れない世界観が生まれた、と。そんなキリスト教的世界観がイギリス人の日常にありふれているのは、彼らの国旗に隠れる十字架の数を見れば明らかだ。
なお、こうした経験世界の二項対立構造を認める考え方は、近年ヨーロッパで広がりを見せている「ダークツーリズム」と強く関係している。
物騒な名前の響きとは裏腹に、実はダークツーリズムは過去に光を充てることに意義を置く新たな観光形態・研究分野だ。
近代の歴史事象はとても複雑で、一つの側面から全貌を語ることはできな い。しかし、そのような状況の中で一番大切なのは、光か影か、正か負かという一見矛盾する複数の事実の共存を認め、多角的な観点から過去を捉え直すことにある。
歴史的出来事には必ず光と闇の二つが共存する。アメリカ人は原子爆弾が戦争を終わらせたというが、日本では未だに被爆者が心に痛みを抱えて生きている。日本の近代化をささえた軍艦島の海底炭鉱も、韓国では強制労働の象徴として批判されている。
何が本当で、何が嘘か。誰が正しくて、誰が悪いのか。「正解」がない中で答えを見つけ出そうとすること、過去に対して真摯に向き合うこと。ポストモダンという特殊な時代に生きる僕らにとって、ダークツーリズムでは忌避されている記憶に光を充てることで、闇を学びに変えることができる。
「臭いものに蓋を」、「○○を水に流す」。僕らの国には、物事の忘却化・白紙化という課題が時折垣間見える。でも、忘れるよりもっと大事なことは覚えるだけではなく、「遺す」ということ。遺すためには形を与えなければならないし、光を当てなければならない。忌まわしきホロコーストの記憶が残るアウシュヴィッツ強制収容所が、今もなお博物館としてポーランドに残っているのも、こうした世界観あってこそと考えている。
なお、これは余談かつ個人的な見解だが、ダークツーリズムは闇を学びに変えるという意味で、「再生」というキリスト教的価値観も深く関わっている考える。次の写真を見てほしい。
上記はふらっと入ったカフェの壁に飾られていた、とある従業員の言葉。「犯罪者がカフェ店員!?」なんて日本の感覚だと考えられないかもしれないが、キリスト教的世界観ではイエス・キリストの死と蘇りは、原罪を悔い改めた人間の精神的な再生とよく対比される。実は上記は数ある写真の中の一つで、カフェ自体がそうした元受刑者の社会復帰を支援しているようだ。
イギリス人が二項対立構造の俯瞰に慣れていること、そして社会的な再生について寛容であること。これらはダークツーリズム的であり、キリスト教的であり、もっと平たくいえば、それが彼らの住む経験世界と日常なのかもしれない。一見すれば理解しがたいその世界観も、文脈を辿って捉えてみれば本当に素敵で、人の生活と歴史にチャンスを与えてくれる新しい考え方だと、僕にはそのように感じられた。
おわりに:観光者としてラクに生きる
「食」と「記憶」について2部構成で語ったイギリス旅行記。後半はややずっしりとしたテーマについて話すことになってしまったが、最後に少し心が軽くなるような話をしたい。
僕は「観光」が好きだ。それは、ある種の無責任さと当事者意識、自由と制限という絶妙なバランスを持った「観光者(ツーリスト)」として、異国の地・異国の記憶を旅することができるからだ。
「行って、見て、帰る」。観光をするというのは、正直、それだけでいいんです。知識と経験は発酵するし、直後に旅行先で見て、聞いて、知ったことが役に立たなくてもいい。「ダークツーリズムが~」とか「二項対立が~」とか言ってる僕だって、いってみれば現地でやっていたことなんて見て歩いて食って寝ただけ。
でも、今回イギリスに行ったことで、何か一つは確実に得た気がするし、それは無責任な観光者(ツーリスト)という立場を思う存分に活用した結果だとも思っている。
僕らはどうしても一つの正解を求めがちだし、一貫した個人であり続けようとしてしまう。でも、たまにはツーリストになってみる。向こう岸の正解を知ってみたり、面白ければ取り入れてみるし、同意できない時は深く考えずに捨ててみる。一種のお客さんになって、気楽に、無責任に、楽しく色々なアイディアを"観光"をすればいい。そこで得た知識はいつか日常を彩るかもしれないし、想像もできないような形で新たな学びと再生を与えてくれるかもしれない。
今回のnoteも、まさにツーリストとして、気楽で、無責任に、楽しく書かせてもらいました。何か、皆さんにとって学びになることが一つでもあれば嬉しいです。
それでは!
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