いまの私の、独りよがりな絵を見たい人は居ないんだ

pixivの絵が伸びない。
描き手の苦労なんて閲覧者は関係ない。「見たい」と思わせる絵が私には描けていない。


一つ前の記事(つぶやき)で
私の感性は古くなってきていて、世界に置いて行かれ始めている」と書いた。

私は、大衆の好むものを忌避する傾向にある。絵柄こそ大衆に好まれるものが好きだけど、「大衆向けである」というだけで避けてしまうところがある。

鬱で病んでいると、この傾向は強くなる。人気なものが見れなくなる。
おまけに私の感性は2005年〜2015年あたりに栄えたコンテンツで止まっている。ずっと1人で心の内に籠って、価値観が凝り固まってきてしまったのかな。



人と関わって、
自分以外の人間が良いと感じるものに触れる」「外から客観的視点を取り入れる」「時代の流れと世間の主流の感性に擦り合わせる
ことが自分には足りていないのだろう。そう痛感する。


時代に置いていかれている。いま盛り上がっているものの中核をなしているコンテンツが、自分は楽しめていない。

何処か捻くれた目で距離を置いて眺めている。食わず嫌い、という感じかもしれない。そんな人間が描いた絵を素直に見れるだろうか。閲覧側が感じ取れるかどうかはあるものの、絵には描き手の全てが滲むのだ。


人の居るところに行きたい。他の絵描きの中で、刺激と影響を受けて、自分の前を進む存在に自分の足りない部分を指摘して貰いたい。
自分一人でうんうん考えて、独りよがりな答えを出す工程はもう血反吐を吐くほど繰り返した。いまは外の声に耳を傾けなければいけない。


それにしてもショックだなあ。自分が良いと思ったものを込めた絵が見てもらえないのは。自分自身の感性を全否定されているみたいだ。

一般的な感性と、自分の感覚が剥離し過ぎて、閲覧者は私の絵には共感できないのだろう。絵柄の綺麗さで多少の人目をなんとか留めておけていればいい方だ。

違う人間である他者に理解してもらいやすいよう、わかりやすく見やすい絵の構成をこちらが努力する必要がある。私はそれを怠って「そのまま理解してもらう」ことを願ってきた。

(そもそも「絵に纏める」というレベルであっぷあっぷになっているので、見る側のお眼鏡にそもそも適っていない、というのも大いにありそうだ)

そして単純に閲覧者への接触回数が少ない。絵を見て欲しいなら絵を毎日上げろ。
反応を得ている人はそもそも持っているフォロワーが多い。
3桁のフォロワーで、バラバラのジャンルを気が向いた時だけ上げているのだから、見られない(閲覧の母数が増えない)のはあまりにも致し方ない。


貴方は絵を人前に出してどうしたいのか?自己を肯定して欲しいだけか?

それなら、認めて認めてと駄々を捏ねる子供からは皆離れていくだろう。
みんな、その人の推しや題材へのクソデカ感情、或いは魅力的な推しや題材が形になったものが見たいのだ。
空虚を埋める繋ぎ、間に合わせの中途半端ものなど、誰も見たがっていない。

感情のままに描いたわけでもなく、ろくな試行錯誤や工夫もせずただ仕上げた絵に、一体何の価値があるのだろう。


タイトルにも書いた通り、私の現在の「独りよがり」で描いた絵は、誰も見たがっていない。誰も必要としていない。
この感覚でさえ独りよがりで主観で判断したもので、客観性を欠く。

他者に絵を見せて、積極的に感想を聞いて、自分自身も世界の流れに深く浸かり楽しんでいく必要がある。

天邪鬼にそっぽを向いて、不機嫌な表情で離れた場所で拗ねている人間の言葉なんて、誰も聞こうとはしないんだから。

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