一なる仲間たち
*これはフィクションと思って読んでください。
宇宙の質量は一定で変化はしても増えることはない。この場合の質量とは、宇宙を映している立体的なスクリーンを構成する量子のような物質の個数を指す。びっしりと詰められたそれは、ビックバンの拡張の最大の大きさに合わせた数を用意されている。それこそ天文学的な数字で想像もできない単位が予想される。今はまだ拡張の途中なのだろうから、端の方は宇宙さえ現せていない。今か今かとプルプル震えて待っている。
ここは初めから用意された限られた世界である。
この世界では量子のような物体の数が初めから決まっているように、すべてが一定数しか存在しない。資源も、富も、エネルギーも、愛と思っている物も。
神の国は愛しかなくてつまらないと家出してきた愚かな私たちは、何かの達成感や刺激を求めこの物質の世の中を作りだしました。しかし自分の源から離れてしまった私たちは、この時間の世界の中で制限のある物しか作ることができず、それらをみんなで分け合うことになります。
きっと人々は生まれ変わることで幸不幸を平等に体験していると信じますが、そう気づかせてくれないのが自我であり、この世界で一なる神の子同士が競い争うという悲惨なシナリオを作っていきます。誰かが得をすれば誰かの得が失われると言う奪い合う世界です。
いくら徳の高い行動をしていたとしても、それが理解されなければ結果的に誰かのエネルギーを損なう行為になり、また、例え何かを達成して一時は満足したとしても、どこか物足りなかったり、すぐに飽きてしまったり、さらに刺激を求めたりしていきます。悲しいかな人との比較が無ければその成功も実感され難いのです。人とは言うまでもなく一なる神の子の分身であり、結局私たちは自分自身の分身を傷つけないと生きる意味を見出せなくなりました。
みんなで仲良く分け合うはずだった世界。
本当は分け合っているのにその現象に気づかぬ私たちの心。
誰一人として欠けてしまったら、この宇宙でさえ成立しなくなる大切な一なる仲間たち。
*このシリーズの記事は『奇跡のコース』に触れてわたしが至ったひとつの考えですが、とても個人的な思考なので、このすべてが『奇跡のコース』の理念だと受け取ることのないようにお願いします。『奇跡のコース』はそれぞれの状態によって理解(深さ)も変わってくるかもしれません、真摯に学習されている方々にとって影響されることがありませんように。