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十字架刑の件について

奇跡のコース(奇跡講座)のテキストを読んでいてワクワクすることの一つは、当時の出来事においてイエス本人の解説が聞けると言う事。

十字架刑については一般的には(またキリスト教においても)人間の共通の罪を一手に引き受け十字架に掛けられ惨殺された、残虐な出来事として知られていると思います。またこれを贖罪と言います。


贖罪とは(広辞苑無料検索より)①体刑に服する代りに、財物を差し出して罪過を許されること。②犠牲や代償を捧げることによって罪過をあがなうこと。特に、キリスト教では、自らではあがなうことのできない人間の罪を、神の子であり、人となったキリストが十字架の死によってあがない、神と人との和解を果たしたとする。和解。赦し。


しかしコースが語るイエスが行った贖罪は、全く意味が異なります。実に広辞苑まで欺かれているのです!(無料検索サイトですが)

贖罪の本来の意味を理解しないと、ここで言う十字架刑での本当のイエスの想いは伝わらないのですが、贖罪の説明はわたしなりにもっと深めて、自分の言葉で書くことができるようなったらいずれ書き起こしたいと思います。


まず何が違うのかというと、実はは何も咎めていないので、和解も何もないのです。

人間の罪とは、聖書ではいわゆるエデンの園の禁断の果実あたりの事を言っているのかもしれませんが、コースではに背きと分離し自我を発生させてしまったことへの罪悪感を主に罪と言います。(実際には分離は幻想)

人間は神に咎められていると思っていて、勝手に罰を恐れています。

しかしは決して罰しません。

あらゆる意味で、はそんな器の小さな存在ではありませんでした。(罰を恐れていることは人の潜在意識のもっと奥に潜んでいるので人間は気づけません。でもこことっても大切なところですので覚えておいてね)

ここからテキストに載っているイエスの言葉、「十字架刑の真の意味は、何人かの神の子*らから他の一人に対して為された攻撃の見かけ上の激しさである。・・・・私は、あなた方と私自身のために、自我の判断によれば最も残虐な猛攻撃とされるものですら、問題にならないと実証することを選択した。世界がこれらの事柄を判断するところによれば、そしてがそれを知るところとは違う見方によれば、私は裏切られ、見捨てられ、鞭打たれ、傷つけられ、そして最後に殺された。これはひとえに他のものたちが私に投影したことによるのは明らかであった。私は誰をも傷つけたことはなく、多くの者を癒したからである。」(*ここで言う神の子はイエスだけではなく、全人類のことを言う)テキスト第六章・1 十字架系のメッセージより一部抜粋

難しい言い回しのイエスの言葉をわたしなりに砕いて書くと「十字架刑の本当の意味は、同じ神の子である人間同士の中で起きた見かけ上の残虐な出来事である。・・・私は、あなた方と私自身のために、肉体への攻撃(肉体の処罰、すなわち肉体の死)が、なんの問題にもならないことを証明するために行動を起こした。世間の常識的な見方によれば、また一方の意思(真実の出来事)からだとこんな風に言うのは全くのお門違いだが、私は裏切られ、見捨てられ、・・・・そして最後に殺された。これはひとえにわたしを十字架に掛け、また裏切ったと言われる者たちが、それぞれの深層心理にあるとの分離で発生した罪悪感からくる恐れや怒りを私に投影したことは明らかだった。・・・・」

投影も難しいですね。これもいつかキチンと書きたいと思います。

本来の贖罪とは、この後の復活までの一連の出来事を含めてのことだと思うのですが、この章(テキスト第六章、1)では十字架刑の時のことしか触れていません。

これがイエス本人があの日の件について赤裸々に語った言葉の一部です。

事実は小説よりも奇なり

間違いなくこの地球上で過去にも未来にも一番影響力を持つ、あのイエスの言葉。こんなこと書いてある書物、他にあるでしょうか。

まとめ・十字架刑について

攻撃は肉体に対してのみ起こりました。自分の心は自分にしか攻撃できないからです。他人への攻撃は自分の罪悪感が外側へ投影されていると言われます。イエスは完全な神の子ですから、他人にも自分にも攻撃の根拠を持ちません。肉体は幻想であるから、攻撃自体も無効になり、その幻想への攻撃に対して嘆いたり怒ることは正当ではなくなるのです。もちろんイエスは完全な神の子ですから不正当な現象に怒りは持ちません。肉体への攻撃を認めて怒ると言うことは、との分離自体がある事になります。(実際神とは分離していないのですからね)重ねて言うとイエスはあの十字架刑で痛いのを我慢しているのではなく、幻想そのものに反応しないのです。心も完全にと共にいるため傷つきません。恐るべし神の子。しかし私たちも同じ神の子です。本来はイエスと同じです。忘れてしまっているだけなのです。


ところで、今回わたしがここで話したいことは、難しいコースの真理の話ではなく、このような不思議なことを、どれぐらいの人が信じているのかと思ったのです。

あの、イエス・キリストがこう話しているんですよ。間違いなくこの地球上で過去にも未来にも一番影響力を持つあのイエスが、2000年の時を経て、ある日突然アメリカ人の女性の心に話しかけたんです。

みなさんこの内容をすんなり受け入れられますか?

わたしはなんの疑いもなく、受け入れていますが、果たしてどれぐらいの方が信じるのかな…と思って。

わたしは霊感はなく、超常現象と言うものを見たり聞いたりしない人間ですが、不思議とこう言うものはすんなり受け入れます。疑う余地がまったくないのです。

「あるだろうな。」

という感じで、自然なことだと思っています。




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