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「チ。」
ネタバレ注意⚠️
チ。―地球の運動についてー
漫画「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品2022年6月時点で、単行本の累計発行部数は250万部を突破している。
〈Wikipediaより〉
前記事では、ストーリーについてあまり深掘りできなかったので、改めて気に入ったセリフを反芻とかしようと思う。
久々に漫画を大人買いした。
わたしが斜め読みしているからかな。
最終話でラファウくんが生き返って登場していることに困惑した。
と思ったら、投稿されたコメントをみると、みんなこんがらがっているようだ。
作者の意図は知らないが、
事実は読者に委ねられたのだと解釈して、わたしなりに勝手に結論を出した。
最終話はパラレルワールド。
自分が悪役だったと自覚したノヴァクが登場しない世界。
自ら辞退したような感じ。
歴史の登場人物ではなくなった。
やり手の異端審問官がいなかった世界線では、地動説を唱える研究者が生きやすくなる。
真理を求めるために掛ける命の矛先が変わった。
「地動説に関しての関係資料の開示と焚書」を要求された第一章のラファウくんは、信念を貫くため自決し果てた。それは見事なまでに純粋で、完璧な悲劇のヒーローに見えた。
しかし、別の世界線である最終章のラファウくんは
「宇宙の形を根本から変えてしまう画期的な説に関する物」を手に入れるため、最終的に殺人をする。
どちらも真理を知りたいという情熱のような動機だが、読者の印象は違ってくる。
あの感動を返してくれという勝手な読者もいるだろう。
それがアニメになってどう解釈させようとするのか今から楽しみだ。
あんまり混乱は好みではないけど。
ラファウくんの人格が変わっているわけではない。
ラファウくんはラファウくんだ。
環境によって振る舞いが変わっただけで、もともと高飛車で人生はチョロいと言ってしまう合理主義な気質だ。
本人もノヴァクの幻想となって登場した時に
「この世には様々な人がいる。正直者も、嘘吐きも、情けない奴も、勇敢な奴も。さらに驚きなのが、一人の人間にそのすべての要素が入ってることもざらにあるし、それが日々変化したりする」
と、名言している。
いわゆる分人主義とかいう概念。
人は対人関係や置かれた環境などによって全く別人のように振る舞うものなのだ。
これに関してわたしの信じる概念は前記事の有料部分に加筆しておこうと思う。
その後、ラファウくんは自分の犯した殺人という罪により、研究から離れ晩年は懺悔室に籠る人生を送る。(多分、あれはラファウくんだよね。)
人間らしさを失っていなかったのか、そこには原作者の主役の一人への愛情を感じた。
そしてそのストーリーが歴史として現在に繋がっていく。