「子どもが好き」と言われたら心が引いてしまうのだ
「子どもが好き」
子どもと関わる仕事に携わっている人自身がいう時もあるし
子どもと関わる仕事に就いている人に対して、周りの人がいう時もある言葉。
子どもに関わる仕事に就いていると「きっと子どもが好きなんだろう」と周りから思われるのは、致し方ない部分もある気がする。
ただ、個人的には、子どもと関わる仕事に就いている人自身が「私は子どもが好き」と言っているのを耳にすると、どうにも寒気がする。
かつて、小学校で子どもたちの学びに寄り添う仕事に就いていた時、私自身は「『子どもが』好き」ではなかった。
日々、学びを得て伸びていく「人間としての彼ら彼女ら」の、その伸びゆく時間を、大切にしたいとは思った。
大人になってしまった自分がもはや気づかない視点や発想で物事をとらえる、彼らの存在をとても尊く思った。
彼らの新しい観点やアイデアが、この先の世界を変えたり作ったりしていくのだろうと思うと、とてもワクワクした。
これは「子どもが好き」という感情ではなくて、相手を人として貴ぶ、という感情だった。
子どもが好きだろうが何だろうが、関わる相手の存在を尊重することに変わりはない。
相手を命として大切にすることに、私個人の「好き」とか「きらい」という感情は介在しない。
……ということが根っこにあって生きているので、子どもに関わる仕事において「子どもが好き」というのは一体何なんだろうと思ってしまう。
好きだろうが何だろうが、相手を尊重できない言動をとるなら、子どもに関わる仕事には就かないでもらいたいのが本音だ。
子どもが伸びゆく場において、本当に大切なのは【「子どもが」好き】なんていう感情ではなくて、相手を「人間として」尊重できるかどうか、だと思っている。
たとえ相手が、こちらの言動を覚えていないかもしれない、生まれたての人であっても。